二人の関係





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 エリザベーテ・ヴィランズは、『ゲーム』の世界から『現実』の世界に転生したことを理解した。

 年の頃は十七。ゲーム内での命日となった現実の期日に、そのことをはっきり思い出した、ということらしい。

 その証拠に、エリザベーテ・ヴィランズは現実で過ごした十七年分の記録や一年を超える日記帳が存在し、家族や友人……恋人も存在している。

 なのだが。


「ねぇ、エリザ」

「──なに、アンジェ?」

「エリザ、……最近、なにかおかしくない?」

「あら、そんなことありませんわよ?」

「いやいや、そんなことあるでしょ?」


 十二月二十九日。

 植物園の備品の買い出し、その帰り道。

 エリザベーテはアンジェの求めに応じ、手を繋いで帰路につく。

 しかし。


(て、手汗てあせ、だいじょうぶよね?)


 手袋を外して握り合う人肌の温度に、自然と掌が湿りだす。

 極度の緊張と不安で鼓動が高鳴る。

 しかし、恋人同士であるのならば、手を繋ぐことぐらい普通の出来事。

 そう自分に言い聞かせるエリザベーテなのだが。


「もう。どうかした?」

「で、ですから。なんでもありませんわよ?」

「そう? 私には、なんだか隠し事してるみたいに見えるけど?」


 アンジェの指摘は鋭い。


「私と手を繋ぐの、いや?」

「そ、そんなことありませんわよ──私たち──恋人同士──なのですから!」


 自分で言っておきながら、半端のない違和感に襲われるエリザベーテ。

 しかし、耐えねばならない。挙動不審に陥いりかける自分を懸命に鼓舞こぶする。

 エリザベーテは〈悪役令嬢〉。

 令嬢としてのたしなみ・教養として、殿方との付き合い方は十分に心得ている──が、まさか同性を相手に恋人のごとく振る舞うことになろうなどと、予想だにしない事態である。

 しかも、相手はゲーム世界での恋敵だった存在──によく似た同級生である。これで混乱するなという方が無理な話というもの。

 そんなエリザベーテの様子を、アンジェは完全に見透かしていた。


「やっぱり、何か隠してる」

「べ、べつに隠していることなんて」

「話してくれないの? ……私たちの仲なのに」

「……それは、その」


 愛らしく上目遣いで問いかけるアンジェ。

 だが、いったいどう説明せよというのか、本気で分からないエリザベーテ。


「私、何か気にさわるようなことした?」

「い、いいえ、そんなことは──むしろ感謝してるくらいです」

「感謝?」

「ええ。それはもう」


 この世界に来て、右も左もわからぬエリザベーテを、よく導いてくれた。その恩義ははかり知れない。


「感謝か……うん、そういうことなら、許してあげる」


 ひそかに胸を撫で下ろすエリザベーテ。

 同時に、自分の右手を掴む握力が強まるのに、おびえにも似た感情をいだいてしまう自分を強く律する。

 実に情けない。だが、同時にどうしようもない。


〈言えるわけありませんわよね。私は『ゲーム』の世界から転生してきたキャラクターなんです、だなんて〉


 荒唐無稽こうとうむけいきわみであった。

 自分自身のことでなければ、絶対に信じないであろう珍事である。


(ここで私が取るべき行動、一番賢明なのは、日記帳に記されていた自分を「演じる」こと)


 日記を熟読した限りにおいて、どうやらエリザベーテとアンジェの関係は清い関係であり、十月の告白から十二月末の現在に至るまで、手を繋ぐ・抱擁する・頬や手に接吻キスする程度で済んでいる。


(大丈夫。演じること自体は慣れていますし)


 ゲームの悪役令嬢として、そのように振る舞い、演じることができていた自負が、エリザベーテの決断を強く後押しする。


(この世界でまで、アンジェを傷つける役は御免ごめんですもの)


 しかし、それにはひとつ問題が生じてしまう。

 それは、彼女に“嘘をつかねばならない”ということ。

 そのことが軽い罪悪感をエリザベーテに強く感じさせる要因となった。


(ああ。なんで私がこんなことに)


 ゲームでは最終的に殺されるだけの役どころだった。

 そうかくあるように振る舞うしかない存在だった。

 でも、今は違う。

 自分で考え、思慮し、行動しなくてはならない。

 それでも、思わずにいはいられない。


(アンジェって、こんな表情もするのね)


 こちらのアンジェ──片木アンジェは、生粋の日本人というわけではない。いわゆるハーフというもので、日本人離れした金糸の髪と青い碧眼が特徴的だ。それがゲーム内でのアンジェとよく似ている。対して、エリザベーテは生粋のアメリカ人。腰まであるストレートの黒髪と、黒色の瞳がショーウィンドウに映し出されている。つまり、どちらもゲーム世界の容姿そのものというわけである。

 そんな二人が街を歩いて、堂々と手を繋ぎ合っている姿は、恋人同士というより仲の良い外国人同士の友人という風に見えるだろう。

 アンジェは自由気儘じゆうきままにエリザベーテの手を引いて歩く。

 まるで、そうあることが自然なのだと主張せんばかりに。


「ほら。早く帰ろう? 寮長さんに叱られたくないしね!」

「──ええ」


 天使のように輝く笑顔がまぶしかった。

 悪役令嬢は柔らかく微笑みつつ、同意の首肯を落とす。

 今日のことも日記帳に記そうと決意するエリザベーテ。

 彼女を騙している自分自身に、深く重い引け目を感じながら──






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