片木アンジェ





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 エリザベーテ・ヴィランズというゲームキャラクターの悪役令嬢は現代に、ゲームではない『現実世界』に転生してしまった。

 それを知ったエリザベーテは、可能な限り平静をよそおいつつ、転生する前の自分の身に起こったことなどをアンジェから聞き出した。


「つまり、冬休み中の委員会活動──“くりすます”で、私は学校を訪れていたと」

「そう。生徒会副会長さんだし、植物園の管理者だもの。忙しくて目が回るのも無理ないよ」

「生徒会、副会長……この私が」

「あれ? 覚えてない? 私が後援人になって、一緒にビラ配りとかしたじゃん!」

「え、ええ、もちろん覚えてますわよ! 忘れるはずがありませんわ!」


 エリザベーテはどうにか誤魔化した。

 アンジェはエリザベーテの食べる朝食をつまみ食いさせてもらいつつ、快活な笑みを浮かべる。


「お行儀が悪いですわよ?」

「えへへ、ごめんなさい♪」


 反省の色とは無縁の声色だった。


「でも、本当に、心配したんだからね?」

「? ありがとう?」


 アンジェは真剣な表情から一転、ぱっと笑顔を浮かべる。

 それを見てエリザベーテは、この世界が『ゲーム』ではないという確証がまたひとつ増えたと思った。

 ゲームむこうのアンジェは終始しゅうし小心者めいた──けれど、エンディングを迎えるころには、ゲームの主人公らしい活発さと実直さを兼ね備えた美少女へと成長する。それでも、エリザベーテにその笑みが向けられることはありえないことなのだが。


「アンジェって、そんな笑顔だったのですね」

「え?」


 なんでもありませんわと告げるエリザベーテ。

 アンジェが持ってきてくれたクロワッサンとシチューとスクランブルエッグを堪能し、神に祈りの言葉を捧げる。もちろん、口の中で。


「ごちそうさまでしたわ。アンジェ。コックの方にも良い食事でしたとお伝えくださる?」

「なんか変なこと言うね。でも、寮のおばさん喜ぶと思うよ! 食器、片付けてくるね!」


 アンジェは食器トレイをもって、野兎のごとく跳ねまわりながら部屋をしていく。


「さて──」


 残されたエリザベーテはベッドから飛び出し、可能な限り慎重に、部屋の中を物色ぶっしょくする。

 自分のクローゼットやベッド、机回りを念入りに。

 そして発見する。


「ありましたわ、私の日記帳!」


 十二月二十五日“くりすます”のため学校に行く内容で記録は途絶えているが、間違いなく自分の日記帳であった。

 ゲームでも筆記の練習のためにと習慣化させていた趣味が、こちらでも役に立ったようだ。


「学校に入学してからの日記のようですわね」


 日本という国に来てから、一年と八ヶ月以上の記録。

 その最初は、学校に留学生として入寮式に参加する四月からはじまっていた。

 アンジェと相部屋になったことから、こちらの自分の学校生活──留学はスタートを切ったらしい。

 日記には学校生活のこと──自分が通うのは全寮制お嬢様学校であること──留学生としてクラスでも人気を集めたこと──相部屋となったアンジェとの親交などが、事細かく筆記されている。


「こちらのアンジェさんの名字は“片木かたき”とおっしゃるのですね」


 これは重要な情報だ。クラスメイトの名字を間違えては、怪しまれること必至ひっしである。

 エリザベーテは、自分が書いたであろう日本語を理解できる。ゲームの世界では東方世界の文書にすら触れたことがない自分でも、問題なく日記の内容を、漢字を理解できる。そのこと自体は実に不可思議であったが、今は思考の隅の方にのけておく。


「アンジェ・ピースウッドではない──片木かたきアンジェ」


 ゲームむこうではいざしらず、現実こちらの世界でくらい仲良くしてもバチは当たるまい。

 何より、自分の日記を解読する限り、この世界での彼女との間柄は良好。それを反故にする理由も意思も、エリザベーテにはなかった、

 それでも、疑問は残る。


「どういう状況、なのかしら……これは?」


 ゲームキャラクターのはずの自分が、『現実世界』に転生した?

 荒唐無稽こうとうむけいはなはだしいが、事態はそのようにしか認識できない。聡明な公爵令嬢の頭脳も、混乱して当然の事態と言える。


「そういえば、この部屋はどういう構造なのかしら?」


 外はどんよりとした寒空だというのに、暖かい風が流れ込んでくる。暖炉もないのに室温が快適な温度に保たれているというのは不思議だった。当然ながら、エリザベーテに“エアコン”という現代文明の利器の知識はない。おまけに照明も、蝋燭ろうそくやランプよりも明るく、まるで魔法の明かりのようだという感想をいだく悪役令嬢。

 それはさておき。


「アンジェが戻る前に、日記の続きを確認…………ん?」


 ぱらぱらとページをめくっていたエリザベーテは、こちらの自分の書き残した文章、その中でも赤文字で書き残したものに、両の目を奪われる。


「……んんん?」


 エリザベーテは、目をこすった。ごしごしとこすって、再び文章を見つめる。


『十月九日、アンジェに教室へと呼び出され、告白される。私は喜んだ。本当に嬉しかった。彼女と“両想い”になれる日が来るなんて!』

「……両、想、い?」


 その言葉の意味するところをはかりそこなうエリザベーテ・ヴィランズ。

 少し落ち着いて日記を閉じ、再び十月九日のページをめくる。

 何度読んでも、“両想い”が強調された文章が目に飛び込んでくる。


「……うそでしょ?」


 エリザベーテは色々な意味で頭をかかえこんだ。

 以降のページを参照してみても、エリザベーテとアンジェが、“そういう関係”になったことを示すものばかりであった。

 アンジェと初めて手を繋いだ日のこと。はじめて背中から抱擁した日のこと。はじめてほほ接吻キスした日のこと。他にも数多くの時間をアンジェと共有したことが、赤裸々せきららつづられている。

 そんな馬鹿なと呟きを落としそうになる口元を押さえ、頬に朱色が差す公爵令嬢。

 そこへノック音が響く。


「エリザ、入るよ?」


 総毛立そうけだつとはこのことだった。日記を神速で机の棚に戻したエリザベーテ。彼女は二段ベッドの下段に潜り込んだ。


「ねぇ、エリザ……? どうかした?」

「な、なんでも! なんでもありませんですわよっ?!」


 あくまで平静をよそおうエリザベーテだったが、今は、アンジェの顔を直視できない。


「え、大丈夫? 顔赤いよ? 熱でもあるんじゃ」

「ほんとうに! 大丈夫ったら大丈夫ですから!」


「そう?」とポツリと呟くアンジェは、担任の先生にエリザベーテが起きたことを報告してくると言って、再び部屋をした。

 エリザベーテはかぶっていた布団から抜け出した。日記の残りを確認せねばならないからだ。


「なにしてくれちゃってるの、私……」


 エリザベーテは本気で頭を抱えこみつつ、頬と耳が燃えそうな心地で、こちらの自分が書いた日記を、読みこまざるをえなかった。





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