第2話 きけんなうらろじ

「た、助けてくれぇぇぇぇっ!!」


 悲痛な老人の叫びが、この辺り一帯に響き渡った。

 俺・山田やまだ憂治ゆうじが声の聴こえた先を目で追うと、そちら側は薄暗い……表通りの喧騒から、様々な意味で離れているらしい裏路地の方だった。


 その瞬間、つい先刻色々と懇切丁寧に教えてくれた巫女が、唯一笑顔でなく、心底真剣な表情で告げた事を思い出した。


 すなわち『裏路地には、絶対に入ってはいけません』だ。


 表通りは普通の人々や俺達の為にきっちり警邏され、安全が保障されているが、そこの絶対安全を確実なものにするがゆえに、裏路地はそうではなくなっている――監視の目が緩くなっているのだという。


 元々この町は、あまり治安のよろしくない場所を神の指示の下に急ピッチで作り直した場所で。

 裏路地に表には置いておけない急ピッチゆえの歪み――治安の悪さを強引に押し込めざるを得なかったらしい。

 

 だから、裏路地での命の保証は出来ない、貴方達異世界の人が関わるべきでない、と彼女は真剣に伝え、絶対に立ち入らないようにお願いしてくれた。


 それ――俺に彼女が告げてくれた危険を、あるいはそれ以上の危険が存在している事が分かっているのだろう。

 道行く人々は――少なくとも、今この時の叫びが届く範囲内の人々は、それを見て見ぬふりをしていた。ごく普通の生活を続けていた。


 俺は周囲を見渡した。何度も見渡した。慌てて、焦って。

 だけど、誰も裏路地へと行こうとしない。皆それぞれの行先へと進んでいく。

 そんな人々を責めるような感情が俺の中に浮かぶも、そもそも俺にそんな資格はないし、見て見ぬふりが当たり前なのだと頭では分かっている。


 そうだ。そうなのだ。

 誰かを気遣うなんて、結局無駄。今まで少しでも誰かの手助けになろうとして、さんざん良い様に使われてきたじゃないか。報われてこなかったじゃないか。

 優しくあろうとか、親切にしたいとか、結局それは俺が二十数年で得た薄っぺらい良識の膜でしかなく、俺の本質はそんないいものじゃない。

 いいものじゃないから、見返りを求めたり、誰も俺を見てくれない事に勝手に腹を立てたりするのだ。

 そんな俺が、危ない目を見てまで誰かを助けるなんて、筋が通らない。中途半端。

 俺が助ける必要なんてこれっぽっちも。


「誰かっ! 誰かぁぁぁ!!」


 だけど。

 そんなにも必死な助けを求める声を、俺は生まれてこの方聞いた事がなかった。


 誰か、誰か。その声が求めているのは、誰でもいい誰かなのか、もっと違う誰かなのか。   

 少なくとも明確な個人を求めているわけじゃないだろう。

 少なくとも俺でなければならない筈はきっとない。


 でも、俺はそう分かっていながら思ってしまうのだ。思ってしまったのだ。

 もしも――もしも俺が同じように叫んで、誰も何も応えてくれなかったら。そんなの、あまりに悲し過ぎるじゃないか、と。


「くっそ!!!」


 誰にともなく俺は叫んで、心のどこかで巫女さんに謝りながら、裏路地へと、声の元へと駆け出した。

 太陽の光は当たっているはずなのに、どことなく薄暗い町の裏側へと。


 走る事一分も経たず、俺は声を発した主を発見した。


 俺の走る道の向こう側、行き止まりと思しき壁に背中を預け、何かを隠すように震えつつ、鉄の杖を振り回し牽制する老人。

 そんな老人を特に何をするでもなくニヤニヤ笑いながら、時々からかうように全然届かない範囲で剣を突き出している、俺と同じかそれより少し年上と思しきの数人の男達。

 薄汚れ、一部破れた服から覗く肉体は筋骨隆々という程でなくても、それなりに鍛えられている体つきだった。

 平和な国からやって来た俺からすればそれだけでも恐るるに足るものなのに、さらに全員剣を持っている。

 ……一歩、いや半歩間違えれば、死ぬかもしれない。

 背筋が凍るような感覚と、緊張ゆえに最高潮な鼓動から伝わる熱の相反で、どうしたらいいか混乱の極みになる。


「や、やめてあげてくれよぉっ!」


 それでも、何か、せめて持っているお金で交渉でもできればと、彼らからすれば脇道から現れた俺は、両者の真ん中に入り込んで、震えながら叫んで、そこで。


「ひゃぁぁっ!」


 背後に庇ったつもりの老人の雄叫びと共に、頭に衝撃が走った。

 パンッと頭が弾けるような音が鳴ったような、そんな感覚。


「え?」


 赤く染まっていく視界のまま、俺は訳も分からず崩れ落ちる。

 それと時を同じくして、衝撃が至る所から俺を襲っていく。頭、肩、腹、顔、脇腹、胸……殴られている場所がないんじゃないかと思えるほどに目の前にいた男達に殴られていく。

 その暴力の嵐の中で、俺は気付かないままに地面に倒れ伏していた。

 意識は何故か続いている。途切れてもおかしくないほどの暴行を受けたはずで、全身が、もう、熱いんだか冷たいんだか分からないのに。


 誰か。誰か。誰か――――――!!


 俺はきっと叫んでいた。助けに来たはずが、助けを求めていた。

 でも、見える世界はあまりにも広大で、救いの手も、声も誰にも届かないような気がした。

 そして――実際、何処にも誰にも届きはしなかった。


『こ、これでええんじゃろ? わしのお宝わたさんでええじゃろ?!』

『いいよ、んな小汚い小瓶なんざいらねぇよ。しっしっ! ほら、この袋、宝の山だぜ』  

『異世界人はビビって引っかからないかと思ったけど、御人好しがいたなぁ。ありがたいありがたい』

『やべぇよ! こんなだけあれば好き放題できるぜ!』

『ああ、酒、食いもの、女も……』

『先に上納金を……』

『殺しとく……』

『そこまでやったら手配……』


 途切れ行く意識の中、声が少しずつ遠ざかっていく……だけど、全身を駆け巡る激痛の所為で完全に途切れるような事はなかった。

 二度寝の狭間に見る夢のように、彼らが去った後、残された老人の声が響く。


『すまんのう、勇敢で優しい異世界の若者よ……夜は冷えるから、服が欲しかったんじゃ……。

 だから、その服、いただいていくぞ……必要ない分は売って金にさせてもらうの……。

 ほら、代わりにわしの宝をくれてやるから……』


 そうして何か、ひんやりした小さなものを握らされる。

 去っていく老人に言葉は何も出なかった。文句も、怒りも、悲しみも、全て打ち砕かれたような感覚だった。

 いや、もう、そうできるほどの命の余裕が、俺にはなくなっていたのかもしれない。

 全てが、真っ暗だった。


『綺麗な体してるなぁ……異世界はホント、いい所なんだなぁ……』

『この際男でもいいか、洗って使っちまおうぜ』

『飽きた時まだ生きてたら売っぱらっちまってもいいかもなぁ……ひひひ』


 いつの間にか日も落ちて、別の誰かが、もう奪うものがないはずの俺からさらに奪おうと集まってくる。  


 だけど、体は、心は動かない。動かせない。叫びたくても叫べない。

 虚ろな目と口から、涙と血と涎が垂れ流される、ただそれだけ。


 なんで。なんで。

 俺は、こんなに目に遭うような、何かをしただろうか、誰かに迷惑をかけただろうか。悪意を向けただろうか。

 わからないわからないわからないわからない……。


 何もできないままに、彼らに体を触れられ、抱え上げられた――そんな時だった。

 

『それ以上は許しません』


 凛とした、そこにあった澱みを全て吹き飛ばすような涼やかな声が響き渡る。


 届いていなかったはずの声が何処かに届いていたのだろうか。

 その安堵感ゆえか、あるいはもう完全に力尽き、命が尽きたのか。

 ずっと途切れなかったはずの意識はようやっと途切れ……俺の認識は闇の底へ底へと沈んでいった――――。

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