第54話 本音に気付く。【ボランチについて】

「すみません。なんかお留守に上がり込んで」


 圭は恐縮しながら頭を掻く。ここは石林奏絵かなえの家で奏絵かなえが母親に電話して、二人分の出前を取ってくれた。


 その時「男子の友達が来てる」と付け加えたら店を手伝っている奏絵かなえの姉と母親が興味津々でやってきた。


「いえいえ、うちの奏絵かなえがいつもお世話になってます!」

「お母さん。いつもじゃないよ。今日知り合ったトコ。蒼砂そうさの1年生。今日ね、練習試合で色々あって」

「色々…奏絵かなえ、今日試合出てゴール決めたんだってね、もうお父さん大変なんだから。あと、なんか有名な男子がどうとかって…」

「えっと、有名な男子が彼です。川守圭さん、私のことを抜擢してくれて試合に出してくれた恩人。それと、もしかしたらウチのBチームのコーチになるかもなんだ」


奏絵かなえ、その…川守さん来てるってお父さんに言ってるの?」

「お父さんに? いや、急に誘ったし…」

奏絵かなえ! 何やってんの? ウチのラーメンなんて出してる場合じゃないでしょ! お寿司取りなさい!『宝寿司』に電話して!」

「いや、その…お構いなく。いやラーメンで十分お構い頂いてますが…あれ?」

 圭が遠慮しているともう目の前には母親も姉もいない。

「ごめん。川守さん、うちどうも伝統的にそそっかしいっていうか…こんなんじゃ最初からお店に行けばよかったね」

 奏絵かなえと圭は向き合いほっぺたをポリポリと掻きながら、ラーメンをおいしく頂いた。


 ***

「お邪魔してます。そのラーメン美味しかったです。ご馳走さまでした」

 駆けつけた奏絵かなえの父親に圭は挨拶をする。考えてみれば吉沢家以外の女子の家に行くのははじめてだし、女子の父親に挨拶するのも初めてだ。そう思えばにわかに緊張してきた。


「あっ、本当に川守くんだ。こちらこそ、娘がお世話になってます」

「お、お父さん、川守さんのこと知ってるの?」

「知ってるも何も――」

「あ……なら、言わないで。お願い、楽しく話したいだけだから」

 肺のこと、サッカーのことどうするのか、どうなるかなんて、本人にもわからないことを奏絵かなえは聞いて欲しくなかった。今この場で話題にして欲しくなかった。


『ごめんね』で許し合える関係ではまだなかった。いずれはそんな関係になりたいと思っているけど、それはまだ先のこと。


 平気な顔してるのは自分やまわりに気を使ってるだけ。本心なんて誰にもわからない。下手したら本人にもわからない。意識していない。認識していない痛み。


 でも、認識してしまったら、不意に心に傷を負うことなんていくらでもある。だから、せめて今はそっとして欲しかった。奏絵かなえは夢を終わらせたことを実感してほしくなかった。


「忙しい時間にわざわざその…すみませんでした。その…体の方は何と言うか……ちょっと無理みたいで、指導者を目指そうかと。何らかの形でサッカーに携われればと思ってます」


「そうですか。こちらこそ申し訳ない。言いにくいことを言わせてしまって…その奏絵かなえと仲良くしてやってください」


 そんなぎこちない感じで奏絵かなえの父親は店に戻った。これから先、あと何回こんな感じのぎこちなさを体験するのだろう。


 人に気を使わせ、言葉を選び、そういうつもりがなくても、どこか取り繕っていて。でも、本音を口にすればどうなってしまうかわからない。


 そんな危うい関係を増やしたくない。圭はそんな思いを奏絵かなえにほんの少し吐露した。


「少しずつ本音を出していかないと、なのはわかってます。その、それを誰に出していいか、どんな時に出していいか、わかってません。それはきっとオレの近くの存在になればなるほど、どうしていいかわかりません。周りは痛いものに触れる、そんな感じをオレは感じてるってとこです」

「うん」


「もしかしたら先輩に聞いてもらうことがあるかもです。聞いてほしいかもと思うかも」


「うん、全然いいよ。私も聞いて欲しいこといっぱいある。でも、川守さんのはゆっくりでいいよ。そういうのは無理しない方がいいと思うし…」


「許嫁のこともたぶん、オレの扱いに困ったからじゃないかなぁ、なんて思っちゃう時ありますよ。寄り添ってくれればくれるほど、たまに息苦しくなる。自分がどうしたいのか、どうなりたいのかわからないから、答えを出してあげられないことが、息苦しいです。これ内緒で」

「うん。内緒で」


 奏絵かなえは意外と素直に笑えたことが不思議だった。重い話なのに自然に笑えている。心の内を話してくれたことが嬉しいのだと、すぐに気付いた。


「秘密ついでに我が家に来た記念写真撮ろうよ。学園の女子サッカー部のサイトにアップするから」


「全然秘密じゃないじゃないですか」

「冗談に決まってるでしょ、あと私に話聞いてほしいなら、敬語は控えめで。また色々教えて。その、サッカーのこと、身近な人には言えなかったこと。それとピボーテのこと。自分でも調べるけど、川守さんが求めるピボーテ像、知りたい」


 そんな会話をして圭は石林奏絵かなえの家を後にした。冬の日の入りは早い。駅前で三姉妹と別れて2時間程だが辺りはもう完全に夜だ。圭は少し考え始めていた。


 サッカーしかない自分がサッカーを取り上げられ、両親は不安を感じていたことを知っていた。だから、どうでもないフリを演じた。


 サッカーにこだわりがないフリをしてきた。痛みや焦燥感を見せないようにしてきた。


 でも、少し演じ過ぎた。何もないフリが行き過ぎて逆にバレてしまった。両親や吉沢夫妻に不安を感じさせた。


 圭がいなくなってしまわないか、本気で心配していた。その心配は簡単に娘たちに感染した。娘たちも不安に感じていた。


 当たり前にあった日常がある日突然強制的に変わってしまわないか、心配だった。生まれてこの方続いた環境が、関係が変わってしまわないか怖かった。


 両家の大人たちは悪ノリに見せかけ、三姉妹の誰かを許嫁にし圭に生きる執着を持たせようとした。


 ただ、圭はすべてを終わりにする気などなく、まだやりたいことを見つけられずにいただけ。


 三姉妹から誰かを選ぶということは、あとのふたりを選ばないということで、そのことが圭の心のどこかを重くしていた。


 サッカーに関わりのない元クラスメイトで早乙女女学院に進学した卯ノ花うのはな和美なごみや、見るからに溢れる母性で包んでくれそうな石林奏絵かなえを選んだなら……どうなるんだろう。


 そんなことを考えながら自宅のドアを開けた。


【サッカー小話 ボランチについて】

 あまりサッカーに詳しくない方も聞いたことがあるかもですが、ポジション的には中盤の底だとか、守備的ミッドフィルダーとか言われるポジションです。


 CBセンターバックの前あたりに位置します。ふたりいる場合は『ダブルボランチ』といいます。


 英語ではディフェンシブ・ミッドフィルダーです。お気づきと思いますが『ボランチ』は英語ではありません。ご存じかもですが『ポルトガル語』で『舵取り』みたいな意味です。


 実を言いますとこの『ボランチ』という名称、世界的にはあまり使われてないようです。ぶっちゃけポルトガルと日本くらいみたいです(諸説あり)


 ではなんと呼ばれるかと言えば『ディフェンシブ・ミッドフィルダー』だったり作中に出てきます石林奏絵かなえの『ピボーテ』だったりします。


 私見ですが『ボランチ』は比較的ざっくりポジションを指す時に使われているようです。では『ピボーテ』とはなにか、それは役割です。


 次回『ピボーテ』について簡単に解説出来ればと思います。










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