第7話 機密文書紛失事件(後)

 取って返して役場へ入る。

 公衆電話の利用者が0というのを横目で確認しながら、早歩きで最奥の町長室へ赴いた。一呼吸して戸をノックする。張りのある返事は直ぐに返ってきた。


「入れ。誰だ?」

「八洲です。すみません」


 こういう時こそ丁寧にしなければならない。本当は小学生が入室するのはどうかと思うのだが、村民限定だが割と気安い行動が許されていた。

 村長は書類の裁決に追われていた。顔を上げて驚いたが、すぐに悪戯を思いついた子供のような表情を作る。


「おお、どうした巴。婚姻届けなら相手の印鑑ないと駄目だろ。挨拶は行ってきたのか?」


 まだ言うかこの人は。断りの通達なら行ってきたんだが。


 使い古された机に寄る。上野産の材木でできた綺麗な机だった。


「秋吾の書類の件なんだ。ちょっとやってみたいことができて。村長に許可をもらいたい」


 ほう、と真面目に取り合ってくれた御陵に、身振り手振りで説明する。

 考えこんでから、御陵は真剣な目で応じてくれた。


「俺は構わないが……面倒くさいだけだぞ。第一、無駄になるかもしれねえ。いや、きっとそうなる。お前、1日無駄になっちまうぞ。馬鹿馬鹿しいことの極みだ」

「でも理屈上可能性はある。だったらやってみたいんだ。他の職員にこんなことは頼めないよ。村長の言う通り、馬鹿馬鹿しいことだから。だから部外者の僕がやる」

「……分かった。俺の方から言っておく。……巴」


 礼を行って退出しようとした巴は、なにと振り返った。


「無理をするなと俺は言った。でもよ、そこまでうちの馬鹿孫のためにしてくれるなら拒否できねえ。秋吾に代わって、俺が感謝しておく。ありがとな」

「いいよ。好きでやってるんだから」

「ただし、その無理は、婚姻届け出した後はひなのために使えよ」


 いい加減にしろ。呆れた巴は返事をせずに部屋のドアを閉めた。

 ちらりと見えた御陵はまだ笑っている。それが無性に忌々しかった。


                  ◇


 夕方6時。巴は御陵の帰宅に同行した。足は疲れていないが、肘と腰が痛い。

 御陵が無作法に開けた玄関の先に、秋吾が腕を組んで仁王立ちしていた。少々やつれている。


「無事か馬鹿孫。今日は救急車のサイレン聞いてねえからな。事故だけは心配してねえが」

「うるせえな。俺も行方不明者の呼び出し広報がなかったから安心してたぞ、クソ爺」


 暴言抜きで挨拶ができないのかこの二人は。

 秋吾は祖父の背後の悪友に気づいて訝しんだ。


「……巴? お前こんな時間にどうした。この爺の偏屈が感染するといけねえから、夕飯なら紅緒の家に行った方がいいぞ」

「親友相手になんて口の利き方だよ。お前の恩人をディナーに招待してやったのによ」

「恩人だ? 巴が? 俺がこいつの面倒をみてやってるのにか」

「いいから聞け。ほら、巴」

「村長から言ってやってくれ。今回の責任者は村長だろう」


 ため息を吐いた御陵は説明を始めた。巴の、今日1日の『馬鹿馬鹿しい無茶』について。

 巴は今日、ずっと役場の公衆電話で電話をかけ続けていた。

 秋吾が誤って郵送してしまった村の書類だが、どういうルートを経て送られてしまったのか、詳細は分からない。ただ、送り先の名前3名だけは秋吾が明確に覚えていたことと県内の人だというのははっきりしていたので、巴は総当たり作業で確認することにした。

 県内の秋元、秋山、秋口の苗字の人に片っ端から電話をかける。正確には、国発行の電話帳で、上から順々に電話をかけていった。先日配達された郵便に、妙な書類が混ざっていませんでしたか、と。

 電話先の総数をカウントした時は、さすがに巴も軽く悲鳴を上げた。


「多いよ。多すぎるよ。秋元さん、全ての市町村に名前あるよ」


 気が遠くなりそうな単純作業を繰り返した。

 まず『秋口』の家が終了した時にはお昼を越えていた。苗字の数が少ない順に手をつけたが、それでも口から諦めの呪詛が出そうになる。

 次は『秋元』。全国に比べると県内での数は少ないが、総数だけでみれば恐ろしい数だ。もし全国規模で電話しろと言われたら2月はかかりそうだった。


 秋吾は呆れを越えて身を震わせて巴を見た。怒鳴りたいのを我慢しているのだろう。


「……馬鹿か、てめえは。んなもん、成功するわけねえだろ。馬鹿か」

「ああ、怒鳴り散らすご老人とかもいて大変だったよ。だったら迷惑料寄越せなんて人もいたけどな。間違いなく違うと思ってすぐに切ったけど」


 村の公衆電話を使ったのは第一に通話料が無料というのが大きい。巴といえどもそこまで金は掛けられない。そして第二に、電話番号が役場のものだったからだ。通常の電話番号なら悪戯や詐欺を予感させて相手にしてくれないが、役場なら少しは信用してくれると踏んだ。


 そして、業務終了の17時直前。御陵がもういいと巴を止めようとした時。


「150件くらいかけたかな。秋元さんだったよ。人の好さそうなご婦人なのが幸いした」

「それはお前のことだろうが」


 秋吾が軽蔑するような罵声を浴びせて黙った。もちろん照れ隠しだ。

 巴は苦笑して続ける。


「お前のお父さんの機密保持に関わるから言わないけど、そっちもそれなりに重要な郵便だったらしい。だから変だなって、向こうも一応保管していたそうだ」

「……そんなもんありかよ」


 脱力した秋吾を御陵がたしなめる。


「ありにしておけ秋吾。こいつの無理はいつものことだが、今回に限ってドンピシャだったんだ。子供の声だからっていい加減な対応しなかった先方のお人柄にも感謝しておけ。観音様か仏様のような人がご在宅だったわけだよ。俺が代わって確認した。間違いなく紛失した書類だったぞ。今日はもう遅いから、明日人を遣って直接取りに伺わせる。……お前も行くか?」

「行くかよ。俺に責任取れねえって言ったのはどいつだよ」

「そうだな。連絡先とかもきちんと聞いておいた。ほらもう全部解決だから飯食って寝ろ。まあ詫び賃で相手側にいくらか払う必要があるからな。お前のお年玉は来年からなしだ」

「いらねえよ」

「そこは突っぱねない方がいいよ。小学生のお年玉は年収に等しいから」


 とりなす巴を優しげに見降ろした御陵は、柔らかい表情を浮かべて秋吾を諭す。


「てめえの悪友に免じてロハにしておいてやる。その代わり巴のこと構ってやれ」

「いや、村長それは」


 巴は秋吾に貸し借りなど作るつもりもない。なにより、秋吾自身が何かと巴に厄介をかけられた後で、礼などいらないと怒鳴る。

 それでもついありがとうと言ってしまうのが、巴の良くない癖なのかもしれない。

 秋吾はこたえるように視線を外して黙った。

 巴は目の前の悪友が、泣き言を漏らしたことも、泣き腫らしたこともないのをよく知っている。痩せ我慢じゃない。後ろを振り返り立ち止まることをしない――それが秋吾の哲学だった。

 暫くしてふっと息を吐いた秋吾は不敵な笑顔を見せて巴に向き直る。

 ありがとよ、とだけ呟いて。


「しかたねえから受け取っておいてやる。今朝珍しく相談に来ただろ。構ってやるの、あれの話からでいいよな。いいといえ」


 これだからうちの孫は馬鹿なんだと、苦笑して御陵は靴を脱いだ。


「そういえば、お前今朝、何の用事で来たんだ?」

「ああ。ちょっとハイキングに行こうと思って。『上』の展望台のこと聞きたかったんだ」

「……一人でか?」


 見透かされている。巴が己の趣味に対して自発的に動く少年でないことは、秋吾にはお見通しだった。

 大概が誰かのため。だがこちらも既に答辞の文書は用意してある。


「今度書く小説のネタにでもしようと考えてたんだけど……。おかしいかな?」


 先を行く御陵はそのまま飲み込んだようだが、秋吾には通じなかったらしい。


「おかしいが、まあ深くは聞かねえよ。明日にでも資料をコピーしてやる。お前も飯食って行けよ。おいお袋! 巴の夕飯追加してやってくれよ!」


 奥の母親に怒鳴ってから、足音を立てて秋吾は去って行った。


「じゃああんたの分を巴ちゃんに回すから。ほっつき歩いて昼飯取らなかった罰だからね」

「しょうがねえ。巴怒らせると怖いからな。あいつ、爺より怖えんだぞ」

「嘘おっしゃい馬鹿息子」


 黒沢家一同口の悪さは筋金入り。こんな一家に支配されているのだから、村全体にそれが感染するのも分かろうものだ。

 くくくと笑いを抑えた御陵が巴に耳打ちする。嫌な予感がした。


「実はあそこ、ベルでも置いてだな。それ鳴らさせて、カップルが愛を叫ぶ場所にして人を呼ぼうとしたことがあってだな」


 それは、県西の村の丘で既に実施されているイベント。

 そうえばこの人は政策を横滑りして持ってくる悪癖があった。


「ひな連れて行ってこい。タイムリーだな」


 勘弁してくれ。


 巴は頭を抱えてしまった。仏の顔も三度までだろうに。

 巴とひなをからかう冗談もこれで四度目。やはり今日は仏滅らしい。

 仏様が不在だった。仏様のような人がご在宅で助かったというのに。


                  ◇


「それで――大事な書類はちゃんと戻ってきたの?」


 翌日の被服準備室。スカートのほつれを気にするひなが、まずそう言った。


「先方が県庁の大崎の人で、近かったのが良かったよ。朝一番で取りに伺ったって。村長自らここに報告してくれた。受けた涼子先生が過呼吸に陥ってたよ」

「可哀そうな先生」


 何事かと思うだろう。

 詳しい事情は話さなかったが、例の問題は解決したと、黒沢の馬鹿と八洲に伝えてくれとそれだけ申し伝えて御陵は電話を切ったそうだ。

 休み時間に戻ってきた先生は、顔を真っ青にして二人に詰問した。


『ねえ黒沢君! と、八洲君。強盗とかしたの? もしくは賽銭泥棒? それとも尚君の畑に入って野菜泥棒とか!? 私、監督不行き届きで免職されちゃう!?』


 普段からどういう風に見られているのか、巴たちは。


『何をやらかした阿保!』

『なにもやってねえよ、バカ、やめっ――!』


 紅緒に飛び蹴りを入れられてダウンした秋吾に代わって説明。もう逃げ出したくなった。

 涼子先生は泣いて納得してくれたが、紅緒は秋吾を介抱することもせず教室を出て行ってしまったので、二人の騒動をどう捉えたのかまで知らない。

 聞き終わったひなは微笑んで巴を労わってくれた。


「――お疲れ様、巴君。頑張ったね」

「ありがとう。さすがに昨日は疲れたけど、もう平気だ。――放課後、展望台に行こうか」


 日はまだ高いが、そろそろ出ないと帰宅が夜になってしまう。

 いいのと、恐る恐る問うひなに巴は黙って頷く。ひなは俯いてから巴の隣に座った。


「あなたの『一生懸命』を受け取った黒沢君が羨ましいな」

「お前が同じような状況だとしても、僕は同じことをしたよ。……まあ、ひなの場合はもっと必死にやったかもしれないが」

「そう。……嬉しいな。きっとやってくれるよね」


 ひなは巴の片頬をすりすりと触った。妙にくすぐったい。


「ところで展望台はどんな場所なの? パンフレットを貰ってくるって言ってたよね?」

「特記したものはないんだ。早く行こうか。今日はひながいてくれるなら、僕の一日も楽しいものになりそうだ」


 巴はリュックに目をやる。秋吾が印刷してくれた丘陵案内だけではなく、御陵が無理やり持たせた愛のベル計画案まで入っているのだ。

 あのパンフレットをどう処分するか。巴は道中、頭が痛くなるような予感がした。

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