入学式のその時

 ふと壁に掛かってある時計を見ると、9時を回ったところであった。

 その時計が3本の腕を周期的に、無機質に回しているのを見ながら、僕は人類の虚しさに思いを馳せる。



 ……つまるところ、何が言いたいのか?



 そもそも、時刻という概念は如何にして出来たのであろうか? 一般的には、農作業の便のために出来たと言われている。

 元来、人類が暦の代わりに利用していたのは自然であった。人々は春の息吹の訪れを感ずることによって畑に種を蒔く時期を見定めたものだし、秋の動物たちが鳴き声を発したのを機に農作物の収穫をしたものだ。


 しかし、それでは不都合が生じてきたために、人類は考えざるを得なくなったのである。その思考の結果として生まれたのが、暦である。

 そして、その暦によって人々が縛られることになったのだが、この話をすると構造主義やらの話まで脱線しかねないので、またの機会に話すとしよう。


 時刻という概念について、さらに考察を深めてみる。

 我々が属する小さな「世界」から抜け出して考えると、時間というものは我々の虚しささえも浮き彫りにしてしまう。


 例えば、誕生日について考えてみよう。

 誕生日を心待ちにしている人は意外と多い。しかし、冷静に考えてみると、およそ365日に1度訪れる日を、どうしてこれほどまで楽しみにするのだろうか。どうしてこれほどまでお祝いするのだろうか。


 さらに、話は変わるが、1年という区切りもまた、人間本意のものである。1年という単位が無くなったとしても、太陽は一定の周期で天球上を移動する。もっと言えば、人間が存在しなくても、宇宙における時間は何ら差し支えなく進み続けるのだ。


 結論を下そう。時間というものは、人間というものは、実につまらないものである、と。


 さて、僕がこのような話を開幕早々始めたのには当然理由がある。一種の自己正当化のためだ。


 すなわち、入学式にも関わらず保健室の椅子に座って、目の前のベッドで横になっている少女をただ眺めているだけの僕を正当化しているのだ。空しい世の中で入学式なんてものは大した問題ではないのだ、と。


 では、何故このようなことになってしまったのか。それは、今から2時間ほど前に遡る。



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 4月8日月曜日。今日はこの私立当麻とうま学園の入学式である。

 僕たち新入生の集合時刻は8時と伝えられていた。そして、式典は8時半から始まるということも伝えられていた。


 しかし、僕はかなり慎重な質である。(尤も、待ち合わせをすることなどほとんどないが)どこかで待ち合わせをするときは、待ち合わせ時刻の30分前には着くようにしている。さらに、今回に関しては入学式だ。ますます遅刻するわけにはいかない。

 などと考えた結果、だったら30分前の30分前、すなわち、1時間前に着くようにすればいいではないかという、数時間後の自分――まさにこうやって保健室の椅子の背もたれにもたれかかっている自分――が鼻で嗤いそうな考えが頭の中に思いついてしまったのだ。

 そして、あろうことか、僕はそれを見事に実現させてしまったのだ。


 7時ちょうど頃であろうか、僕はかの当麻学園の門の前に立っていた。思ったより小さな校門だ。貸し切りバス1台が安全に通れる程度の幅である。門の素材も金属に何かの塗料が施されているだけの簡素なものである。

 全国的にも有名な私立学校だというのにこのような外装でいいのだろうかと一瞬だけ思ったのだが、逆にそれがこの学校のいいところであるのかもしれないと思いなおしてみる。ポジティブに考えるなら、不必要な資金は使わないということであろう。


 さて、僕はそのような思索に耽りながら門を潜り、パンフレットに書かれてある当面の集合場所、第二教棟の入口に向かう。学園内の地図は頭の中に入れてきているし、そもそも学園自体がコンパクトにまとまった立地をしているので、全く迷わなかった。むしろ、迷う方が難しいくらいであろう。……やはり、無駄のない学園である。


 そして、第二教棟の入口に着くと、待ってましたと言わんばかりに大きな白い紙が待ち構えている。新学期定番のアイツだ。クラス分けの掲示だ。他の人はまだ誰一人と来ていない。僕を待ってくれているのは紙だけということか。

 1クラス40人でA組からD組まである。入試の倍率と受験者数からある程度分かっていたことだが、どうやら1学年160人らしい。


 その中から自分の名前を見つけ出そうとすれば、大抵の人が以下のようにするだろう。

 まず、出席番号が五十音順であることが確認できれば、自分が出席番号の前半か後半かを推し量る。そして、前半だと思うのなら各クラスの頭から、後半だと思うのなら各クラスの後ろから目を通す。自分の名前を通り過ぎたと分かれば、次のクラスに進む。この繰り返しだ。カクテルパーティー効果ではないが、自分の名前というのはなかなか見逃すこともない。だから、この方法を使うことで割と早く見つかるのだ。


 さて、僕もこの方法を用いて自分のクラスを探して見るわけだが、すぐに見つかった。1年A組14番、菅原すがわら真理しんり。あれこれ考える必要もなかった。ただ、頭から見ていけばよかっただけだ。


 だからといって、次に為すべきことがあるわけでもない。つまり、暇が待ち受けているのである。

 暇つぶしがてら、自分のクラスの他のメンバーの名前にざっと目を通してみる。それを3かいくらい繰り返す。すると、大体は覚えてしまう。そして、また暇になる。


 暇になったのでどうしようかと僕は再び考える。まだ既定の時刻まで1時間もあるので、担当の先生というものもまだ来ていない。何か単語帳の類でも持って来ればよかったと後悔するが、時すでに遅し。



 ……そうだ、学園の探索に出かけよう。思い立ったが吉日だ。


 というわけで、僕は散歩に出かけていた。勿論、そのことが厄介なの端緒になっていたことなど、当時の僕には知る由もなかった。

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