二人の探索





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 エリザベーテ・ヴィランズは、片木アンジェにすべてを打ち明けた。

 自分がゲームのキャラクターであること。

 乙女ゲーム『アンジェ・メモリーズ』の〈悪役令嬢〉であること。

 あまりにも荒唐無稽にすぎる話を、アンジェは完全に理解し、受け入れてくれた。


「あらためて、アンジェってすごいですわ」

「いや~、そんなに褒めないでよ~、エリザ~」

「いいえ。本当に凄いですわ。どうして私の話を受け入れられたのか、不思議でなりません」


 一月七日。

 あの年越しから一週間が過ぎた。

 寮の食堂で朝食にありつく二人は、ささやき声で言葉を交わす。


「それに私の演技を見抜くなんて、只者ただものとは思えませんわ」

「ああ、うん。そこは完全にだまされてたよ」

「え?」

「さすがはゲームのキャラクターさんなだけはあるわ。神演技。完全にいつも通りのエリザだったもの」

「で、では、どうしてお気づきに?」

「うーん……女の勘?」

「お、女の勘!」


 末恐ろしいと思いつつ、ベーコンエッグをナイフとフォークで切り分け食す公爵令嬢。だが、こちらのエリザもナイフとフォークを食事に多用していた為、周囲から怪しまれることはない。周囲の眼からは、完全に談笑するルームメイト同士にしか見えていないのだ。


「それで、これからどうするか決まった?」

「どうする、と言われましても……」


 いったい、どうすることが正解なのか分からないエリザベーテ。


「私がこちらに転生したことすら不可思議ふかしぎの極みですし。どうやったら、アンジェのエリザを取り戻せるか、見当もつきませんわ」

「う~ん。私としては、元のエリザに戻って欲しい気持ちもあるけど、今のエリザのことも好きだしなぁ」

「す、好きだなんて! こんな公衆の面前で!」

「大丈夫。皆は遠くから見てるだけだよ」


 言ってアンジェは金髪をサラサラ揺らして周囲を見渡す。

 エリザベーテとアンジェが同室の友人であることは、公然たる事実。二人が楽しげに朝食を味わっている光景を邪魔しようとするもの・聞き耳を立ててやろうというものは絶無である。まるで蝶のように花のように、慈しみの瞳と心で、二人のやりとりを堪能たんのうしているようだ。

 唯一の例外は。


「やぁ! 同席しても構わないかな?」

咲守さきもり生徒会長。それに、三枝さえぐさ庶務」


 赤毛の生徒会長と眼鏡をかけた庶務が、朝食を満載したトレイをもって現れた。

 二人は慣れた様子で、エリザベーテとアンジェの対面の席に座る。


「生徒会長。今日は他の生徒たちと一緒に食事しないんですか?」

「うん! たまには生徒会役員同士で交流するのもよいだろう!」


 ちなみに、咲守さきもり会長の朝食はハンバーグ乗せスパゲティナポリタン。三枝さえぐさ庶務は朝から味噌もやしラーメンという、変わったラインナップだ。


「楽しそうに二人で何を話していたのかな?」

「今日は街へ一緒に買い物へ行こうかと」


 息を吐くように嘘を述べながら、サバの塩焼き定食を口に運ぶアンジェ。

 意外と演技派な彼女の様子に震撼しんかんしつつ、エリザベーテは同意の言葉を口にする。


「あ、そうだ」


 アンジェはハンバーグを美味しそうにパクつく生徒会長に問いを投げる。


咲守さきもり生徒会長さんは、『アンジェ・メモリーズ』って乙女ゲーム、知ってますか?」

「『アンジェ・メモリーズ』? はて。乙女ゲームというのに私はくわしくなくてな。そういう知識なら、三枝さえぐさ庶務の領分だろう?」

「は? 私ですか?」

「実際、君が夜な夜なプレイしているゲームは、全部乙女ゲームばかりじゃないか?」


 激しくラーメンを咳き込む三枝さえぐさ庶務。大量の湯気で眼鏡が真っ白に染まる。


「ちょ、っと、どうしてそれを?」

「うん? あ、隠し事だったか?」


 これはすまんと片手を上げる咲守さきもり

 三枝さえぐさは眼鏡の位置を直しつつ、口元をぬぐって考え込む。


「私は、ゴホ、確かに、乙女ゲームマニアを自負してます。けれど、その、『アンジェ・メモリーズ』? それについては本当に知りませんね?」

「そう、ですか」

「何なら寮の私たちの部屋に来てみるかい? 三枝さえぐさ庶務のクローゼットや机は、乙女ゲームとやらで埋め尽くされ」

「会長! シッ! シーです!」

「そう、ですの……」


 やっぱりと思った。

 なんとなくそんな予感はしていた。

 何しろエリザベーテはアンジェの協力のもと、一月一日の朝から携帯スマホを使って、『アンジェ・メモリーズ』というゲームを“ネット検索”にかけた。

 だが、その結果はかんばしいものとは言えなかった。

 検索結果は、まさかの大外れ──乙女ゲーム『アンジェ・メモリーズ』に関する情報は、ネットの海には存在しなかった。

 そこに加え、乙女ゲームを熟知しているらしい三枝さえぐさ庶務が、何の情報も持っていない事実。

 エリザベーテ・ヴィランズは直感的に理解する。


(この世界に『アンジェ・メモリーズ』は存在しない?)


 だが、エリザベーテは知っている。自分というキャラクターは、間違いなく『アンジェ・メモリーズ』に登場する〈悪役令嬢〉だ。

 だというのに、その『アンジェ・メモリーズ』は存在しないということがあり得るだろうか?

「まさか」という思いが込みあがるが、エリザベーテはそれに蓋をする。

 生徒会長と庶務が別の話題──三学期の始業式の話を振ってくるのを、副会長たるエリザベーテは聞き流していく。





 +




「そちらはどうでしたか、アンジェ?」

「だめ。どの店員さんも知らないみたい」

「やはりそうですか……」


 エリザベーテとアンジェは外出届を提出し、学校周辺を私服姿で闊歩かっぽする。

 そうして、様々なアニメショップやゲームショップ、中古屋などを巡ってみたが、『アンジェ・メモリーズ』については分からないという意見で一致した。

 二人は休憩を兼ねて、喫茶店で一服する。


「どういうことですの。これだけ探しても見つからないなんて……まるで」

「まるで、何?」

「……いえ、何でも」

「隠さないで、エリザ。決めたでしょ?『私たちの間で隠し事はなし』って」


 その通りだと頷くエリザベーテ。

 だが、これを口に出してしまってよいのか、本気で迷う。


「もしも、……もしも、ですよ? 私がこの現実世界に転生したことが、何か関係しているとしたら?」

「エリザベーテという〈悪役令嬢〉のキャラがいなくなって、『アンジェ・メモリーズ』が消失した?」


 そんな馬鹿なと一笑にふすアンジェ。

 だが、状況はそうとしか考えられない。

 深刻に思い悩む公爵令嬢に、アンジェは別の意見を提示してみる。


「この世界にないだけで、『アンジェ・メモリーズ』のある世界もあるんじゃないの? ほら、異世界転生なんだから?」

「ええ。その可能性も十分ありえます。けれど、もしも私の説が正しかったとしたら……」


 自分は元の世界に帰れない──こちらの世界にいたエリザベーテ・ヴィランズを、解放することができないという、最悪すぎる可能性が脳裏をよぎる。


「でもさ。エリザは元の世界に帰りたいの? 戻りたいの? 〈悪役令嬢〉として、永遠に死に続ける世界に?」

「それは」

「私はイヤだよ。エリザが死ぬような世界なんて」

「アンジェ」

「私は、このままでもいいんだよ? 本当だよ?」


 アンジェの切実な声に、エリザベーテの心が揺れる。


(自分は、戻るべきだ)


 現在の状況を、〈悪役令嬢〉たるエリザベーテが、〈アンジェの恋人〉たるエリザベーテに憑依ひょういしていると仮定しよう。

 その場合、〈アンジェの恋人〉たるエリザベーテは、一生このまま憑依され続けるのだろうか。

 そんなことは許されないと本能的に思うエリザベーテ。

 彼女には彼女の人生があって当然だ。それを、〈悪役令嬢〉でしかない自分が奪ってよいはずがない。


「大丈夫だよ。エリザ」


 優しい声と共に手を握られ、はっと顔を上げる公爵令嬢。


「無理して元の世界に帰る必要はない。そうでしょ?」

「それは……とても、魅力的な、お話です……でも!」

「エリザは、私のこと嫌い?」

「そんな分かりきったこと、聞かないでくださいまし……」

「うん。ごめんね?」


 逆にエリザベーテは問いたくなった。

 アンジェは、このままでいいと言うのか──外見は同じでも、中身がまったく違う別人が、自分の恋人の中にあるなど、想像するだけで怖気おぞけが走るだろうに。


(自分は、絶対に帰らなくてはならない)


 あのゲームの世界に。

『アンジェ・メモリーズ』という世界に。

 たとえ、死ぬ運命と宿命しか用意されていない世界であろうとも。


「今日は、もう、帰ろうか?」

「────ええ」


 コーヒーとお茶請けのチーズケーキを完食し、二人は喫茶店を後にする。


(これから一体、どうしたらいいんですの?)


 相変わらず手を繋いでくれるアンジェの優しさを受け取りつつ、エリザベーテは煩悶はんもんとする。

 アンジェをしたう心が芽生めばえる己を自覚するごとに、自分が彼女にとっての“異物”でしかない事実が、〈悪役令嬢〉の心を千々ちぢに乱した。






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