第38話 氷室さんとモヤモヤ

「陽太君、起きて」


「おはよう、氷室さん」


「学校の準備はちゃんとした?」


 冬休みが終わり、今日から学校が始まる。


「したよ。静玖ちゃんは宿題ちゃんとやったかな?」


 静玖ちゃんは夏休みの時に宿題を最終日まで全然やらなかったから花火大会に行けなかった。


 あの時はギリギリ間に合ったみたいだけど、今回はちゃんとやったのだろうか。


「私も気になって初詣の時に明月君に聞いたよ。そしたら恥ずかしそうに『毎日会ってるからやらせてる』って言ってた」


「なんで恥ずかしいの?」


 僕も氷室さんと毎日会っているけど、恥ずかしいことは何もない。


「それはまぁ、色々あるんじゃないかな」


 氷室さんが少し嬉しそうに言う。


「それより陽太君」


 氷室さんが床に手をついて少しだけ僕に近づきながら言う。


「何?」


「陽太君って辛いものとか苦いものが苦手だったよね?」


「うん。お母さんと明莉から『子供舌だね』って言われた」


 僕は辛いものや苦いもの、後酸っぱいものも苦手だ。


 食べれない訳でもないけど、辛過ぎたり苦過ぎたりするものはあんまり美味しく食べれない。


「でも甘いものが好きとかでもないんだよね?」


「うーんとね。辛いのも甘いのも普通ぐらいなら美味しいって思うよ」


 人にもよるかもしれないけど、砂糖をそのまま食べたり、唐辛子をそのまま食べたりするのが苦手なのと同じで、過度なものでなければ基本的になんでも食べられる。


「次のお料理教室で作るもの選んでるの?」


 氷室さんは月に何回か休みの日にお料理教室をしている。


 僕のお母さんや寒月さん、後冷実さんからお料理を教えてもらって僕に振舞ってくれる。


 僕は毎回美味しく食べているけど、寒月さんは「食べられる程度にはなったけど駄目」と言う。


 冷実さんとお母さんは「なんでこうなるんだろう」と不思議がっていた。


 明莉も何度か食べているけど「よく言うと普通。悪く言うなら微妙って感じ?」と言っていた。


 みんななんでか氷室さんに対する言葉が冷たい気がした。


「みんな素直だから助かるよ。陽太君はなんでも美味しいって言ってくれるけど、前みたいにお腹壊されちゃったら罪悪感で二度と料理なんてしなくなるだろうし」


「あれは氷室さんのクッキーのせいじゃないよ?」


 初めて氷室さんの作ったクッキーを食べた日は確かにお腹が痛かった。


 だけどそれはただ僕のお腹が痛くなっただけで氷室さんのクッキーは関係ない。


「陽太君は本気で言ってるんだろうね。でもあれのおかげって言っていいのかは分からないけど、料理をちゃんと覚えようって思ったんだよね」


「氷室さんの作るお料理は全部美味しいよね」


「そう言ってくれるのは陽太君だけだよ」


 氷室さんが嬉しそうにそう言ってくれる。


「次からのお料理教室はしばらくチョコが続くけど飽きないでね」


「氷室さんのお料理はいつも楽しみだから飽きないよ?」


「じゃあ今週末もやるからお楽しみに」


「うん」


 そういてしばらくお話をしてから学校に行く準備を始めた。




「よーくん、頭撫でて」


「うん」


 放課後になり、静玖ちゃんと明月君が僕達のクラスに来た。


 そしていきなり静玖ちゃんがそう言って屈み、頭を差し出してきたからその頭を優しく撫でる。


「明月君じゃなくていいの?」


「良君とは喧嘩中だからいいの」


 この二人が喧嘩なんて初めてだ。


 それを聞いた氷室さんは、静玖ちゃんに向けていた視線を明月君に向けた。


「俺を見るな」


「いや、喧嘩中なのに一緒に来てるから気になって」


「喧嘩って程でもないしな。ただ静玖が冬休みの宿題をやらないから少し怒っただけだ」


「毎日いちゃいちゃしてるからじゃないの?」


「……そんな訳ないだろ」


 なんだか間があった気がする。


 静玖ちゃんも俯いてしまった。


「でも初詣の時は進んでるみたいに言ってなかった?」


「あの時な終わるペースだったんだよ。だけど……」


「静玖ちゃんが可愛すぎて宿題見れなかった?」


「……うるさい」


 明月君が顔を赤くしながらそっぽを向いた。


 氷室さんはなんだかとても楽しそうだ。


「初々しいねぇ」


「うるさい黙れ。お前達も似たようなもんだろ」


「私と陽太君? あ、そういえば私、陽太君を照れさせたんだよ、すごくない?」


 氷室さんがとても嬉しそうに明月君に言う。


「日野って羞恥心とかあったのか」


「うん。明月君みたいに簡単には見せてくれないけど」


「馬鹿にしてんな」


「そんなことないよ」


 氷室さんと明月君が楽しくお話してるのを見るとなんだかモヤモヤする。


 お友達同士で仲良くお話するのは普通のことなんだろうけど、どうしてもモヤモヤしてしまう。


「キタァァァァ」


「優正うるさいよ」


 静玖ちゃんと明月君が来るまでは普通にお話していたのに、二人が来た途端に黙ってスマホを取り出した優正がいきなり叫び出した。


「いやだってさ、明月君はしーちゃんを取られて、澪は陽太を取られた状況でどんな反応するか見てたら逆に陽太としーちゃんが嫉妬してるんだよ? そんなの叫ばずにいられる訳ないじゃん」


 優正が嬉々としてそう語る。


「しーちゃんとしては陽太に構われてるところを明月君に見せて嫉妬させたかったんだろうけど、澪と楽しそうに話されて逆に嫉妬してるし。陽太は単純に澪と明月君が話してるの見て嫉妬して……。もうね、もうねって感じ」


 優正がとっても楽しそうだ。


 氷室さんを好きかどうかちゃんと分かった訳ではないけど、前よりこの感情は強くなった気がする。


「良君のバカ」


 静玖ちゃんが涙を流してしまったので、僕はハンカチを取り出してその涙を拭う。


「あー、明月君がしーちゃん泣かしたー」


「俺のせいなのか?」


「まぁ七対三で明月君が悪いんじゃない?」


「三って誰?」


「優正」


「なしてさ!」


「煽るから」


 確かに優正の言葉を聞いたら少し悲しくなった。


 氷室さんと明月君が仲良く話してたっていう実感が強まって。


「日野ってもっと感情がないんだと思ってた」


「いやいや、陽太君程感情豊かな子はいないでしょ」


「嫉妬とか羞恥とかの感情は薄いだろ?」


「最近はよく出るよ」


 二人が仲良くお話してるのを見るとやっぱり前よりもモヤモヤが強くなった気がする。


 静玖ちゃんの涙の量も更に増えた。


「わざとなの?」


「なにが?」


「それ以上やったらしーちゃんが脱水症状になって、陽太も泣き出すよ? ていうかもう泣いてるよ?」


 優正に言われて気がついたけど、確かに泣いている。


「よーくん」


 静玖ちゃんが僕の制服の袖をつまんで引っ張るので椅子をしまって床に座る。


 そうすると静玖ちゃんが僕の背中に手を回して僕の胸に顔を当てた。


「良君のバカ、バカ」


「静玖ちゃんの肩借りていい?」


 僕が聞くと静玖ちゃんは頷いてくれた。


 なので静玖ちゃんの肩に顔を落とす。


「なんかやだ」


 氷室さんが明月君とお話するのは別に悪いことじゃないのになんだか嫌だ。


 僕に氷室さんのお話する相手を選ぶ権利なんてないのに。


「あの二人を見て思うことは?」


「「なんだかモヤつく」」


 氷室さんと明月君が同時にそう言う。


「静玖。今日はどんなことでも言う事聞くからこっち来い」


「陽太君。それ以上は私が泣くよ」


 それを聞いた僕と静玖ちゃんは何も言わないで離れる。


 そして静玖ちゃんは明月君に抱きつき、僕は氷室さんを見つめる。


「氷室さんが泣いちゃうのはやだ」


「大丈夫だよ。前に私が独占欲つよいって言われたけど、陽太君も結構独占欲強いよね」


 氷室さんが自分のハンカチを取り出して、僕の涙を拭いながら言う。


「ごめんなさい」


「なんで謝るの? 似たもの同士で嬉しいねって話だよ?」


「似たもの同士……。うん、嬉しい」


 氷室さんと似ている。それだけでとても嬉しい。


 きっとこれからも氷室さんと一緒に居たら、悲しくなることもあるだろうけど、それ以上に嬉しいことか沢山あるはずだ。


 そんな日々を楽しみにする。


「氷室さん?」


 氷室さんがさっきから固まって動かない。


「陽太の涙スマイルを間近で見て固まっちゃったみたいだね。そういうお姫様にはキスでもして起こしてあげたら?」


「キス?」


「ちょっ、バカじゃないの? 陽太君に変なこと教えるのやめなさいよ」


 氷室さんが動いた。


 いつもの顔を赤くした元気な氷室さんだ。


「澪だって陽太と『キスしたいー』とか思ってるんでしょ?」


「……思ってないし」


「その間は認めてるってことだぞ?」


「まだそういうのは早いでしょ」


ね。そう言いながら明日とかにしてたら笑う」


「そういうのは全部話してからって決めてるの」


 氷室さんの焦った顔から一転して、とても真面目な顔になった。


「全部ね。いつ話すの?」


「それは……今年中には」


「へぇ。ならうちが先に全部話して陽太を貰うね」


「陽太君はそんな簡単靡かないから」


「貰うのが陽太自身かは分からないよ?」


 優正が口元に指を当てながら氷室さんに楽しそうに言う。


「絶対にさせない。陽太君の全ては私が貰う」


「それって愛の告白では?」


「そういえばだけど私、陽太君に愛の告白されたんよ」


 大晦日の夜のことを思い出す。


 あの夜は初めてのことが沢山あった。


 その中の一つが愛の告白。よく分からなかったけど。


「澪の勘違いでしょ?」


「人間って見てないものは信じないからね。でも事実だから」


 優正の笑顔が少し引きつっている。


 逆に氷室さんは優しい慈愛に満ちた笑顔をしている。


「つまり澪は陽太の告白を断ったってこと?」


「なんで?」


「だって全部を話してからなんでしょ? つまりは告白自体は上手く断ってるよね?」


 確かにあれが告白だったとしたら僕は断られている。


「……断ってないからね」


「でも付き合ってないじゃん」


「うるさいんだよ。私だって全部を話したいけど……」


 氷室さんが僕の指をいじいじしだした。


「ごめんて。確かに澪の全部にうちが口出しなんてしたら駄目だよね」


「氷室さんが話したくなったらでいいんだよ? 僕はそのお話を聞いても聞かなくてもずっと氷室さんの隣に居るつもりだから」


 氷室さんが拒絶しなければ。


 そんなことは絶対にないのは分かっているけど。


「陽太君のそういうところが大好き」


 氷室さんがそう言うと、僕に抱きついてきた。


「あっちでいちゃいちゃこっちでいちゃいちゃって、うちの周りはリア充しかいないんだな。普通なら爆発を所望するとこだけど、やっぱり恋愛は自分がするより眺めてるのが一番いいや」


 優正はそう言うと、スマホを取り出して僕達と静玖ちゃん達を交互に撮り出した。


 それから少しの間僕達は動かなかった。

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