第30話 氷室さんと動物園

「陽太君を起こしたら今日が始まる。起こさなければ今日は始まらないけど、絶対に後悔する。でも今日のお出かけが終わった後に私が無事な可能性も低い。どうすればいい」


「氷室さん?」


「陽太君なら起きると思った。よし、頑張る」


 氷室さんがいつも以上に独り言を言っていたので起きたら、氷室さんが頭をベッドの上に乗せて僕のことを眺めていた。


「可愛い」


「いきなりやめろし」


「お洋服も着てくれたんだね」


 氷室さんの今日着てるお洋服は、前に買いに行ったお洋服だ。


 僕が選んだのは、ピンクのセーターと白いスカート。


 セーターは、今の氷室さんのイメージカラーがピンクだったからピンクのものを探していて、その中で一番しっくりきたのがこれだった。


 スカートは膝下まである長めのやつだ。


 氷室さんの私服でスカートを履いているのを見た事が無かったから見てみたかったのもある。


「私服でスカートは初めてだからなんか少し恥ずかしいんだよね」


「可愛かったよ?」


 僕は今、氷室さんの隣に座っている。


 だけど氷室さんは僕のベッドから毛布を取って、お洋服を隠している。


「お母さんとお姉ちゃんにも可愛いって言われたけど、可愛い服に慣れてないもので」


「やっぱり気に入らなかった?」


「気に入ってますけど、それとは話が別なんですよ」


「敬語やだ。後、気に入ってるのなら毛布も返して」


 僕は氷室さんが掴んでいる毛布を無理やり奪う。


 あんまり抵抗されずに毛布は返してもらえた。


「可愛いよ?」


「服がでしょ? 私が服に負けてるんだよ」


「氷室さんの方が可愛いもん」


「そんな拗ねながら言わないでよ。比定しにくいでしょ」


「可愛いもん!」


「分かったからやめろし」


 氷室さんが僕の持つ毛布を奪い取って身体を隠した。


 赤くなっていた顔も目元以外隠している。


「そういえば陽太君っていつも同じパーカー着てない?」


「それしか持ってないもん」


 僕は昔から寝てしかいなかったから、外で着る私服を持っていない。


 唯一持っているのが氷室さんとお出かけする時や、優正とお出かけした時に着ている黒いパーカーだけ。


 それもお母さんが「一枚ぐらいは外着を持ってなさい」って言って買ってきてくれたものだ。


 お母さんが毎日洗ってくていて、それだけで足りてるから不便もない。


「パーカーってこれからの季節乾き悪くなるよ?」


「でも他はパジャマと制服しかないよ?」


「陽太君って物欲ないよね」


「今までは外に出たり、家に居ても何かしたりしてなかったから」


 今までしてたことと言えば寝てるか、明莉の相手をするぐらいだ。


 明莉も外には出ないけど、ゲームなんかはしているから、その相手をたまにしていた。


 今はその相手が冷実さんになったみたいだけど。


「今度は私が陽太君の服選んであげるよ」


「これからも氷室さんといっぱいお出かけする為には必要かな?」


「必要だよ。私、着る服がないからって理由でお出かけ断られたら泣くかもしれないよ」


「それはやだ。氷室さんの涙は見たくない」


 僕は氷室さんの目を真っ直ぐに見て言う。


「うぅ、嬉しいのと恥ずかしいのが一気にくるよぉ」


 氷室さんが毛布を被って隠れてしまった。


 そこで氷室さんのスマホから音楽が流れた。


「びっくり」


「あ、時間制限付けてたの忘れてた」


「時間制限?」


「うん。もしも私がひよって陽太君を起こさなかったらこれが出てきて起こすように」


 氷室さんはそう言ってスマホの画面を僕に見せてくれた。


 そこには『後悔しない?』と書かれていた。


「後悔?」


「まぁそれは気にしないで。後、陽太君とのお話が楽しくなって時間を忘れてた時用でもあった」


「氷室さんとのお話は時間を忘れちゃうもんね」


 実際、今の時間は家を出ようと決めていた一時間前だ。


 これから準備を始めたら間に合うけど、もう少し経っていたらまたギリギリになってしまう。


「ありがとう、氷室さん」


「いいのですよ。それよりこのままお話始めたら間に合わなくなるから行ってらっしゃい。私はもう少しくるまってるので」


 氷室さんはそう言って、また毛布の中に入っていった。


「雪ん子みたいで可愛い」


「それは褒められてるのか?」


「雪ん子って可愛いイメージがあったから」


 本物を見た事がないから分からないけど、名前のイメージから可愛いのだと思っていた。


「まぁ氷室って名字だし、冷たい系の妖怪はお似合いなのかな?」


「氷室さんはあったかい人だけどね」


 僕がそう言うと、氷室さんが毛布の中に隠れた。


「でも手はひんやりしてるんだよね。繋ぐと気持ちいい」


「よ、陽太君。早く準備しなさいな」


「あ、うん。行ってきます」


 僕は氷室さんにそう言って部屋を出た。




「氷室さんが寝てる」


 僕が準備を終えて部屋に戻ると、氷室さんが毛布にくるまりながら眠っていた。


「氷室さん、起きて」


 氷室さんの肩。揺すってみたけど起きる気配がない。


「氷室さん、ひーむーろーさーん」


 少し強めに揺すっても可愛い寝息を立てている。


「氷室さん、寝るならベッドで寝ないと駄目だよ」


 僕は少しでも氷室さんが起きる可能性にかけて、氷室さんの耳元でそう言う。


「ひぁい」


「あ、起きた。耳元で言わないと聞こえないか。次からはそうするね」


「や、あの。色々とごめんなさいです」


 氷室さんが左耳を押さえながら僕に謝ってきた。


「ううん。いつも氷室さんに起こしてもらってるんだもん。たまには僕と氷室さんを起こしたかったんだ」


 これで氷室さんの苦労が分かった。


 人を起こすのは大変だ。


「陽太君の毛布にくるまってたら、なんだか陽太君に包まれてる感じがして、つい……って私はなにを言ってるのさね」


「いいけど、眠くなったらベッド使ってね」


「それは起きれる自信がないのでやめておきます」


「僕も一緒に寝ちゃうかもしれないか」


 正直に言うと、あと少し氷室さんが起きるのに時間がかかったら寝てた可能性がある。


「それより今日はやめる? 氷室さんお眠なんでしょ?」


「やめないです。眠気は吹っ飛んだし、眠くなったのは陽太君の毛布が心地よくて……、だからなにを言ってるんだ。変態か」


 氷室さんが立ち上がって毛布をベッドに戻した。


「陽太君、行くよ。このままだとほんとにお話して終わるし、私が恥ずか死ぬ」


「え?」


「比喩だからね。ほら立って」


 氷室さんがそう言って僕に手を差し伸ばす。


「うん」


 僕はその手を握って立ち上がる。




「動物園って小学生以来かな」


「僕も」


 動物園に着いた僕と氷室さんはキリンを眺めながらお話している。


「ごめんね、陽太君」


「ううん。僕も氷室さんとのお出かけが楽しみで忘れてたもん」


 前に調べたことがあるから知っていたけど、パンフレットを見るまで忘れていた。


 コアラが居る動物園は日本に七箇所しかないことを。


「でも知ってる? パンダが居る動物園って三箇所しかないんだよ」


「そうなの?」


 動物園と言えばパンダみたいなイメージがあるけど、それは有名なところにパンダが居るだけで、実際は見れるところは少ない。


「そういえばペンギンって水族館にも動物園にも居るよね」


「確かに」


「ワニとかカバとかも居るのかな?」


「居そう」


 優正と行った水族館ではワニもカバも見なかったから分からないけど、居るイメージがある。


「陽太君さ、気を使ってる?」


「なんで?」


「私が気負わないように」


「氷室さん、何かしたの?」


「コアラ見たがってたのに、ここ居ないから」


「確かにコアラは見たかったけど、僕はコアラを見に来た訳じゃないよ?」


「え?」


 氷室さんは何か勘違いしているようで、驚いた顔を僕に向ける。


「僕は氷室さんとお出かけがしたくて来てるんだよ? だからそこにコアラが居たら嬉しかったけど、氷室さんと一緒ならそもそもなんでも嬉しいもん」


「……陽太君のばか」


 氷室さんがボソッと小さい声で言うので聞こえなかった。


 氷室さんが顔を下に向けてしまったので、なんて言ったのかも聞にくい。


「そういえば氷室さんは何か見たい動物とか居るの?」


「私? なんだろ。カンガルーとか?」


「居るかな」


 パンフレットを見たらカンガルーは居た。


「居たよ。でもなんでカンガルー?」


「陽太君みたいだから?」


「僕?」


 コアラとは言われたことはあるけど、カンガルーは初めて言われた。


「大事な人を守る感じとかが」


「そうなのかな?」


 そう言われても実感がない。


 僕は僕のしたいことしかしてないし。


「陽太君には分からないかもね。それをするのが当たり前だから」


「氷室さんを守りたいって思うこと?」


「ま、まぁそうだね」


 実際に守れたことはないけど、気持ち的にはいつでも氷室さんを守りたいと思っている。


「そ、それより行こ。なんか私の見たいのだけ見れてごめんだけど」


「ううん。氷室さんの見たい動物は僕も見たいし、それに……」


「それに?」


「今度はコアラの居るところに行ってくれる?」


「行く! 絶対に行く。言ったからね。録音した方が良かったかな。でも陽太君ならやっぱ無しとか言わないよね。今から楽しみ」


 氷室さんがとても早口に話す。


 僕としては初めて人を誘った気がする。


 だからか、一瞬言葉が止まってしまった。


「学生の内は無理でも、大人になったら一緒に行けるかな?」


「やばい、泣きそ」


「ごめんなさい。人を誘うなんて初めてのことだから、変だった?」


「違うの、ごめん嬉しくて。陽太君が大人になっても一緒に居てくれるってこともだけど、初めて誘った相手が私とか更に嬉しい」


 氷室さんがとても嬉しそうに言ってくれる。


「良かった。ずっと一緒に居ようね」


「それは告白なのでは? いやいや、早まるな」


 氷室さんが最近よくする独り言を始めた。


「氷室さん、行こ」


「あ、うん」


 僕と氷室さんは繋いだ手を強く握りながら、カンガルーを見に行った。

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