二人の過去





 +




「ううぅ。いったい、どうなってる?」


 薄暗い早朝。

 その女生徒は、部室の自作パソコンの前で頭をかかえる。


「またエラー? どこを修正しろっての?」


 コード配列に問題はない。

 デバッグも十全に働いている。

 プログラミング上、動かないはずがない。

 なのに。

 エラー。

 エラー。

 エラー。

 エラーの山だ。

 女生徒は苛立ちを机にぶつける。


「ああ、もう!

 これじゃ発表どころじゃない──もう先生に頼る? ──いやいやいや!」


 それは自分のプライドが許さない。

 絶対に完成させてみせる。

 自分自身の力で。


「『このゲーム』──絶対に、四月までには完成させるんだ!」




 +




「もうすぐ春だねえ」


 二月も過ぎ去った三月。

 植物園の花々はいろどりを広げ、校門の大きな桜はつぼみをつけ始めている。


「そろそろ二人でひとつのベッドに眠るには厳しい季節になってきますわね?」

「あら、そんなことないでしょ? エアコンの冷房をガンガンに効かせれば!」

「そこまでして同衾どうきんしたいんですか?」

「エリザは、嫌?」


 アンジェはずるい。

 そのような表情と言葉では、嫌だなどと言えないではないか。


「もう三ヶ月か。エリザがゲームの悪役令嬢さんになって……」

「過ごしてみると、あっという間でしたわ──」

「そうだね……」


 エリザベーテは花に水と肥料を与えつつ、アンジェの表情の微細な変化を目敏めざとく見抜いた。


「大丈夫ですわ」

「何が?」

「私は必ず、ゲームの世界に戻ります──そう決めておりますから」

「だから、私は」

「隠さないでくださいまし。本当はこいしいのでしょう? 貴女あなたのエリザが──」

「そんなことないよ」

「いいえ、私にはわかります。貴女は、貴女と共に一年以上を過ごしたエリザの方がよい──そう思うのは当然のことです」


 スプリンクラーの操作をやめ、エリザベーテは静かに言い続ける。


「ごめんなさい。でも、『二人の間に隠し事はなし』でしょう?」

「──うん。そうだね。ちょっぴり、いや、かなりこいしい、かな」


 アンジェも諦観の表情で、エリザを見やる。


「本当に、どうしたものかな? せめて『アンジェ・メモリーズ』ってゲームが実在していれば、何か解決の糸口が掴めるかもしれないのに」

「ええ、本当に」

「あ。でも、〈悪役令嬢〉のエリザも救える方法じゃないとダメだからね? そこは勘違いしないように!」

「ええ。ありがとう、アンジェ」


 二人は植物の世話を切り上げ、噴水のいつもの定位置に、並んで腰かける。


「ねえ、アンジェ。こちらのエリザは、どんな方でしたか?」

「うん? 今のエリザと変わらない気がするな……でも」

「でも?」

「今のエリザの方が百倍くらい清楚せいそ

「それって、だいぶ違いませんか?」

「かもね。でも、そうだな。話しておこっか、こっちのエリザの話……それと私の話も」


 是非と言って、エリザベーテはアンジェを見つめる。


「私らがはじめて会ったのは、入寮式の時だったな。アメリカからの留学生さんと同室になるって聞いて、心臓バクバクだったけど、日本語が話せる相手でよかったよ、いや本当に。私ったら見た目だけ外国人じゃん? パパ譲りの金髪碧眼じゃん? 地毛じげ証明しなきゃじゃん? そんな見た目で英語とか話せないんですけど、って思ってたけど、話してみると、まぁ意外とフランクというか遠慮がないというか。ズバズバ物を言うタイプで、最初は困ったちゃんだったんだよ」

「それでは、最初の印象などは」

「最悪とは言わないけど、これは目が離せない子だな~って。手がかかる、感じ? けれど、すぐに仲良くなるタイミングは来てくれた」

「タイミング──ですか」

「そそ。……入学してすぐの頃ね。私の見た目、金髪碧眼に文句つける奴がいてさ。『本当は染めてるんでしょ』とか『カラコンとかイタすぎ』とか『ハーフとか嘘なんでしょ』とか、そりゃもうサンザン!」


 今でも思い出すとはらわたが煮えくり返ると、両手をわなわなさせるアンジェ。


「しまいには、パパが付けてくれた“アンジェ”って名前までキラキラネーム扱いされて、もう頭プッツンしそうな時、助けてくれたのが、エリザだった」


『アンジェは、天使という意味の名前なのだから、おかしくない!』

『アンジェの見た目が本物なのは、同室の自分がよく分かってる!』

『アンジェのこと何も知らない人が、アンジェのこと悪く言うな!』


「たどたどしい日本語だったけど、私、本気で嬉しくて、恥ずかしながら号泣しちゃってさ……それから私は、エリザのことがだんだんと、好きになっていったんだ」


 頬に朱色を指す金髪碧眼の少女を、黒髪の公爵令嬢は黙って見つめる。


「こ、言葉にするとこっぱずかしいね、コレ──えと、それでそのまま一年間ルームメイト兼クラスメイトをやって、ああ、そうだ、二学期の頃に生徒会選挙があって、エリザってば一年生の留学生で立候補してさ。おまけに私を後援者に指名して、もう大忙し! それで選挙は見事に当選! いやぁ、大変だったよ、あの時は」


 その時のことを思い出しているアンジェの表情は、どこか郷愁きょうしゅうめいたものを感じさせる。

「これ、その時の写真」と言って、携帯スマホを見せてくれる。


「これが、この世界のエリザ……」

「いいことばかりじゃなかったけどね。喧嘩したり、口きかなくなったり……でも、それもいい思い出だよ」


 エリザベーテは幾分慣れない手つきで画面をスライドさせる。

 そんなエリザベーテの様子を微笑ましげに見つめるアンジェ。

 きっと、共に頑張った当時を、当選を果たしたエリザの姿を思い起こしているのだろう──そんな瞳で恋人の姿をした公爵令嬢を、見る。


「それで、クラスはそのままで二年生になって、体育祭や文化祭でも、ずっと一緒に過ごして、去年の十月に、私の方から」

「告白をなさった?」

「うん。女の子同士だから、たぶんダメだろうなって、玉砕ぎょくさい覚悟で告ったら、エリザってば泣いて喜んでくれて『Yesはい』を繰り返してさ。それから正式にお付き合いを初めて、十一月に京都へ行った修学旅行、楽しかったなあ。枕投げに恋バナ。それが終わって、冬休みに入って、十二月、の、クリスマス会……」

「アンジェ」


 ほろほろと涙をこぼす少女の様子に、エリザベーテは反射的に肩を抱いた。


「ごめん、エリザ。私、今のあなたも好きだけど、やっぱり……、あっちのエリザのことも」

「わかっておりますわ、アンジェ。だから、泣かないで」


 お願いだから、この少女にだけは泣いて欲しくない。

 どうか、この可愛かわいらしい少女の恋人を取り戻させてくださいと、本気で神に祈るエリザベーテ。

 しばらくの間、わんわんと泣きじゃくる金髪碧眼の少女を抱きしめ続けて、〈悪役令嬢〉は白い制服の肩を濡らす。

 ようやっと落ち着いてきた頃には、アンジェの両眼は、涙の跡で真っ赤だった。


「ごめん、ありがとう、エリザ」

「これくらい、お安い御用です」


 微笑み合う二人。

 そんな二人の耳に、植物園の扉が開く音がよく聞こえる。

 誰かが、植物園を走る音が近づいてきた。

 二人は慌てて体を離し、身支度を整える。

 足音が噴水広場のもとまでたどりついた。


「おお、やはりここだったか!」

「せ、生徒会長?」


 咲守さきもり生徒会長は赤毛を揺らし、息を少し切らせて「携帯に出ないから探したぞ」と言って、二人に近づく。

 そして後背を見やる。


三枝さえぐさ庶務、遅いぞ!」

「会、長、が、速、すぎる──です!」


 ぜえぜえと肩で息をする眼鏡をかけた女生徒は、一枚の書類を咲守さきもりに手渡した。


「急に訪れてすまない。少し急用でな。この書類を見てくれ」

「この書類が、何か?」


 受け取った副生徒会長は、それが四月に予定されている新入生歓迎発表会の各部活や委員会などの発表内容であることを把握する。

 しかし、これがどうしたというのか本気で分からないエリザベーテ。


「PC研……パソコン研究部の欄を見て欲しい」


 言われ、エリザベーテとアンジェは項目を覗き込み、一瞬、愕然となる。

 咲守さきもりは詳細を告げた、


三枝さえぐさ庶務が、生徒会業務中に見つけてくれた。

 パソコン研究部の部長・根津ねづ──彼女が四月に制作発表を予定している──ゲーム名は“アンジェ・メモリーズ”」


 生徒会長は卓越した記憶力で、そのゲーム名を覚えていたのだ。


「これは一月七日、冬休み中に君たちがたずさがしていたゲームなんじゃないかな?」


 エリザベーテとアンジェは、信じられないという表情で、お互いを見やった。





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