第37話 漁夫の利に気付く。

 しかし、焦りに焦っていたのはアッキーナこと田中アキ『16番』だけではない。時計を戻すこと数時間前。吉沢家。


雨音あまねちゃん、! なんか胸騒ぎします! なんか、圭ちゃんに起きたかも……私、行ってきます。沙世さよちゃんの練習試合!」


 圭の許嫁の麻莉亜まりあは病み上がりのためベットで横になって体力回復を心掛けていたが「ざわざわ」とした嫌な予感が胸をよぎる。豪快にパジャマを脱ぎ捨て、近くにあった服を着こむ。


「奇遇ね、私もいま嫌な予感がしてたの。一緒に行くわ」

 妹の麻莉亜まりあに言われる前に外出の用意を終えていた雨音あまね。肩には小ぶりのボストンバックが掛けられていた。


「そ、そうなの? でもいいの?」

「なに言ってんの。病み上がりのあんたをひとりで行かせたら、圭に怒られちゃうでしょ、いいから行きましょ」


 雨音あまね麻莉亜まりあは最寄り駅に向かい出発した。しかし、雨音あまねには麻莉亜まりあに言えない裏事情があった。


(言えない……圭にしか渡してないなんて、言えない……帰って来れないかもなんて言えねぇ~)

 理由はさて置き、かくして吉沢三姉妹は早乙女女学院に予期せぬまま集結することになった。


 ***

 DFディフェンダーの枚数を増やし、ディフェンスラインの安定をはかった早乙女女学院ベンチ。しかし、そう旨く事は運ばなかった。交代で投入されたDFディフェンダーだが、さすが選手層が厚い早乙女女学院。他のチームなら確実にレギュラーを獲得できるほどの実力を持っていた。


 早乙女女学院のベンチワークとしては疲労したDFディフェンダー1名と守備的MFミッドフィルダー1名を同時に交代し、より守備に特化した布陣を敷いた、はずだったがその采配を揺るがす事態が発生した。


『外れるのはアキ、田中アキ』


 謎の猜疑心さいぎしんさいなまれた妄想列車アッキーナこと左SBサイドバック田中アキ『16番』が「これでもか」と再三にわたり左サイドを駆け上がった。武田騎馬隊を彷彿ほうふつさせるような突撃に早乙女女学院は防戦一方になる。田中アキが駆け上がる左サイドには、後半開始早々1ゴールを決めた石林『19番』がいる。


 石林へのパスを警戒した秋月は逆に石林に対し1対1マンマークを取る。つまり早乙女女学院は自ら攻撃の起点になるはずのCBセンターバック秋月『5番』を守備にくぎ付けにした。いや、くぎ付けにさせた。その功労者はちょっと認めたくないが田中アキ『16番』だった。


 何度もタッチラインに蹴り出されては突進を繰り返す。しかしそのうち周りが田中アキ『16番』の扱いに慣れる。ロストしかけたボールを石林『19番』が拾い、逆サイドの姫乃ひめのにパスを出したり、沙世さよが前線を離れサポートに入ったり、早乙女女学院的には「連動した攻撃」に見えていた。


 しかし、事実は異なった。いや1名を除いた蒼砂そうさ学園のメンバーは田中アキ『16番』の渾身の突撃を無にしないため、サポートしたくて声掛けをした。しかし! なぜかその声に耳を貸したのはアッキーナこと田中アキではなく、早乙女女学院のDFディフェンダーだった。その声掛けがパスへの警戒心を高めた。


 田中アキは自らボールをただひたすら保持したまま、敵ゴール目掛けて果敢にカットインする。田中アキの頭の中には呪いの言葉が繰り返された。


『外れるのはアキ、田中アキ』


 元々この言葉は中学時代自分を奮い立たせるために使い始めたパワーワードだったハズ。しかし、あまりにも言葉の力が強すぎて「」ではなく「」になっていた。今もそうだ、単身で全国3位の早乙女女学院の鋼のようなディフェンスラインにカットインするより、パスで好機を演出すべきだったが、残念何も見えていない。


!」と切り込むものの、早乙女女学院のディフェンスラインは「何か裏がある」とパスコースを消しに掛かる。しかし田中アキの速度は落ちない、それどころか増している。パスコースを消しに回った結果俊足の田中アキ『16番』のマークがルーズになる。

 結果ペナルティーエリア寸前まで迫りつつあった。しかもすぐ近くには後半2点目を決めた石橋『19番』の姿がある。パスを出されたら完全に崩される、そんなシーンだ。


(ダメ、もう止められない‼)


 早乙女女学院CBセンターバック秋月は堪らずアッキーナこと田中アキの足元にスライディングしボールをカットした。


「えっ…?」


 スライディングを受けた田中アキ『16番』は宙を舞いながら走馬灯を見た。

(あっ……私の最終予選……W杯よ、永遠に……ふふっこれでもう、あの悪夢を見ることはないのね、いい人生だったわ)


 アキ。残念だが人生は終わってない。いや、幸いにも「悪夢」の方は終わるかも知れない。地面に肩から叩きつけられるように崩れ落ちたアキの耳に届いたのは、きつめのホイッスルと「ナイスファイト‼」と称賛する圭の声。


(あぁ……これで私はついに天に召されるのですね……)

 いや、召されない。負傷した田中アキは控え選手に両手両足を持たれ、雑にタッチラインの外に運ばれた。なんか捕らえられたイノシシみたいだ。


 さて、残り時間はあとわずか。場所はペナルティーエリアのわずかに外側。PKではない。直接FKフリーキックの判定が下った。相手ゴール左45度。絶好の位置からのFKフリーキックだ。そうここで生じるのは「誰が蹴る」問題だ。小林監督からは明確なキッカーの指名があるものの、その人物は今ピッチにはいない。


(先輩。わかりますよね? 後半マシになったからって、ここで調子こいてFKフリーキック外したら『親の七光り』使えねぇ~になりますよ?)

(吉沢、あんた何が言いたいの? なんで味方にプレッシャー掛けるの?)

(プレッシャーなんてとんでもない、チキンな先輩に代わり私が蹴ってあげます。幸い? わたくし、2得点決めてます。外しても誰も文句は言えません。何より決めたらハットトリックです。まぁ……先輩はですが)


 口元を押さえて笑う沙世さよ姫乃ひめのが「やいのやいの」と苦情を言う。ボールはFKフリーキックの位置にセットされたまま、ボールに背を向ける形でキッカー争いをしていた。

 早乙女女学院がこのふたりの「こそこそ話」を打ち合わせだと勘違いし守備を固める。ペナルティーエリア内には早乙女女学院の選手で溢れた。早乙女女学院はこうなれば追加点を残り僅かな時間で狙いに行くリスクを冒すより、守り切ってのドローが最適解だ。


 審判の短い笛が鳴りいがみ合ってたふたりは「我こそは!」と振り向き、セットされたボールに向き合おうとした瞬間、ふたりは我が目を疑った。まだそこにあるはずのボールはあろうことか美しいを描き、宙を舞い、その放物線が描き出す先は早乙女女学院ゴ―ルマウス左上の端。


 もうここしかないだろう、そんな場所に狙いすまされたボールは吸い込まれるように消えた。


『ピ、ピ~~~~!』


 何が起きた? ピッチ内も両ベンチも何が起きたかわからない。いや、確実に「何かが起きた」それが証拠にただひとりピッチを悠々と掛け抜けるひとりの姿。彼女は美しいほっそりとした両方の人差し指を胸の前で立て、まるでリズムを取っているように軽快に動かした。


 蒼砂そうさ学園センターフォワード『11番』神崎俊紀としき2年生。彼女の正確無比なFKフリーキックで強豪早乙女女学院に引導を渡したのだった。ふたりの醜い口争いに付き合ってられなかった。


 こうして10数年振りに蒼砂そうさ学園が早乙女女学院に勝利を収めた。











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