第36話 嫌な予感に気付く。

 後方でボールを保持しショートパスで相手チームを翻弄し体力を奪う。そしてそこからロングボールでカウンター攻撃。これが早乙女女学院の基本攻撃。

 わかっているが、完成度の高いパス回しは簡単には抜け出せない。理由のひとつは必ず経由するCBセンターバック秋月が巧みに「溜め」を作れるから。


 しかし、そこが崩れた。圭が後半早々に投入した石林の1対1マンマークが効いて「溜め」を作れない。しかも実際はパスミスからのゴールなのだが早乙女女学院には「シュートがある選手」と石林『19番』が映った。前線に侮れない選手が味方のキーマンに張り付いている。それなりのプレッシャーだ。しかし、全国第3位は伊達ではない。


 こんな場面全国ではいくらでもあり、対策も練り上げられていた。早乙女女学院ボランチ潮見『6番』彼女は間違いなく全国区のボランチ。後方からの正確なロングボールで度々敵ゴールをおびやかす。


 事実前半3点のうち2点が彼女から供給されたものだった。基本はCBセンターバック秋月が保持し「溜め」を作り、崩し潮見『6番』が前線にロングフィードする。しかも、この時相手チームは右SBサイドバックを1枚削った状態だ。ロングボールが通りやすい環境があった。


 はずだった。蒼砂そうさ学園は起点となるCBセンターバック秋月『5番』を封じる為にDFディフェンダーを1枚削って攻めに出ている。別の言い方をすれば「前のめり」になっている。こういうときは逆襲に遭いやすく、そして数的不利な状況はディフェンスラインを混乱させやすい。追加点を奪ってはいるが蒼砂そうさ学園は薄氷の上なのだ。


 だけど、果たしてそうだろうか。CBセンターバック秋月『5番』からのロングフィードは石林の1対1マンマークで封じられている。

 付け加えるなら「溜め」も十分じゃない。そしてそうなれば前線にロングフィード出来るのはボランチ潮見『6番』しかいない。

 1度キーパー宇部うべまで戻して立て直すことも出来たが、1点差まで詰め寄られ判断にも余裕がない。早く攻めないと、そんな気持ちが知らず知らず早乙女女学院の中に芽生えていた。


 早くボランチ潮見『6番』にボールを渡し、相手チームの穴、右サイドをえぐりたい。そんな焦りが名手秋月の判断を濁らせた。


 考えてみればわかったかも知れない。石林の投入で秋月が封じられた先にあることを。考えればわかることだ。ロングフィードの成功率が高いのは誰かと。

 そして、石林はピッチに入る前に圭に耳打ちされていた作戦を、今度は姫乃ひめのが確実にこなせばいい。

 そう、秋月が封じられた以上、絶対に潮見『6番』にボールが回る。その瞬間をかすめ取ればいい。


 沙世さよほどではないが、姫乃ひめのの動き出しもまた全国区。姫乃ひめのの優れたところはその動き出しをうまく隠せることだ。

 動き出すところをおくびにも出さない。そして、いつものように回したつもりの後方での潮見へのショートパスは姫乃ひめのの網に掛かる。


 一瞬の出来事だ。後方からの組み立て、ビルドアップを戦略の要にしていないチームなら、もしかしたらこんな簡単なミスはしなかったかも知れない。

 こんな味方ゴール近くでボールを繋ぐより、もっとセーフティーなセンターサークル近辺でパスを繋ぐ筈だ。ボールロストは即失点に繋がりかねない。悪く言えば早乙女女学院はその辺りにある危険に鈍感だった。いや、それを餌にして敵前線の足を奪ってきた。


 姫乃ひめのは難なく敵ボランチ潮見へのパスをカット。しかもここからが姫乃ひめのの本領発揮だ。ノールックで前線に張り付いている沙世さよにインサイドキックで「優し過ぎる」パスを供給した。


(よし! DFディフェンダーが残っている! オフサイドはない!)


 姫乃ひめののインサイドキックから放たれた、ふわりとした浮き球は沙世の胸で簡単にトラップされ、まさに電光石火の勢いで右足を振り抜いた。


「うそっ……」


 あまりにも速いトラップ。そして狙いすました方向に落とされたボールコントロールはディフェンス陣を凍りつかせたまま、キーパーは一步も反応出来ない。鋭いシュートは宇部うべ『1番』の顔の真横を切り裂いた。


『ピ〜〜ピ〜〜!』


 沙世さよは自分のユニホームの襟元を引っ張り祝福の口づけをした。一瞬遅れ自陣のベンチが湧く。ありえないことが起きた。前半3点のビハインドを背負っていたはずの蒼砂そうさ学園。それを僅か後半開始15分程で追いついた。


 しかも相手は全国第三位の早乙女女学院。そして、ベストメンバーだ。早乙女女学院はこの展開は慣れてない。先制し、優位に試合を支配し相手が前掛かりになったところを更なる追加点で引き離す。

 もしくは堅守で接戦をモノにするのが、早乙女の戦い方だ。大量失点や3点もの優位を追いつかれたことなど、全国でも経験がない。


 ピッチでの焦りはベンチに伝染する。いや、その伝染したベンチの動きで状況は確定される。慌ただしくなった早乙女女学院のベンチ。呼ばれてアップしているのはDFディフェンダーの2名。その顔ぶれを見て秋月は眉をひそめた。


(ドロー狙いなの……? まだ、そんな時間じゃないじゃない!)

 早乙女女学院のベンチの狙いは分からなくもない。1度守備を安定させ落ち着かせ組み直せばいい。しかし、ピッチには伝わらない。口でなんと言おうと伝わらない。4バックとキーパーを含めた全国屈指のディフェンスラインはベンチの信頼を得ていないと感じてしまった。


 その心の片隅に芽生えた感情がひとつひとつのプレーから自信を少し削り落とした。鉄壁の守りに更なるひび割れが生じた。


 ***

 焦りを感じたのは何も早乙女女学院のディフェンスラインだけではない。交代で左SBサイドバックに入ったアッキーナこと田中アキ『16番』も焦りに焦った。田中アキは「そこそこ」A戦でも試合に出ていた。守備に難があるとはいえ、彼女の突破と正確なクロスは何よりも武器となる。


 しかし、しかし、まさにダークホース石林『19番』が投入後に結果を出した。人とは無意識のうちに序列をつけるものだ。田中アキにとってはコンスタントに試合に出ている自分は石林より上だと無意識で思っていた。


「はっ⁉ これは……」


 田中アキの脳裏にある映像が映った。記者会見場でフラッシュライトを浴びる圭の姿。スーツ姿。そして緊張感から固くなった表情で圭は記者に告げる。


『外れるのはアキ、田中アキ』


 伝説の記者会見に自分の近未来を重ね、焦りまくる。


(ヤバいヤバいヤバい! 何かしないとワールドカップ最終予選前に洩れちゃう感じだ‼)


 田中アキ『16番』彼女はまだ今はワールドカップは関係ない。






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