神代弥生の吐露

 神代を寮まで案内して、そして神代の部屋まで案内してもらった。ちなみに、神代は自身の部屋の位置を忘れていたらしく、辿り着くまでに少々時間を費やしてしまった。


 神代に部屋の鍵を開けてもらい、中に入る。そして、神代は自室の椅子に腰かけ、僕にはベッドに座るようにと促す。女子のベッドに座るのはどうかと躊躇う気持ちもあったが、気にしないことにした。


「で、話ってなんだ?」


 僕は問う。第一の要件である。


 対して、神代は簡潔に答える。


「真理にタワーの攻略に協力してほしい」


 タワー。

 それは、かのタワーシステムにおいてアカウントを作成した生徒が攻略を目指すことになる100階建ての仮想のタワーだ。俗に「学園タワー」とも呼ばれる。各フロアで提示されるミッションをクリアすることで次のフロアに進むことができ、それを繰り返すことで100階まで攻略することが最大の目標とされる。なお、過去45年の学園史において、最高到達点は75階。一筋縄ではいかないらしい。

 ……というのは、先ほどのオリエンテーションで示されたことである。


「お前が頼みたいことは分かった」


 とりあえず、僕は「神代の言っていることは理解できていますよ」とアピールしておく。


「ただ……」


 そして、続けて逆接の接続詞を持ってくる。

 現代文ならばこの後の台詞が重要となってくるわけだが、今回も同様である。


「2つ、聞かせてもらうぞ」


 まずは端的に用件の数を提示する。


「まず、どうして僕に協力を仰ぐんだ?」


 正直なことを言うと、僕はこのタワー攻略というものにあまり乗り気ではない。学生の本分は勉強であり、ゲームなどにかまけている余裕などないのだ。いくらこの「タワーシステム」が学習意欲の高揚のために役立っているといっても、僕には関係ない。このようなシステムがあろうがなかろうが、僕の学習意欲は変わらない。

 それに、神代としては出会ったばかりの僕よりもかねてからの知り合いである士堂に頼んだ方が気が楽なのではなかろうか。士堂のポテンシャルがいかなるものかということについては全く推し量れていないものの、僕よりはゲームの攻略をスムーズにこなせることであろう。というよりも、僕にそれだけの器量があるとは思えない。


「真理は弥生の奴隷だから……」


 などと考えていると、幻聴のようなものが聞こえてきた。


「えっと……、今なんて……?」

「真理は弥生の奴隷だから、弥生と一緒にいる義務があるの」


 どうやら幻聴ではなかったらしい。多分、ここは押し問答を重ねても神代を説得することは不可能であろう。



 であれば、次の疑問を呈することにしよう。


「それじゃあ、どうしてお前はタワーの攻略をしたがるんだ?」


 タワー攻略そのものの目的さえ覆してしまえば、神代がタワー攻略に勤しむこともなくなるし、結果として僕が巻き込まれることもない。根源を絶つことによって解決を図れるというのが僕の目論見だ。


 すると、神代は先ほどまでの傍らに人無きが若き様相とは打って変わって、ポツポツと言の葉を紡ぐのであった。


「……お父さんを見返したい」

「お父さん……?」


 唐突に飛び出したワードにやや動転しつつも、僕はリフレインする。


「弥生のお父さんは、弥生のことを否定するから……」


 …………ここに来て、また難問の予感である。


 神代の父が神代のことを否定するとはどういうことか、という問いが立ちそうではあるのだが、おそらくこれは解答不能な問いである。


 まず、あまりにも文脈が不足している。例えば、神代のバックボーンを知ることができる何かしらの表現さえあれば、その言葉を解剖する余地もあるだろう。しかし、今のところはそれが提示されていないし、神代自身もそれを語ることもないだろう。

 そして、僕はそれを聞き出すこともできない。神代のパーソナルな事情であり、かつ、神代が具に語ろうとはしないことである。そこに部外者たる僕が軽率に首を突っ込んでもよいものであろうか、ということだ。勿論、よくない。その事情が僕に利害をもたらすわけでもないし、僕が詳細を尋ねるだけの客観的な理由も見当たらない。


 実に難問だ。



「だとして、タワー攻略とは結びつかないように思えるのだが?」


 であるなら、攻め口を変えてみる。

 現状、神代が父を見返すことと、タワーを攻略することの相互関係が見当たらない。どうしてタワー攻略が見返すという行為につながるのかが不明なままなのだ。


 すると、神代の口から語られたのは衝撃の事実であった。


「……75階って記録を持ってるのは弥生のお父さんだから」


 僕はそれを聞いて、そして考える。

 ……ハードルが高くないか?

 学園史45年で打ち立てられた記録を超えることを彼女は目指していて、しかも僕にもそれを求めている。


 ……僕が強いて協力するだけの理由はないかな。具体的な問題点が明かされているわけでもなし、僕自身の利害に直結するわけでもなし。そもそも、ありもしない主従関係に基づいて協力要請されるなど理不尽極まりない。



 ここは丁重に断らせてもらおう。


「僕が他人の家庭事情に口出しするのもお門違いだし、そうした話なら当人同士で解決するのが筋ではないか?」


 僕は決して間違ったことは言っていない。仮に僕が家庭裁判所の人間なのだとしたら話は別なのだろうが、神代にとって僕は昨日出会ったばかりの人間だ。僕に協力を要請するというのは全くもって理に適ってないお話である。


「……真理は弥生の奴隷なのに、弥生に逆らうんだ?」


 しかし、論理は時に無力であるらしい。

 神代はベッドに腰かけた僕の方へと物理的に詰め寄り、あたかも押し倒さんというほどの勢いであった。僕が体幹でもって何とか耐えているというのが現状だ。

 体中のエクリン腺からじわりと汗が滲み出るのが感じられ、心臓が不気味に打ち鳴らされるのがこめかみにまで響いている。


「ちょっと待て。この状況は色々と……」

「弥生と真理の関係だから大丈夫」

「どこがだ?」


 大体、我々はそれほど親密な間柄でもなかろう。それに、その口ぶりは色々な意味で危ない。


「そんなことより、弥生に協力してくれるの?」


 神代のウィスパーボイスが的確に僕の鼓膜を震わせ、1発心臓がビクンと痙攣する。その振動は何度も何度も脳内で反響し、軽い脳震盪のような錯覚を覚える。背筋にも何か戦慄のようなものが走る。皮膚には鳥肌が立ち、視野には神代の姿が危険信号かのように映っている。


「……考えておく」


 畢竟、僕は神代に絆されそうになっていたのだ。そして、そこに論理は見当たらなかった。


 ……畢竟、僕もちょろい人間なのだろう。

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