第45話 隣の澪さん

「起きて、起きろー」


「うん? あ、おはよう


「寝ぼけてる?」


「あ、違った


 とても懐かしい夢を見ていた。


 澪さんと過ごした高校生の時の夢。


 あれから色々あって、僕と澪さんは結婚した。


 今でもこうやって澪さんに毎日起こして貰っている。


「いつもありがとう。澪さんはあの時と変わらないね」


「どの時?」


「高校生の時」


「なんだぁ、私が子供っぽいってかぁ?」


 澪さんにほっぺをうにうにされる。


「ひはふほ」


「ごめん何言ってるか分からない」


 澪さんはそう言うとほっぺから手を離してくれた。


「違うよ。澪さんはあの時から優しくていい人だってこと」


「ふっ、私はあの時と違って成長したんだよ。その程度で照れると思ったら」


「あの時から大好き」


「……私もです」


 澪さんが小さくなった。


 こういう反応は高校生の時と変わらない。


「変わったと言えばって呼ばせてくれるようになったよね」


「だって恥ずかしかったんだもん」


 澪さんが澪さんと呼ばせてくれるようになったのは結婚してからだ。


 と言うよりは結婚したら氷室さんでは無くなるから仕方なくと言った感じだったけど。


「でも優正が『さんは付けてんだ』って言ってたよ」


「呼び捨てはもう少し待って頂けると」


「ちゃんも嫌がったよね」


「陽太君から『澪ちゃん』なんて言われたら恥ずか死ぬよ!」


 僕にはよく分からない。


 静玖ちゃんは逆にちゃんを付けないと怒る。


「ようたくん、れいちゃん」


「おはよう、心中」


 この澪さんに似た可愛い女の子は僕達の新しい家族。日野ひの 心中ここなだ。


「私達が名前で呼び合うからお父さんお母さんとかパパママで呼ばなくなっちゃったね」


「うん。最初はれいさんだったけど、心中はちゃんにしたよね」


 僕はちゃんを付けて呼んだら駄目って言うのに、心中はさんじゃ駄目だと言ってちょっと理不尽を感じた。


「そんな拗ねないでよ。むしろさん付けで呼ぶの陽太君だけなんだから」


「澪」


「やめろし。なんでそんなに呼び捨てにしたいのさ」


「だって優正が『呼び捨ては仲良しの印』って言ってたから」


「いつも余計な事を」


 優正はたまにうちに来て心中と遊んでくれている。


 でも毎回澪さんに「変なことを教えるな」と怒られている。


「れいちゃん」


 心中が澪さんにぎゅっと抱きついた。


「どうしたの、ここちゃん」


「ゆまちゃんがれいちゃんがおこったときはこうしたらいいって」


「優正ぁ」


 澪さんが嬉しいけど悔しいような複雑な顔をする。


「心中。僕には?」


「ゆまちゃんがようたくんにはおちこんだらっていわれたよ」


「心中にぎゅってして貰わないと悲しい」


 それは本心だ。


 なんだか澪さんがされてるのを見て、自分もして欲しくなった。


「ぎゅー」


 ほんとに落ち込んできて俯いていたら、心中が僕を抱きしめてくれた。


「心中大好き」


「ここちゃんもようたくんだいすき」


「嫉妬しちゃうなぁ。陽太君は私と心中どっちが好きなのかなぁ?」


「心中って澪さんを小さくしたみたいなんだよね。寒月さんに見せて貰った澪さんの子供の時みたいだからさ。きっと心中が大人になったら澪さんみたいになるんだろうなって思うと、どっちがじゃなくてどっちも大好きだよ」


 元から優劣なんて付けられない。


 僕は澪さんも心中も大好き。


 どっちが好きかと聞かれても、澪さんには澪さんの、心中には心中の好きなところがあって比べることなんて出来ない。


「陽太君らしい答えをありがと」


「澪さんは?」


「え?」


「澪さんは僕と心中のどっちが好き?」


「優正絶対に許さない」


 さすが澪さんだ。


 優正から「もし澪が『どっちが好き?』みたいな質問してきたら同じ質問してみて」と言われたからしてみた。


「れいちゃん、どっち?」


「ここちゃんまで。私だって二人のことがだ、大好きですよ」


「れいちゃん、おかおがまっかだよ、おねつ?」


「澪さんの顔が急に真っ赤になった時は嬉しい時だから大丈夫だよ」


「それも優正か」


「ううん。僕が見てきた澪さんならそうかなって」


 これまでいっぱい澪さんのことを見てきたけど、急に顔が真っ赤になる時は嫌だとかじゃなくて、素直になれない時な気がした。


 僕もそうだったし。


「陽太君」


「何?」


「大好き」


「僕も大好きだよ」


「返り討ちだもんなぁ」


 澪さんが顔を真っ赤にしながらため息をつく。


「れいちゃんおかおあついよ。きょういけない?」


 心中が澪さんの顔をぺたぺた触りながら聞いてくる。


「ここちゃんは優しいなぁ。たまにSっ気あるけど」


「そうなの?」


「優正君のせいでもあるんだろうけど、陽太君に似たのが一番大きいかな?」


「僕?」


 えすっけって言うのがなんなのかよく分からないけど、心中は澪さんに似ていると思っていたから似ていると言われるのは嬉しい。


「れいちゃんだいじょうぶ?」


「大丈夫だよ。今日はみんなでお出かけだもんね」


 澪さんが心中の頭を優しく撫でながら言う。


 今日はみんなで動物園に行く約束をしていた。


「今日はあの日のリベンジだからね」


「懐かしいね」


 あの日とは、澪さんと初めて行った動物園のこと。


 今日はあの時見れなかったコアラを見に行くのだ。


「あれが澪さんとの初デートだったんだよね」


「陽太君は全然そんなこと思ってくれてなかったけどね」


「あの時は澪さんを友達として好きだと思ってたから……。ごめんなさい」


 僕も大人になったから、あれがデートと言うことは分かるぐらいに成長している。


 と言うよりかは、澪さんと付き合ってから初めてのデートに行った時に「初デートがどれだか分かる?」と言われて知った。


「ごめんなさいって言ったね。キスは?」


 僕と澪さんにはいくつかの取り決めがある。


 その一つが「ごめんなさい」を言ったらキスをするということ。


 でもキスをすると澪さんは固まるか怒る。


「澪さん今日普通でいられる?」


「善処します」


「普通にしてくれないと澪さんは嫌なのかなって不安になる」


「それは本当にすいません。未だに慣れないもので」


「すいませんも駄目だよ」


「ここちゃんもこういう風に無意識で私をいじめてくるのかな……」


 澪さんが遠くを眺める。


「比喩だからね」


「エスパー?」


 僕が「僕は澪さんを虐めてたの……」と聞こうとしたら、澪さんが違うと言ってくれた。


 僕はいつも澪さんに救われる。


「澪さん」


 僕は嬉しさがいっぱいになって我慢出来なくなり、澪さんに触れるだけのキスをした。


「いつもいきなりなんよ。嬉しいよ、嬉しいけどやめろし」


「だって澪さんが可愛いから」


「だからやめろし。ここちゃんもそんなじーっと見ないの」


「なんで? ようたくんとれいちゃんのなかよしさんをみれるのはとっけんだってゆまちゃんいってたよ?」


「次来た時には優正に見せつけてやる」


 澪さんはこう言うけど、前に優正が来た時に目の前でキスをしたら優正が帰るまで部屋にこもっていた。


「澪さん」


「何?」


「僕はしたよ?」


「陽太君ってキス好きだよね」


「澪さんにされることはなんでも好き」


 それがキスでもぎゅーでも、とにかく澪さんから何かされるのは大好きだ。


「ほんと陽太君は昔から変わらないよね」


「僕も成長してるもん」


「確かにデートの意味が分かったりはしてるけど、……わ、私を好きなのは高校生の時から変わらないでしょ?」


「うん。今なら分かるよ。僕は澪さんと友達になった時には澪さんを好きだった。でもね」


「でも?」


「今はあの時よりも澪さんのことが大好き……いや愛してるかな」


 愛してるは大人になってちゃんと覚えた言葉の一つだ。


 言葉自体は知っていたけど、ちゃんとした使い方は知らなかった。


 でも今なら分かる。


 僕は澪さんを愛してる。


「これが優正のせいじゃないのが分かって辛い」


「澪さんは僕のこと嫌い?」


「そんなことある訳ないでしょ。次言ったら怒るからね」


 僕が悪いのは分かってるけど、もう既に怒っている。


「じゃあキスして」


「ほんとどこでそんなの覚えてくるのさ。好きを証明しろって? いいよ、やるよ」


 澪さんが僕と向かい合って真っ赤な顔で見つめてくる。


 そして一つ息を吐いてから僕にキスをする。


 澪さんからのキスは僕が自分からするのよりも好きだ。


 嬉しさが込み上げてくる感じがして。


「陽太君。私は何回でも言うよ。私はこれまでもこれからも陽太君を愛し続ける。その気持ちは陽太君にも負けないからね」


「僕だって負けないよ。澪さんのことをずっと愛し続ける。高校生の時は澪さんに『嫌い』って思われたら諦めるつもりだったけど、どんなことがあってもまた澪さんを好きにさせてみせるから」


「嫌いなんてならないよ。でも陽太君に一つ不満はあるんだ」


「何?」


 僕に駄目なところがあるのならすぐに直す。


 たとえどんな些細なことだったとしても、澪さんに嫌な思いはさせたくない。


「陽太君のキスって短過ぎない? 一秒以上し続けたことないよね?」


「だってドキドキして心臓が破裂しそうになるんだもん」


 確かに僕のキスは澪さんからのキスに比べると短い。


「なんかずるいなぁ。私は陽太君にキスされるの好きだけど、短いから堪能出来ないんだよなぁ」


 澪さんがちらちらと横目で見ながら言ってくる。


「でもいっぱいしてるよ」


「それは陽太君が『ごめんなさい』をいっぱい言うからでしょ」


「だって澪さんに何かしてたら嫌だから」


「陽太君にされて嫌なことはないって。強いて言うならその『ごめんなさい』ぐらいだよ」


「うん。今週の目標は『ごめんなさい』を言わないことにする」


 そう言って言っちゃうのが僕だけど、目標はあった方がきっといい。


「頑張れ」


「うん、頑張る。じゃあ澪さんあと一回」


「なにが?」


「キス」


「なして?」


「だって今のはほっぺをつねった時に言った『ごめん』のキスでしょ? だから次は『すいません』のキス」


 ほっぺをつねった時の「ごめん」は少し意味合いが違うからキスの必要はないやつだけど、して欲しいから言ってみた。


「陽太君ってほんとにキス好きだよね。求められるのは嬉しいけど、あれはノーカウントで」


「残念」


 元からあんまり期待はしてなかったけど、少し残念に思う。


「ようたくん、れいちゃん」


「どうしたのここちゃん」


「なかよしさんなのはいいことだけど、どうぶつえんは?」


「「ごめんなさい」」


 高校生の時は明莉がやっていた、僕と澪さんの時間管理を、今は心中がやってくれている。


「ほんと心中っていい子だよね」


「ほんとね。じゃあ行こっか」


「まって」


 僕と澪さんが立ち上がろうとしたら、心中に手を掴まれた。


「ごめんなさいしたからここちゃんにきすは?」


「さりげなく流そうと思ったのに、やっぱり陽太君に似てる」


「心中が『ちゅー』じゃなくて『キス』って言うのは僕達がそう言うからかな?」


「だと思うよ。多分意味はよく分かってないだろうけど」


 僕達が話していると、心中が手を引っ張って「まだ?」みたいな目を向ける。


 なので僕と澪さんは心中のおでこにキスをした。


「いつもおでこだよね」


「昔澪さんがね。ほっぺは友達、唇は異性と言うか恋人。おでこは妹とか姉だから家族って言ってたんだ」


「よくわかんない」


「いつか分かる時がくるよ。陽太君みたいに本当に好きな人が出来た時に」


 きっと澪さんに出会ってなかったら、僕は今も『好き』が分からなかったと思う。


 だから澪さんには感謝してもしきれない。


 ずっと僕の隣で僕を支えてくれて、色んなことを教えてくれた澪さんが大好きだ。


 そんな澪さんとこれからもずっと一緒に居たい。


「澪さん」


「何?」


「これからも僕の隣に居てね」


「なにを当たり前なことを。私は陽太君の隣を誰にも譲る気はないよ。もちろんここちゃんにも」


 澪さんはそう言うと僕の手を握り、反対の手で心中の手を握る。


「れいちゃんずるい」


「愛し合っている二人の間には入れないのだよ」


「澪さん可愛い」


「だからやめろし」


 この後の流れは、外に出たら危ないからと結局僕と澪さんの間に心中を入れて歩くのだ。


 だからそのことを考えたら澪さんを無性に可愛く思える。


「行こっか」


「うん」


「コアラさんみにいくー」


 そうして僕達は動物園に向かった。


 きっとこれから楽しいことも辛いこともあるのだろうけど、僕の隣には澪さんが居る。


 それなら楽しいことはもっと楽しく、辛いことは一緒に乗り越えていける。


 僕の隣に澪さんが居る限り。

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