第9話
「リュー、下ろして」
「しかし……」
渋る皇子に笑いかける。
「どうせ後でまた会えるだろ?」
討伐完了まで帰還できない以上、お互い否が応でも、しばらくは顔を突き合わせるのだ。それにいい加減下りたい。
「そ、そうだな!」
皇子ってば、なんだかやけに嬉しそうだ。僕そんなに重かったんだろうか。申し訳なかったかも。
「今日の夕飯はともに食べるぞ。そなたの好きな木の葉で巻いて焼いたキノコと塩魚と、クルミのパン、祝いの菓子も準備しよう」
「わぁ、ありがとう。クルミパン美味しいよね」
素朴な味だけど、塩味の効いたいい匂いがする川魚と、ナッツ入りのパンは、異世界から戻っても、しばらく食べたいと、恋しく思うくらい、僕のお気に入りだ。
僕の好物を覚えていてくれてるなんて、オマケといえど大事にしなければと、気にかけてくれているんだな。俺様なくせに、こういう優しいところがあるんだよね。
なるべく皇子たちに、迷惑かけないようにしなきゃな。
そう思った数刻後。僕は部屋で待っていた大勢の人たちに、散々あちこち測定された。
いつもサイズを測られる時、二、三人なのに、今日は十人以上いた気がする。
そしてみんな口々に「おめでとうございます!」と、嬉しげに言うのだ。迷惑とは。
「ねぇ、ギャビー、九十九回目って、そんなめでたいのかな?」
やっと身体測定が終わって、ソファーでぐったりした僕は、ギャビーに聞いてみる。
ギャビーはカプツェの準備をしつつ、考えるように小さく首を傾けた。長い耳がピョコリと動く。癒し系だ。
「そうですね。我が国では九という数字は、特別ですから」
「そうなんだ?」
「はい、この世界で九は聖なる数字と呼ばれていまして、大抵の物事は九を基に考えられています。全ての数字の始まりはゼロですが、九は終わりの数字であり、また完全なる数字とも呼ばれるのです」
「へぇ」
この世界独特の文化というやつかな。なんだか面白い。召喚されるようになってずいぶん経つのに、そういう話聞いたことなかったや。
「熱っ!」
「大丈夫!?」
そばで上がる小さな悲鳴に横を見れば、カプツェを淹れてくれていたはずのギャビーが、ポットをひっくり返していた。
白い手袋がカプツェの栗色に染まる。
「あぁっ、早く手袋外して」
「だっ、大丈夫ですっ!」
手を伸ばそうとする僕から、庇うように手を引っ込めるギャビー。ポットはまだ湯気が立っていて、絶対熱いし火傷してる。水、そうだ水はどこだろう。
「ギャビー!?」
押し問答していたら、扉が開いてセオドアさんが入ってきた。
彼は目を丸くしている僕を通りすぎて、自分の右手にはめていた手袋を、口で咥えると引き抜いた。
素手でギャビーの手を取ると、口の中でなにか呟く。
ふわりと、肌に冷たい風を感じる。もしかして冷気の魔法だろうか。
「痛みはどうですか?」
「ん、大丈夫みたい。セオドア、ありがとう」
「いいえ、本当にあなたという人は、ポンコツすぎて目が離せませんね」
なんだろう、この疎外感。
セオドアさんは僕に視線を向けると、メガネをくいっと上げて、ドヤ顔をした。なんでだよ。
「アオイ様、我が番ギャビーのしばしのお暇をお願いしたく思うのですが」
「ツガイ?」
控えめな物言いだけど、口調は慇懃無礼で、まだドヤ顔なのがなんとも腹が立つ。それでも言葉の中に聞きなれない単語があって、反芻してしまう。
「はい、アオイ様の世界にはないそうですね。我が世界の英雄であられたタナカ様によると、運命の相手と言うようです」
「運命の……」
「この世界では魂が結び合った者同士は、出会った瞬間から惹かれ合うのです。ギャビーは私の唯一の相手。ゆえにしばしのお暇を」
「あうん、なにか魔法をかけてたみたいだけど、早く連れて行って手当してあげて」
「ありがとうございます」
「申し訳ありません、アオイ様」
セオドアさんの腕の中で、ギャビーが縮こまってそう言う。
聞きたいことは他にもあったけど、ギャビーの手当の方が大事だ。
慌ただしく出て行った二人を見送ると、テーブルを綺麗にする。新しくカプツェを淹れ直していたら、奥の扉が開いて皇子が入ってきた。
「アオイ! セオドアになにかされなかったか!?」
どうして誰も彼も、ノックをしてくれないのだろう。この世界にもノックの文化はあるって、ギャビーは言ってたぞ。
「まぁ、確かに失礼なことは言われたかも」
さっきのドヤ顔を思い出して、渋い表情をしていたら、皇子は「なんだと!?」と、いきり立った。
皇子も普段の言動は大概失礼だから、いい勝負なんだけどな。
「セオドアさんはギャビーが心配みたいだね」
ギャビーに対する時の心配そうな表情と、僕に対するドヤ顔の差が酷いけど。
「ギャビーは、セオドアさんの番だとか言ってたよ」
「あ、……あぁ」
皇子はなぜか言葉を濁すと、こほんっと咳払いをした。
「実は前回そなたが去った後、判明したらしくてな。あっという間に誓いを立てて婚姻を結んでしまった」
「僕がいなくなってから?」
前回召喚されたのって、三ヶ月前なんだけど、早くない? 珍しく期間が空いたから、もう呼ばれないんじゃないかと思ってたんだけど。
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