第34話 イケてるハズと気付く。

「石林さん、いいですか?」


 圭はベンチサイドで声を上げる。控えの選手たちの間からざわめきが起こる。きょろきょろ周りを見渡す者、軽く首を左右に振り眉をひそめる者。ほとんどの選手が驚きと否定的な表情を浮かべる中、ひとりの150センチ少しの小柄な女子が転げるように圭の元に現れた。


「あ、! ポジションはボランチです! いや、どこでもやります‼ 川守さん!」

 太めの眉毛、前髪はそこそこ短い。くせっけのある髪が小さく横で束ねられていた。


「川守でいいです。石林さん、1対1マンマーク得意ですよね。あとボールカット。船頭せんどうさんに聞きました」

船頭せんどうちゃんが……? はい! 1対1マンマーク出来ます! カットも得意です!」

「相手のキーマンは『5番』です。彼女にピッタリ付いてください。プレッシャーを与え続けてください、出来ますか?」


「出来るけど……いえ、出来ますけど……あたしボランチですけど……『5番』に付くなら前線に出ないとです、いいの? いや、?」


「はい。すべてのパスは『5番』を経由してます。いいですか、石林さんが入って、しばらくすると『5番』を経由しなくなります。それでも構わず『5番』に付いてください。激しい当たりとかはいらないです。カットしたボールは『11番』神崎さんに供給してください。あと姫乃ひめのに伝言してください――」


 圭は石林に耳打ちし、石林は間違いがないか復唱した。ピンクのビブスを脱ぎ傍らにいた船頭せんどうが回収する。大きな音を立てて自分の頬をきつく叩いて気合いを入れた。


「あの……ありがと。川守さん、あたし蒼砂そうさに来てA戦初めてなんだ。練習試合も含めて。もう2年生だし、あたしこのまま試合出ないまま引退しちゃうのかなぁって思ってて……船頭せんどうちゃんもありがと! なんか、ありがと‼」


 石林はアップしながらピッチサイドから少し離れた場所で見守る、ある中年男性にだけわかるように親指を立てて見せた。彼は石林の父親で休みが合えば娘が出ることのない試合でも必ず足を運んだ。それは彼女が中学の時から変わらない。多くの女子がそうであるように、中学には女子サッカー部はない。男子に混じったたったひとりの女子。


 その時から流し続けた汗と努力。たかが練習試合。しかも負けが濃厚な消化試合の色合いが濃いい、そんな試合だ。だけど、。彼女はたかが練習試合のひとつのために、人より多くの汗を流し、人より長くグランドに残り続けた。


 凡人かもしれない。蒼砂そうさ学園には彼女が見たことのないような才能を幾つも持った逸材がゴロゴロいて、彼女が毎日ひとつひとつしか積み上げられない物を簡単に越えていく。悔しさはある。だけど才能のせいにだけはしたくない。


 努力しか出来ない自分を応援し続けてくれる家族がいる。仕事で疲れていても足を運んでくれる父親がいる。彼女は誰よりも家族に恵まれていた。いや、誰よりも家族に感謝する気持ちを持って生まれた女の子だ。

 報われない努力をただひたすらに、狂おしいまでにひた向きに積み重ねて来たひとりの女子が、いま開花期を迎えようとしていた。


 ***

「渡辺。交代は不服か?」

 蒼砂そうさ学園不動の右SBサイドバック『3番』渡辺は石林と交代でベンチに下がった。前半からの献身的な守備で、傍目からも疲労困憊ひろうこんぱいだった。監督の小林も前半で交代の心づもりをしていたが、守備に定評がある渡辺をピッチに残した。


 口では「いいえ」と言うが、交代でベンチに帰る際そこにあったペットボトルを蹴り上げた。明らかに圭の采配に対しての不快感を露わにする。いや、交代した相手が石林だったことも関係している。万年先発の渡辺が試合出場経験もない控え石林との交代。しかもポジションが異なる石林の投入。


(闘争心も大事だが残念だ……)


「渡辺。お前しばらく『Bチーム』に入れ、以上だ」

 監督の小林はチームの輪を乱す者を決して認めない。フットボーラーは心が伴わないといけない。彼の長年の持論だ。それが不動のSBサイドバックだといえ、関係なかった。入学以来『Aチーム』だった渡辺ははじめて『Bチーム』落ちを経験する。


 ピッチに目を戻すと入ったばかりの石林『19番』がキャプテン小林姫乃ひめのに駆け寄り圭からの伝言を伝えた。姫乃ひめのはそれに何度か頷いた。


「石林。右SBサイドバックに入るのよね?」

 姫乃ひめのの問い掛けに石林は小首を傾げ、小さく首を左右に振り早乙女学院CBセンターバック秋月の1対1マンマークに付いた。


(えっ、川守圭、どうゆうこと⁉ これどういう状況⁇)


 ベンチに視線を送る姫乃ひめのに並走した沙世さよは『にへら』と笑った。


「なによ」

「いえ、って。圭の作戦」

「あんたわかるの? 右SBサイドバック削って前線にオフェンスでもない選手入れるなんて……ありえない」

「はい。でも、早乙女ベンチも同じです。混乱させて、その隙に――」

「隙に?」


「勝ちに行くんです」

「勝つ……そっか、そうよね、うん。勝たないと」

 そう気分を切り替えた姫乃ひめのの耳元に沙世さよは悪魔のささやきを洩らす。

「きっと、圭は先輩のおケツ舐めるのがよっ~ぽど、なんです」

「はぁ⁉」


(いやいや、舐められる私が『』なのはわかるよ? なんで川守圭が『』なのよ? 意味わかんない。だってそんなの……男子的にはでしょ? いや、ちゃんと洗うし洗ってるし、いざとしたらスクラブ的な、何かで入念にちゃんと洗って乳液とかでつるつるにするし……嫌がるなんてマジないでしょ?)


 サッカーIQ最強女子小林姫乃ひめの。サッカー以外の知識は残念女子。そして「いやいや、川守圭は絶対よろこんで舐めるもん!」と残念な方向に思考を暴走させながら、ピッチで躍動する。


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