第6話 おとこらしくはないけれど
そうしてカミトさんによる俺の修行が始まった。
ずっと旅をしてきたカミトさんは現在この神殿廃墟を借りて生活しているとの事で、俺は異世界人に貸し与えられたアパートから朝一で訪れ、夜になる前にボロボロになって帰るという日々がしばらく続いた。
野宿は大変ではないかと、カミトさんをアパートに誘った……正確に言えば場所を交換しようかと提案した……のだけれども、カミトさんにはここが落ち着くからとやんわり断られてしまった。無念。
さておき。
最初は、戸惑う事ばかりだった。
修行そのものもそうだし、時々無防備な姿を見せるカミトさんの事、この街の――想像以上に俺達の世界に近い部分と逆に隔絶している部分の事、魔物ではなく動物を狩って食料とする際に思いきり足手まといになった事、元居た世界の経験から可能だろうとたかを括っていた事柄が思いの外そうではなかった事などなど。
驚いて、失敗して、少し痛い目を見て……最初の一週間は決して、楽しい事ばかりではなかった。
元居た世界でも驚き、失敗し、痛い目を見るのは変わりはなかった。
抱いた感情も、カミトさんの存在で和らぐ事はあっても、そのものは大差なかった。
強くなろうと思っても、そう簡単にはならない自分自身に、相変わらず苛立ちを覚えた。
だけど、どうしてだろうか。
次の日にはがんばろうと思えた。昨日できなかったことを今日こそはと思えた。
俺はこんなにも前向きな人間ではない、というか今も後ろ向きのはずなのに。
不思議と困難に立ち向かえた時間――――それは文字どおり、心躍る日々だった。
そんな驚きと共に、二週間の時が流れた。
「……よくできました」
カミトさんは笑顔で拍手を贈ってくれた。路地裏から戻って来た俺に向けて。
修行のひとまずの終了、いわば卒業試験は、かつて俺が手痛過ぎるトラウマを負った裏路地を一周してくる、というものだった。
嫌だったら別の試験をするけど、とするカミトさんを、俺は躊躇いながらも否定して、恐怖を抱えながらも挑んだ。
カミトさんの言葉「よく見ればなんてことはないから。今の憂治君なら、簡単ですよ」を脳裏に過ぎらせながら、薄暗い道を進んだ。
昔の俺なら、ありきたりな、誰にでも言える言葉だと思うだろう言葉は、今は唯一無二の呪文のようだった。
その呪文に守られているから、よく分かった。
あの日の俺がいかに無防備で、辺りからの視線に無頓着で、何も見えていなかったのか。
今は違う。
激しい動悸は止まなかったけれど、視覚は、聴覚は、触覚は信じられないほどに澄んでいた。
何も言わず襲ってきた誰か……裏路地の住人を、強化された感覚で捌き、回避し、手加減した拳を叩き込んだ。
不慣れな、誰かに拳を叩き込む際の躊躇いは少しあったけれど、修行でカミトさんに放ってきた時に比べれば申し訳ないけれど、薄かった。
あの時とはまるで違っていた。
俺自身はきっと、何も変わっていない。
小さく、みみっちく、気が短くて、余裕がなくて自分勝手、そんな俺のままだ。
だけど、修行で身に付けた力は、心は、俺の幅を広げてくれていた。
視界が広がった分、世界は大きく、見やすかった。
「――――なんだ、ここって、こんなに狭かったのか」
『敵』と遭遇する中で奪った一部を返すからと言って土下座してきた人達がいた。
俺は――――もういらないと告げた。その代わりに、その分だけ誰かを襲わないでほしいと願った。
俺の衣服を奪った老人が遠くに見えた気がした。……俺は笑って小さく手を振った。
そうして、俺は傷一つ負う事無く、カミトさんの元へと戻ってきたのだった。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい。……うん、これならもう大丈夫。明日、冒険者登録する事を許可します」
冒険者登録……これを冒険者組合、いわゆるギルドで行う事で、魔物を狩って、賃金を得る立場を手に入れる事ができるようになる。
今日までは十分な実力を得るまではカミトさんが登録を認めない、そういう形を取ってくれていたのだ。俺の安全の為に。
いくら生き返れるとは言え、それを過信しないために。慣れないために。
そして今、この瞬間、登録を認めてくれたのである。
「やったぜ……ってめっちゃ喜んでる気持ちと、なんか寂しい気持ちがあるなぁ。明日からは冒険者に挑戦か、どうなるかな」
「この辺りの魔物の事はたくさん勉強したし、大丈夫ですよ。
……まだ私はこの町にいるつもりだから、修行も望むならこれからも一緒にしましょう」
「はい、力不足を感じた時はよろしくお願いします」
そう言って笑う。
正直、まだまだ修行してほしい気持ちはある……あるけれど、二週間も付き合ってもらって、これ以上彼女の時間を奪うのは心苦しかった。
二週間があまりにも濃厚で。充実していたからこそ、こんなにもたくさんの時間を使ってもらった事が骨身に沁みていた。
ここから先は、俺自身で探していこう。
強くなるための、自分の道を。
十分強くなったんじゃないかって、そんな気もしているけれど、正直足りない気がしていた。
修行中何度も組み手をしてきたけれど、カミトさんの足元には及ばないどころか、足裏の細胞にも及んでいない気がしていた。
……せめて足元まで及びたい――そんな思いが、俺には生まれていた。
でも、そう思いながらも――正直な事を言えば、頼みたい事が、お願いしたい事が二つ生まれていた。
だけど、きっとそれは男らしくない。
今時男らしい女らしいは古い言葉かもしれないけれど、俺がなりたいカッコいい男、そういう存在から離れた事はしたくない――――そういう価値観が間違っているとは思えなかった。
だから俺は、その男らしくない願いを口にしない事にした。
今はまだまだだけど、
だけど、本音を言えばやっぱりそうして願いを口にしないのが辛いから、カミトさんに頭を下げてから背を向けた。……やっぱりまだまだ男らしくないな。
「じゃあ、俺は帰ります。今までありがとうございました。この御礼はいつかちゃんとした形で必ず」
未練を断ち切れねば――そんな思いでカミトさんに告げて、歩き出そうとした矢先だった。
「……憂治君。その御礼を、今貰う事は出来ませんか?」
「え?」
予想外の言葉に足を止めて、思わず振り返る。
夕日に照らされて彼女は微笑んでいた。そのままで、彼女は言葉を続ける。
「今日の夜、一緒に過ごしてほしいんです。
せっかく修行も終わったから、憂治君とゆっくり話したくて」
「……し、知っての通り、俺あまり面白い話とかできませんよ」
苦笑しつつごく普通を装って俺は答える。
でも実際はそうじゃなかった。俺が願っていた事の1つが、まさに彼女の言葉そのものだったからだ。
それに気づくべくもない彼女は、微笑みを崩さないまま、言った。
「そんなことないですし、仮に本当にそうだとしてもいいんです。他愛ない事を話したいだけなんです。それに」
「それに?」
「私の方こそ、あまり面白い話が出来るわけじゃないですから」
恥ずかしげに語る彼女の言葉に、俺がどう答えたのか。
きっとそれは誰の想像の域も出ない、極めてありきたりなものだろう。
だけど、それでいいと思い、俺達は明日からの準備を済ませてから、これまでの狩りと買ってきたものの備蓄で夕食を作り、夜通し語り合った。
そうして、いろんなことを話しているうちに、俺は眠ってしまっていた。
朝目覚めると、カミトさんはどこかに姿を消していた。
焚火は完全に消火されていたし、俺には毛布が掛かっていたから、俺が眠るのを見届けてから別の場所で眠りに行ったのか、あるいは用事か、あるいは俺が出発しやすいように席を外してくれたのか。
分からないが、俺の予定は既に決まっていた。
今日から俺は冒険者になる。
目標はぼんやりだし、最終的にどこまで何をするつもりなのかも自分でもわからないけれど、手探りで色々なものを掴みながら進んでいきたいと考えていた。
「……よし」
装備に、資金に、武器に、身だしなみも万全。
朝食は通りすがりのどこかで食べればいいだろう。馴染みの店もできたので、そこにしようか。
最後に、彼女に挨拶をしていきたい気持ちと、そうしたくない、後回しにしたい気持ちがあって。
少し迷いながら、足を進めようとした、出発しようとした、その時だった。
「待ってください、憂治君」
いつから近くにいたのか、気付かなかったので驚きつつも、声を掛けられた事は嬉しくて振り返ると、そこには俺と同じ、ではないけど荷物をまとめて、身嗜みを、装備を完全に整えていたカミトさんが立っていた。
「カミトさん……?」
もしかして、この町を出るのかもしれない、そんな考えが浮かぶが、彼女が口にしたのは、それとは真逆の言葉だった。
「……色々考えてたんですけどね。
なんだか、乗り掛かった舟というか、私も、新しい事に挑戦したくなったというか。
えと、つまりね。私も、冒険者になろうと思ったんです。
いつまで続けるかはまだ考えていないけれど、それで、その、もしそれでもよかったら、私と一緒にパーティーを組んでくれませんか?」
パーティー。
RPGにおいて共に戦う仲間の事。その意味は異世界でも変わらないようだ。
――――それは、俺が封じたもう一つの願い事。
結局、二つとも俺がどうこうする前に彼女に言わせる形になってしまって、なんというか情けない気持ちになる。
昨日の俺より今日の俺の方が男らしくない気がしてならない。
そんな俺に内心ゲッソリしつつ、せめて外面位は、と、男らしく力強く親指を立てて、了解のサインを形作った。
「……カ、カミトさんがよければ、こちらこそ」
だけどやっぱり後から言葉にもした方がいいんじゃないかと慌てて付け加えたせいで噛んでしまった。
結局男らしくない部分を幾度も重ねて、いたたまれない気持ちになったけど……悪い気分じゃない――――どころか、正直スキップしまくりたい気持ちだったのは、やはり言うまでもない事だろう。
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