第3話 みにくいこころ

「……気が付きましたか」


 ぼんやりと目を開くと、俺・山田やまだ憂治ゆうじは自分が床の上で毛布を掛けられ寝かされている事を理解した。

 声の元を見ると、そこには床の上で正座して、穏やかにこちらを眺めている女性がいた。


「まだ寝ていてください。傷の回復は行いましたが、きっと心は追い付いていないでしょうから」


 ――――美しかった。


 俺が今まで出会った、テレビやフィクションなどで知った芸能人やキャラクター……そういったものが簡単に色褪せるほどに。

 どこかふんわりとした黒く長い髪、整った目鼻立ち、雪のようにとまでではないが白く美しい肌……そういった容姿の美しさだけではなく、所作、雰囲気、そういったものが綺麗だった。

 俺達の世界よりもずっと綺麗な夜空、そして月光が、崩れた天井から照らすその女性にただただ見惚れてしまっていた俺は、そのばつの悪さを誤魔化すように、口を開いた。


「あ、ありがとう、ございます。助けて、いただいて。自分は……憂治、山田憂治と言います」

「やはり異世界の方ですね。失礼、私はカミトと申します。旅の外道僧げどうそうでございます」

「外道、僧?」

「かつては神職に携わりながらも信じるべきものを信じられなくなり、別の神を信仰するようになった――道を外れた僧侶の事です」


 改めて彼女の姿を見ると、俺がいた世界の僧侶とこちらの世界で出会った巫女の纏うころもが入り混じったようなデザインの黒い服を纏っていた。

 昼間の巫女さん達の姿が白主体であるのと真逆である事が道を外れた証なのか彼女の嗜好によるものなのかまでは今の所分からない。分かるはずもない。


「今の私は外神バーレト様を信仰しております。貴方方の住まう世界の神……ですが、貴方方はあの方を知らないのですよね。なんとも不思議なものです」


 クスリ、と小さく笑みを零す女性……カミトさん。

 綺麗なだけでなく、大人らしくも可愛さのある笑みに思わずドキリとしてしまう。


「不思議……自分達が自身の世界の神を知らないのに、違う世界の貴方がその神様を信仰している事、ですか?」

「貴方のお言葉どおりです」

「……なんというか、表現として正しいのか自信はありませんが、面目ないです」

「ふふ、お気になさらず。

 バーレト様は優しく寛大な方ですから。きっとその在り様を咎める事なく許されるでしょう。

 そんな素晴らしい女神だからこそ、私はかの方へ信仰を捧げているのです」

「その、こちらに来る前に、世界の神様……トゥーミ様、に会いましたが、悪い方、のようには見えませんでしたが……」

「……私が一方的に信仰できなくなっただけですので」

「あ、いや、その、すみません。知ったような事を言ってしまいました」


 こちらの世界の神様の名前を口にした瞬間、カミトさんの表情が強張ったので、俺は慌てて言い繕った。

そんな俺に彼女は小さく微笑みながら、小さく首を横に振って見せた。


「こちらに来たばかりですから、知らない事もたくさんでしょう? 

 まして私のような個人の事情など知る由もないのが当然ですから。

 ……でも、知っていた事も貴方にはあった筈です」


 表情を少し真剣にしての言葉……それは、裏路地に足を踏み入れた事、なのだろう。

 そこで俺はようやく先程までの全てを脳裏に甦らせ……思わず顔を顰めていた。


 全部を失ったわけではない。

 なにかしらトラブルを想定して、受け取ったお金の半分はまだ神殿に預かってもらっていた。

 だけど、金銭よりももっと大事なものを、俺は失った気がしていた。


「そうですね……忠告されていました。裏路地に入ってはいけないと」  


 なんとなく起きていたくなり――彼女と視線を合わせたくなって俺は上体を起こした。

 その際、服をちゃんと着ていた事に今更ながらに気付く。

 纏っていたのは、彼女の今着ているものと同じ僧服とでもいうべき衣服。おそらく見かねて彼女が予備を貸してくれていたのだろう。


「では何故……いえ、愚問ですね。貴方は、裏路地にいる誰かを助けようとしたのでしょう」


 どうしてそれを、そう問いかけようとすると、彼女は俺のすぐ横に置かれていた、薄汚れた緑色の小瓶を指さした。


「貴方の手に握られたそれは、きっと裏路地の住人のものでしょう。

 大方、貴方を騙した後ろめたさから手持ちのものを交換のつもりで、という所でしょうか。

 ……あらゆる意味で、釣り合っていない事に気付かずに。

 さておき、人を助けるという事はとても素晴らしい事です。ですが、状況の把握も十分に出来ていないままのそれは、時に人を傷つけるものです。今回貴方が傷ついたように」

「……じゃあ、どうしたらよかったんでしょう」


 彼女の説教めいた言葉……いや、違う、こちらを気遣っての言葉だ。

 そんな言葉に憤ったわけではない。

 だけど、ただ、問い掛けたかった。


「誰も見て見ぬふりで、見捨てたら、見捨てた誰かが傷ついたり最悪死んだりしていたかもしれない――その時そこまで考えていたわけじゃなかったんですが、助けを求める声を聴いていたら、放っておくことが出来なかったんです」

「それは……」

「いえ、すみません、分かってるんです……俺がちゃんと後先を考えていなかったのが、間違いだったんです。ちゃんと、もっと考えたらよかったんです」


 焦りを、怒りを、苛立ちを抑えきれず、感情のままに、最適解も考えずに動いた。

 もっと正しい選択が、後悔しない選択がもっとあったかもしれないのに。


「あるいは、貴女のように、俺が強ければよかったんです……」


 安心して意識を失う前、俺は見た。

 俺から彼女へと標的を変えた男達が、警告を受けても引かなかった男達が、何かしらの拳法か、一瞬のうちにカミトさんの素手で叩きのめされる様を。


 そんな、彼女のような強さがあるわけでなく、その癖ろくに考えもせず迂闊に動いた結果が、今の俺。


「ホント、もう、お恥ずかしい限りです。ただ、情けないです――――」


 誰にも迷惑を掛けたくないと、それをモットーにしながらも――――目の前の女性に迷惑を掛けてしまった。


 異世界に来ても、何も変わらない。

 異世界に来てまだ一日も経っていないのに変わる何かがあるはずもない――そう分かっていても、なんの代わり映えもしない、ちっぽけな自分が嫌になる。

 心底情けなかった。ただただ恥ずかしかった。どうしようもなく悔しかった。


 どうして、俺はこんなにも。


「俺は――――――――――――俺は……ッ!! あ、いえ、その……すみませ……」


 込み上げてきた感情のままに叫びそうになって、俺は懸命にそれを堪えた。

 だけど、そんな俺の、毛布の上で形作っていた握り拳に、カミトさんが優しく手を添えた。包み込んでくれた。


「よかったら、叫んでください。話してください。幸いここは街から離れた小さな神殿の廃墟。周囲には誰もおりません。そして、貴方のような方の力になるのが、私の望みであるがゆえに。

 そんな私の矮小な我が儘を叶えるために、よろしければ」


 優しいのは手だけでなかった。表情が、纏う雰囲気が、こちらを気遣う心が、全てが優しかった。

 そんな優しさに……元居た世界でも受けた事がないような優しさに触れて、俺はたまらなくなり――――思わず零していた。


「カミトさん……」

「はい」

「俺は、俺は……許せない……腹立たしい……憎い……嫌いなんだ……! 

 理不尽が……! 何の因果もないのに、襲い掛かってくる理不尽が、対象は誰でもいい悪意がっ!! 

 誰かに助けてもらいながら、感謝すら示さないやつが! 

 自分の価値観を押し付けてくる奴が!!

 自分の行動が誰かに迷惑を掛けているだなんて考えもしないやつが!!!」


 今日の事だけでなく、今までの自分の人生への抑圧してきた感情を思う様に、吐き出してしまっていた。

 これまでは口にする事そのものが誰かの迷惑になるからと風していた言葉を。

 こんなにも綺麗な人に吐露する事のいたたまれなさ、不甲斐無さ、自分という存在の小ささ、気持ち悪さ――――それを只管に痛感しながらも、言葉を堪える事が出来なかった。


「そんな全部を押し付けてくる世界も、どれもこれも憎らしくてたまらない……! 

 だけど、だけど……一番憎いのは、許せないのは……! 俺自身なんだ……!!」

「――――――っ。貴方、自身が……?」


 俺の言葉に、彼女は何か衝撃を受けたのか、呆然としていた。

 だけど俺はそんな彼女に構う事無く、言葉の羅列を、感情の爆発を叩きつけてしまっていた。


「そうです、そうなんだよ……!!

 今日の事だって、そうだ! 心の、頭のどこかでは何かで裏切られる可能性は考えてたんだ……! 感謝されないかもしれないとか、見返りはないとか、失敗して痛い目を見るとか、浮かんでたんだよ……!

 だけど、いざそうなってみたら、俺は後悔した……!

 どうなっても助けようとしたことを、後悔しないつもりだったのに、後悔してやがった……!

 ずっとそうだったんだ……! 

 誰かの力になりたいとか、優しくなりたいとか、そう思って、何も見返りなんかいらないと思ってたのに、いざ何もないと失望してる身勝手な自分に吐き気がするんだ!

 身勝手で、自分勝手で、弱くて、理不尽に翻弄されて、屈するだけの自分が……俺は憎い……俺は……俺は、こんな気持ちが浮かばない位、強くなりたいのに、なれない自分が……嫌いで嫌いで、憎くて憎くてたまらないんだ……!!!」


 今まで誰にも語った事のない、独り言ですら口にはした事のない、自分への侮蔑。

 口にしちゃいけないと思っていた。認めちゃいけないと思っていた。

 そうしたら、俺は全部が――自分自身の全てが無価値になって、もうなにもかもどうでもよくなってしまいそうで、怖くて怖くて……。


「――――あ」

「……大丈夫。怖いのは、自分が嫌いなのは、私も同じです」


 次の瞬間、カミトさんは震える俺を優しく抱きしめてくれていた。

 子供をあやすように自分の胸に俺の顔を埋め、受け止めてくれた。


「自分の弱さを認めたくなかったんでしょう? 認めたら最後、何もかもを放り出してしまいそうで、たまらなかったんでしょう?

 私も、私の弱さから、私の神を信じられなくなって……今もまだ、信じられてないんです。あの方も、私自身も……。

 同じです。私も貴方も同じ、ただの迷子です。

 だから、迷子同士、今は泣きましょう?

 私は、貴方が泣くのを許します。

 だから、貴方は……私が泣くのを、許してくれますか?」


 こんなにも恥知らずで情けなくて気持ち悪い俺を受け入れてくれたカミトさん。

 涙で視界はぼやけているけれど、彼女は確かに存在している。

 俺を抱きとめてくれている事が、その証明だった。


 そうして俺の視界が揺らいでいるせいだから、なのだろうか。

 そんな彼女もまた、俺と同じように声を震わせて叫んでいたような、止めどなく涙を流しているように思えた。


 ああ、それは嫌だ。

 勝手な妄想なのかもしれないけれど――こんな、素敵な人が悲しんでいるかもしれない……そんな事を許したくなかった。


「――――許します……!! 

 許しますとも……泣いていいんです!! 貴方だって、泣いていいんです……!!」


 だから、俺は、自分だったら告げてもらいたい言葉を、ただ心のままに呟いた――いや、叫んでいた。

 俺を受け入れてくれた彼女こそ許されるべきだと伝えたくて。


「あぁ――――ありがとう……ありがとうございます……」


 これまでの全ては、僧侶たる――人の悩みを聞き届ける職業たる彼女による、俺の感情を引き出す為の演技である可能性もある。

 なんて醜いんだろうと吐き気を催す。

 そんな考えを過ぎらせる自分の弱さこそが、勝手なものの見方しかしない自分の醜さこそが、俺は憎い。


 でもだからこそ、俺は、今こそそんな自分を否定するべく、信じたかった。

 彼女もまた、本当に俺と同じ気持ちなのだと信じたかった。信じようと思った。

 俺と同じように彼女にも泣いてほしいと、全てを吐き出してほしいと――――強く強く願った。

 

 そうして互いに吐き出し合い、抱きしめ合う中、ふと何気なく思い出す。


 俺が助けようとした老人が、夜は冷える、と言っていた事を。

 確かに、今日はきっと冷えているのだろう。

 崩れた天井やボロボロの壁から流れてくる寒風は、間違いなく人の身体を凍えさせる筈だった。


 だけど、今はその冷えた空気が何より心地良かった。

 互いの熱を感じる今だけは――――その寒ささえ愛おしかった。


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