運命の少女

 それにしても、歩くという動作は何とも不思議なものである。人間は二足歩行によって両手を使いこなす自由を手に入れ、その結果発展を遂げた。その素晴らしさは現在となっては日常に溶け込まれていて、誰にも意識されることはない。

 また、京都には「哲学の道」なるものがあるという。そこで西田幾多郎や田邊元などといった高名な哲学者たちが歩きながら哲学に耽ったという。また、近世で最も偉大な哲学者と言われるカントは、1つの例外を除いて毎日決まった時刻に散歩をしたという。彼らは歩くことによって何かを見つけようとしたに違いない。


 では、僕の場合は何を見つけられるといういのうだろう? そういった淡い期待を抱きながら僕は歩みを進めてみる。



 すると、先ほどとは別の教棟の入り口付近に、誰か人がいるのが確認された。


 この時刻に、このような場所に、人がいるのだ。これはある種の発見かもしれぬ。

 その人物に対するえも言えぬ興味が湧いた僕は、相手に勘づかれぬよう後ろから近づいてみる。

 そこにいる人物はこの学園の女子用の制服に身を包んでいた。どうやら、この学園の女子生徒であるようだ。それも、制服は真新しいようであるため、新入生である確率が高い。


 さて、だとすると、彼女はこんな時間に、こんなところで何をしているというのだろうか?

 僕が言えたことではないが。この時刻に学園にいる生徒というのも変わったものであろう。それに、この学園のあらゆる門から入ったとしても、目的地にたどり着くまでにこの地点は通らないはずだ。僕と同じく散策に耽っているのだろうか?

 僕はさらに興味を持ってしまったのだ。


 彼女は壁にあるものをじっと見ていた。僕も彼女が見ているに目を向けてみる。すると、それが来賓者向けの学園内の地図であることが分かる。

 これらの事実から考えて、僕は1つの結論を下す。そう、彼女はこの単純明快な学園内で迷子になっているのだ。


 ここで彼女の手助けをするだけのメリットも無いよな、と僕は見知らぬ彼女に話しかけなくて済む理由を模索する。その一方で、このまま彼女を放置しておくのも気が引けることだと思いなおす。ジレンマである。

 このジレンマの答えを出すことが困難であると悟った僕は、この問題をひとまず捨てることにして、今度は思考を極力排除した上で彼女という客体からの刺激を目に投影することにした。

 すると、何も考えなくとも、とある異変に気が付く。彼女は、何を考えているのかは分からないが、来賓用の地図と手に持ってあるパンフレット上の地図とを見比べていたのだ。


 ここで、僕の脳味噌は再び覚醒する。彼女がそのような比較――言うまでもなくそれは無意味な作業である――をすることに何か意味があるのであろうか? それとも、ただとんでもない天然ボケを発揮しているだけであろうか? ただ、どちらにせよ彼女は変わり者だということには変わりなかろう。

 このような彼女に対して、僕はやはり興味を抱かずにはいられなかった。そして、今度は彼女のことを、思考を携えたまま観察することにした。



 その時、1つの異変が起こった。

 彼女の体が前置きもなくぐらりと揺れたのだ。そして、そのまま力無く地面へと倒れ込んだのだ。



「……大丈夫か?」


 気が付いたら僕は彼女のもとへと駆け寄っていた。正直なところ、僕も自分の行動に吃驚びっくりしているところだ。


「…………っ」


 対して、その彼女もこちらに何かを訴えようとしているが、言葉をうまく紡げる状態ではないらしい。


「……熱でもあるのか?」


 彼女の顔が赤くゆであがっているのを確認して、そして察する。


「…………」


 対して、彼女の意識は薄れていく最中にあるようだ。


 さて、この状況において、僕は何をすべきであろうか? 答えは簡単なことである。彼女の一刻も早い救出が必要だ。


 問題はここからだ。



問 目前にいる彼女を助けるために、どのような方策を講じるのが適当か、簡潔に答  えよ。



 では、この問題を解くために、まずは分かっていることを整理しよう。


( i ) 彼女は高熱を発症しており、意識は朦朧としている。

( ii ) 僕は健康体ではあるが、精神がやや錯乱している。

( iii ) 僕たち2人の周囲には誰もいない。


 この問題を解く上で、( ii )は不必要な情報である。強いて言えば、僕に縛りがないということを示したに過ぎない。

 そして、( iii )によって他の人に助けを求めるという選択肢も封じられた。彼女をここにおいてこの場を離れるのも気が引ける。よって、僕が彼女を救出しなければならないのだ。

 救出方法としては、彼女を保健室へ連れていくというのが最適解であろう。幸いにも、僕の頭の中には学園内の地図がインプットされている。


 その上で、( i )の制約をどう搔い潜るか。彼女は意識不明に近い状態であるため、こちらの補助が必要なのは必定である。では、具体的にどのような補助か、僕は脳内で様々なパターンを洗い出し、シミュレーションを繰り返す。

 そして、1つの答えを出す。この答えには1つの問題点が存在するが、それは後で解消する他あるまい。


 ここまで考えた上で、僕は解答をたたき出す。


「少し失礼するぞ」


 僕はしゃがんで彼女の手を取り、背負う体制をとる。彼女はもはやその気力がないのか、抵抗することなく僕に背負われた。勝手に女の子を背負ってどこかに連れていくというのも気が引けることではあるが、これは不可抗力なのだ。仕方がないのだ。

 というわけで、僕は彼女を保健室にまで運び、ベッドに寝かせたのだ。



 そして、人がいなかった保健室にそれ以降誰かが来るということもなく、現在に至るというわけだ。

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