第55話 やめたくないことに気付く。【ピボーテについて】

 母親には食事を済ませたと早いうちにラインを入れていた。帰宅早々浴室に向かい熱いシャワーを浴びて寝てしまおうと思った。


 寝るような時間じゃないのはわかっていたが、疲れもあるし、寝てしまいたい、寝て忘れてしまいたいこともあった。


 母親との会話もそこそこで切り上げ自室に戻る。冷えたピザトーストとウイルキンソンを小脇に。


 彼の母親が呼び止めて何か言おうとしたが「眠いから」と階段を登った。付き合いがいい彼にとっては珍しいことだ。


「眠いんだけど」


 ドアを開けると人の気配がした。しかも彼のベットの上で。


「ふぁ〜〜偶然ね、私もなの。帰ってくるの、もうちょっと遅いかもって。寝て待とうかと思ってたの。感心感心、早めのお帰りで妻に心配掛けないのも夫の仕事だよ?」


 圭のベットの上でもぞもぞとようやく起きがった人物。よく知った女子は軽口を叩きながら欠伸をした。


「なんで電車に乗って試合見てただけのお前がそんなに疲れてんだ」

「ひどいなぁ〜電車に乗る前にお買い物一緒したでしょ。あと、なんとかって同級生追っ払ったり、みんなの前でお姉ちゃんしないとだと、肩こっちゃうのよ~」


「普段からいい格好するからだろ。ポンコツ隠してるから肩こるんだよ、ふたりは?」

「ぶうぶう〜私より妹たちが気になるのね、浮気だ浮気! 出るとこ出てやる~訴訟よ、訴訟!」


 ベットの上でジタバタと抗議するのは、なんと雨音あまねだった。


 雨音あまねは何と言うか吉沢の長女としてしっかりしないと、があるので、日々演じているところがあって、圭の前でしか素の自分が出せてない。


 ポンコツで甘えん坊で、舌足らずの甘えた声を出すなんて誰も知らない。


麻莉亜まりあは病み上がりだし、一応クスリ飲ませたら寝ちゃった。沙世さよはいつものことよ。試合終わりはさっさと寝る。断わっとくけどノンちゃん(圭の母親)にはちゃんと言って入ったんだからね、勘違いしないでよね〜〜あれ? 今のツンデレ感出てて萌えない⁉ 萌えるよね!」


 灯りをつけたが雨音が持っていたリモコンで一瞬で消された。もう一度チャレンジしたが変わらない。


「で? なに? オレも疲れてんだけど」

「亭主の疲れを癒すのも妻の勤めですから〜」

 誰が妻だよ、までが一連の流れ。この流れもふたりしか知らない。


 雨音あまねは圭のベットの上で三つ指をついて「長い間ご苦労さまでした」とにこりと笑った。

「定年退職かよ」

「少し早い定年退職」

「早すぎるだろ」

「うん。早すぎる」

「心配か?」

「うん。胸が引きちぎれそうなくらい心配。言わないようにしてたけど、言わないと伝わらないから」


 素の雨音は本音を言うことに躊躇がない。躊躇もないが、嘘もない。有り難いと思うものの、どう反応していいかわからない圭は雨音の頭を雑に撫でた。


「約束通りだったね」

「約束通り?」

「うん『クルクル』してくれたでしょ、試合で。うれしかった」

「お前『クルクル』ってなぁ…マルセイユルーレットって言うの。別にいいけど。ところで、愛してあげるって言ったわりに素っ気なかったな」

「わかってるクセして、プーンだ!」


 ほっぺたを膨らませてそっぽを向く。こんな顔するなんて、沙世さよ麻莉亜まりあも知らない。


「なんか少しイライラしてるね」

「まぁ、寝床を取られたからな」

「またそうやって茶化す。いいよ、ほらお姉さんの隣においで」

「なんだ、よしよしでもしてくれるのか?」


「ん……どうかなぁ〜わかんないけど、そういうの好きじゃないでしょ? でも、側にいる。朝まで。ノンちゃんには許可もらってるから」


「間違いがあったらどーするんだ? 許嫁の姉だろ」

「うんと、その時はいいだけだね〜つまり、だったことにしよう! わっ、ここだけ切り取ったら悪女ぽっくない? ねぇ、大人の女感出てなかった? 醸し出してたよね〜(笑) 思うんだけど、私見た目だけなら悪女枠だと思うの。危険な香りがプンプンな」


 素の雨音あまねは、どう見ても年上とは思えない雨音あまねだが、こういうところもまた雨音だった。


 場を和ませるというか、波風立たないように頑張っているのは圭には伝わっていて、でもそういうのに甘えるのは違うなと思うのも圭だった。


「言いたいことあるんだろ」

「あるにはある。ん…どうしよ、なんで私じゃなかったのかを聞きたいのは聞きたい。許嫁の話よ。でも、まぁ、いいかと思う私もいる」


「いつもの自己完結か」

「うん。そう。でも、答え合わせも必要なんで聞くことにする。私を選ばなかったのは、私が圭のこと甘やかすからなのかなぁって。違ってた?」

「いつも通り。正解」


「あと、麻莉亜まりあだったのは1番縁が薄いからだね?」

「まぁ、正解かなぁ。よくわかるな、オレ自身ですら分からなかったのに」

「そりゃまぁ圭のことだもの。今更わからないこと探す方が大変かもね。あっ、これって愛してるアピールよね? あらやだ、私かわいい〜」

 二重人格なのかと疑いたくなるが、こっちが素の方。みんなの前ではお姉ちゃんをがんばってやってるだけだ。


「吹っ切れた、ことにしようと思ってる」

「無理でしょ。無理だよそんな…私覚えてるよ。圭がおじさんに4歳のクリスマスにもらったサッカーボールでどれだけ練習したか。そこが始まりだよ、吹っ切れるわけなんてない」


「でも、吹っ切って過去にして見ないようにしないとって。辛いだけだろ。痛みなんてなかったことにした方がきっといい、誇りなんて取り戻さない方が楽だ」


「そんなのよくないよ…でも、もしその痛みがいらないなら、欲しい。私にその痛みを全部頂戴。大切にするから」

「雨音……」

「なに」


「オレは……サッカー…続けたかった」


 その言葉と共に抑え込んでいた感情が溢れ出した。


【サッカー小話 ピボーテについて】

 前回『ボランチ』はポルトガル語が使われている国と日本くらいしか使われてないことに触れました。私見ですがポジションを指すことが多いようです。


 ではピボーテですが何かと言えば役割です。

 ちなみにこちらはスペイン語由来だそうです。『旋回軸』という意味です。つまり、攻守の軸になる役割がピボーテです。


 何となくわかるかも知れませんが『日本代表のボランチは―』なんて会話があったとして、そのボランチのポジションにいる選手の中には、前線にロングフィードを得意とする選手もいれば、守備の職人もいます。

 攻撃中心なのか、守備中心なのか、どちらも得意なのか。そのどれかに当てはまると思います。『ピボーテ』はそのどちらも出来る選手を指します。つまり飛びぬけて器用な選手だと言えます。

 例えば私見ですが長谷部選手だとか遠藤航選手だったりです。私見の私見ですが富安選手もピボーテ出来るんじゃないかと思います。いや、向いてます(笑)

 まぁ、作中にも出ましたが世界的なピボーテはブスケツ選手ですね。


 次回はボランチと一括りにされていた『守備の職人』について触れたいと思います。








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