第40話 氷室さんとクッキー
「陽太君、起きて」
「おはよう、氷室さん」
今日はなんだかとても寒い。
こんな寒い日は毛布を被って寝ていたいけど、それだと氷室さんに悪いからいつも通りベッドから下りて氷室さんの隣に座る。
「今日は寒いね。天気予報で雪のマーク付いてたよ」
「そうなの? もし降ったら初雪だね」
もう二月の中旬で、今年はもう雪は降らないのかと思っていた。
雪はあんまり好きではない。
道路が滑るから寝ぼけていると転んでしまう。
「雪が降ったらどんなことがあっても陽太君と帰るからね」
「ほんと? よかった。一人で帰ってたら怪我してたかもしれないし」
「だからなんだけどね」
と言っても、もうずっと氷室さんとは一緒に帰っている。
「帰って来たら陽太君に渡すものがあるから楽しみにしててね」
「してる」
なにをくれるのだろうか。特に何かご褒美を貰えるようなことはしていないはずだけど。
「陽太君のことだから気づいてないんだろうね。まぁでもすぐに分かるか」
「お兄ちゃん」
氷室さんが何か言っていたのが気になったけど、明莉がいきなり入ってきたことに意識が持っていかれた。
「どうしたの?」
「チョコをあげよう」
「ありがとう。でもなんで?」
「私がお兄ちゃんを大好きだから」
「よく分からないけどありがとう」
言ってる意味は分からなかったけど、明莉に大好きと言われるのはとても嬉しいからなんでもいい。
僕は明莉から綺麗なラッピングをされた包みを貰う。
「一番嬉しいは澪ちゃんにあげるけど、今年一番は私が貰った」
「明莉ちゃん、陽太君のこと好きっての隠さなくなったんだね」
「別に隠してた訳じゃないよ? 澪ちゃんに遠慮してただけ」
「やめた理由は?」
「相思相愛なら気にしなくていいかなって」
「明莉ちゃんってほんといい子だよね」
氷室さんはそう言うと、明莉の頭を優しく撫でた。
「私には兄妹愛があるからね。澪ちゃんとは違う意味で愛されてるからってのもある」
「照れて強がるところは可愛いね」
「照れてないし。それより澪ちゃんはトリ?」
「分かんないけど、帰って来たらのつもり」
「ふーん」
明莉がなんだか悪い顔をしている。
「じゃあ頑張って。私は行くね」
明莉はそう言うと部屋を出て行った。
「陽太君、明莉ちゃんどんなのくれたの?」
「開ける?」
食べる時に開けたかったけど、すぐにしめればいいかと少しだけ中を覗く。
「ガトーショコラだ」
この一ヶ月の間に、氷室さんと明莉はお料理教室で沢山のチョコのお菓子を作っていた。
その中で、明莉の作ったガトーショコラはとても美味しかった。
「ガトーショコラにしたんだ。明莉ちゃんの作るお菓子って普通に美味しいんだよね」
「うん。全部美味しいけど、ガトーショコラが一番好き」
食後の楽しみが増えた。
「これ私の時には反応薄くなってたりしないよね?」
氷室さんが不安そうな顔をしながら「いや、陽太君だよ? 大丈夫……なはず」と言っている。
「考えても仕方ない。とりあえず学校に行こう」
「うん」
氷室さんが立ち上がって、僕に手をさし伸ばしてくれたから僕はその手を取って立ち上がる。
「陽太」
「なに?」
学校に少しだけ早めに着いたら優正がいきなり振り向いて話しかけてきた。
「ここに中までチョコがたっぷりなお菓子があります」
「うん」
「これを咥えて」
優正が差し出してきたお菓子の先を咥える。
「食べたら駄目だよ。そして反対側をうちが咥えて」
「させるか」
優正が反対側を咥えようとしたら、氷室さんがお菓子を真ん中の辺りで折って食べた。
「なにすんのさ」
「こっちのセリフだよ。陽太君のファーストをこんな形で奪わせないから」
「なんかいい事聞いた。てか別にそこまでやろうとしてないし」
「どの口が言ってんの」
「うちがやろうとしたのは、どっちが先に真ん中に辿り着くかゲームだもん。陽太が勝ったらご褒美として余ったお菓子をあげようかと。それならうちもドキドキを味わえてウィンウィンじゃん?」
「うるさい。私は今、不機嫌なんだよ」
「理不尽な」
氷室さんはさっき僕の下駄箱に入っていた包みを見てから機嫌が悪い。
その包みには何も書いてなく、中身はトリュフだった。
「今更誰が陽太君の下駄箱にチョコを」
「あそこの人じゃない?」
優正が教室の入口を指さすので、氷室さんが勢いよく振り返る。
僕もそこを見ると、教室の扉から顔だけ出している静玖ちゃんが居た。
「ちょっとした出来心だったんです」
静玖ちゃんがしょぼんとしながらやってきた。
「入れたのは静玖ちゃんってことでいいのね?」
「はい。新たなライバル登場みたいな雰囲気出そうかなって。そしたら澪ちゃんが怖い顔してたから……ごめんなさい」
「静玖ちゃんならいいよ。来年からは普通に渡してくれると嬉しいな」
「圧が。分かっています。ごめんなさいでした」
静玖ちゃんがいつもの明るい雰囲気とは違って、とてもしおらしい。
「明月君も止めなさいよ」
「飛び火したか。止めたよ。でも……」
「好きな子のやりたいことは止めきれなかったと」
「そんなんじゃ……ない」
明月君の顔が赤くなる。
「見せつけちゃって。可愛いな」
「氷室に言われるとなんかお前が言うなよ感がやばいな」
「ちょっと何言ってるのか分からないかな」
氷室さんが明月君から視線を逸らす。
「陽太陽太」
「何?」
「澪に怒られたから普通にあげる」
優正はそう言うと、持っていたお菓子を僕にくれた。
「開けちゃったから早めに食べてね」
「ありがとう。でもなんでみんなチョコくれるの?」
「陽太してるねぇ。今日は何月何日?」
優正に言われたから黒板を見て確認する。
「二月の十四日」
「そこまで言って分からない?」
「あ、バレンタインか」
そういえば毎年明莉がチョコをくれる日があった。
なんでくれるのか聞いたら「まぁバレンタインだし一応?」と少し恥ずかしそうに言っていた。
さすがの僕でもバレンタインぐらいは知っている。
確か女の子が気まぐれでチョコをあげる日。
「お返しは三倍返しが基本だからね」
「お金と大きさと気持ちのどれ?」
「うちは気持ちがいいな。ということで」
優正はそう言うとカバンから綺麗にラッピングされた包みを取り出した。
「うちが初めて心を込めて作ったガチチョコ。中身はマカロンだから。お返し期待してるね」
「気持ちを込めたお返し……。何にしようかな」
お金と大きさなら簡単に決められそうだけど、気持ちとなると難しい。
でも優正が心を込めて作ってくれたものだから、ちゃんと僕も心を込めたお返しがしたい。
「私は友チョコだからそんなに気にしないでいいからね」
「静玖ちゃん、お説教終わってない」
「だってよーくんにちゃんと言っとかないとみんなに三倍返しして大変だと思ったから」
「じゃあ許す」
そうは言ってもお説教は続けるみたいだ。
「悩んだらデート一回でいいよ」
「お出かけ?」
「違う違う。デート」
正直お出かけとデートの違いがよく分かってはいない。
優正と水族館に行ったのはデートで、氷室さんと動物園に行ったのはお出かけ。
なにが違うのかよく分からない。
「まぁ存分に悩むといいさ」
優正は楽しそうに言う。
僕は一日お返しのことで頭がいっぱいになった。
「お返し……どうしよう」
放課後の帰り道。結局お返しをどうするかは決まっていない。
後一ヶ月あるとはいえ、このままだとデートになりそうだ。
それでもいいけどなんだか特別感がなくて違うのにしたい。
「陽太君は真面目だね」
「だって」
「てか寒い。陽太君と繋いでる手だけ暖かいけど」
僕達は下校の時はあんまり手を繋がないけど、今日は寒いからと手を繋いで帰っている。
「結局雪降んなかったし」
「降りそうだけどね」
「降ったら陽太君の傘に入って相合傘しようと思ったのに」
僕は常にカバンの中に折り畳み傘を入れている。
氷室さんはそれを知っているからか、今日は傘を持ってきていない。
「結局家に着くまでに降らなかった」
「危ないから僕は良かったけど」
「まぁそっか。陽太君が怪我するくらいなら降らない方が全然いいや」
氷室さんはそう言うと「チョコ取ってくるね」と言って家に入って行った。
「寒い」
氷室さんと手を離した途端に寒くなってきた。
手に白い息を当てて誤魔化すけど、やっぱり寒い。
「ごめん。家の中入ってもらえば良かった」
少し経って氷室さんが出てきた。
「陽太君の部屋に行くつもりだったから。ごめん」
「ううん。大丈夫」
「とりあえず渡すね。私の本気のチョコです」
氷室さんはそう言うと、綺麗にラッピングされた包みを渡してくれた。
「ありがとう。クッキー?」
「なぜ見ないで分かる?」
「氷室さんと言えばクッキーかなって」
氷室さんに初めて作って貰ったのもクッキーだった。
だから氷室さんと言えばクッキーのイメージがある。
「リベンジしたかったんだ。今回はきっと大丈夫なはずだから」
「前も美味しかったよ?」
「陽太君が本心で言ってるのも分かるけど、私の気が済まないから」
氷室さんには氷室さんの思いがあるのだろうからこれ以上は何も言わない。
「じゃあ僕の部屋で食べ」
「陽太君?」
「降ってきたよ」
ようやく雪が降ってきた。
「ほんとだ。雪って降り始めは綺麗だよね」
「うん。寒いからいつもはあんまり好きじゃなかったけど」
そう言って僕は氷室さんの手を握る。
「こうすれば暖かくて嫌じゃなくなるかも」
「私は急にそんなことされたら暑くなるよ」
氷室さんの顔が寒さとは別の赤になる。
「じゃあ行こ」
「そうだね」
そうして僕と氷室さんはいつも通り僕の部屋で過ごした。
その際みんなから貰ったチョコを食べた。
全部とても美味しかったけど、氷室さんのクッキーが特に美味しいと感じた。
今までは全部同じく美味しいと思っていたのに、なんだか不思議な気持ちになった。
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