第29話 氷室さんとお買い物
「今日こそ普通に起こすよ。……普通ってどうしてたっけ? いやいや、そうやっていつも誤魔化してるから」
「おはよう、氷室さん」
「……おはようございます」
最近氷室さんの様子がおかしい。
毎日起こしに来てはくれるけど、起こす前にずっと何かを喋っていて、僕が起きると敬語で挨拶をしてくる。
そして絶対に目を合わせてくれない。
理由を聞いても教えてくれない。
「やっぱり氷室さん怒ってる?」
「怒ってないよ。ただね、ちょっと諸事情で陽太君の顔を見れないだけ」
それも聞いたけど、その諸事情の内容も教えてくれない。
「氷室さん、冷実さんって今日居る?」
冷実さんは、もう大学が始まっているけど、こっちの家に帰って来ることが多いみたいだ。
その度に冷実さんは明莉と遊んでくれている。
冷実さんと明莉はいつの間にか仲良くなっていて、たまに勉強も見てもらっているらしい。
「それを聞いてどうするつもりかな?」
「氷室さんがいつもと違う理由を聞く」
「陽太君はそれを聞いた私が教えるとでも?」
「だめ?」
氷室さんが本当にに嫌ならここで断るだろうから、僕もそれ以上は聞かない。
でも教えてくれるなら、きっとそんなにはバレたくないことだろうから冷実さんとお話をしに行く。
「お姉ちゃんか……。優正よりかは大丈夫かな? でもお姉ちゃんだしなぁ」
氷室さんが腕を胸の前で組んで考え込んでいる。
「帰って来てはいるんだね」
「うん。お姉ちゃん知らない人と居るのは嫌だけど、一人で居るのも嫌なタイプだから、ほとんど毎日帰って来てるよ」
「だから明莉が最近家に居ないんだ」
「お姉ちゃんの相手をしてもらってありがとうございます」
「ううん、こっちこそ」
氷室さんが頭を下げたので、僕も同じように頭を下げる。
「それより今日の放課後、時間ある?」
「僕の放課後の予定は氷室さんと一緒に居るか寝てるかだけだよ?」
夏休み前までは寝てることの方が多かったような気がするけど、今ではほとんど毎日、というか毎日氷室さんとお話をしてるかお散歩してるかだ。
「ふっ、わ、私にだって耐性は付くんだからね」
氷室さんが顔を少し赤くしながら胸を張る。
「やっとこっち見てくれたぁ」
「そんな嬉しそうな顔しにゃくても」
氷室さんが今日初めて、ちゃんと僕の顔を見てくれたのが嬉しくて笑顔になった。
でもそしたら氷室さんの顔が一気に赤くなった。
「えっと、にゃを気にしたら駄目なんだよね」
「そういうのは気づいても言わないの!」
「ごめんにゃさい?」
「おい誰だ、陽太君にこんな人を煽る術を教えた……のは。優正か」
水族館でお魚を見てる時や最近は優正に色んなことを教わっている。
氷室さんの顔が赤くなったら、おでこを当てるとか、氷室さんが噛んだら真似をするとか。
「そうだ」
今思い出したので、氷室さんのおでこに僕のおでこを当てる。
「熱いよ」
「優正、絶対に許さない」
氷室さんがぷるぷると震えだした。
「僕、何か間違ってた?」
「陽太君は悪くないの。陽太君の無垢さにつけ込んだ優正が悪い」
「違うよ。僕が頼んだの」
「なぁ、んでかはいいや。聞いたらまた負ける」
氷室さんが聞かないのなら言わないけど、僕が優正に色々教わっている理由は、氷室さんともっと仲良くなる為。
優正に言われた『好き』を理解する為にまずは色んな氷室さんを見ようと思った。
そのことを優正に言ったらどうすればいいのか色々教えてくれた。
「それより、放課後は時間あるってことでいいんだよね?」
「うん。どこか行くの?」
「ちょっとね。自分で選ぼうと思ったけど、やっぱり陽太君の意見が欲しいかなって」
「なにの?」
「それは秘密。楽しみに……しててね」
少し間があったけど、氷室さんとのお出かけならなんだろうと楽しみだ。
「うん。放課後が楽しみ」
「ちょっと罪悪感。でも陽太君なら楽しみそう」
「仲良くお話中だけど入るよー」
そう言って制服姿の明莉が僕の部屋に入って来た。
「明莉?」
「どうしたの明莉ちゃん」
「お兄ちゃんと澪ちゃんに悲しいお知らせが……」
明莉がそう言ってスマホを向けてきた。
そこには……。
「あ、時間やばい」
「僕、何にも準備してないや」
「下りて来ないと思ったら和気あいあいと話してんだもん」
「言ってよ!」
「楽しそうだったから、つい」
明莉が握りこぶしを作って頭に当てながら言う。
「そういうのは可愛い子しかしたら駄目なんだよ」
「明莉は駄目なの?」
「可愛いからいい」
「私絶対悪くないでしょ。虐めないでよ。すずお姉ちゃんに言いつけるよ」
「お姉ちゃんに私が負けると?」
「澪ちゃん、お兄ちゃんには勝てないんだけどね」
「それは明莉ちゃんもお姉ちゃんもでしょ!」
なんでか僕の話をする時に勝った負けたのワードが出てくるけど、一体何なのか。聞いても教えてもらえないし。
「そういえば明莉のスマホの壁紙って明莉が中学入ってすぐの時のやつ?」
「え?」
僕の言葉を聞いた明莉が慌てた様子でスマホの画面を見た。
明莉のスマホの画面には、僕と二人で写った写真が壁紙になっていた。
「指紋認証か。いや、慌てるな。慌てたら澪ちゃんに負ける。ここは平静を装って逃げるに限る」
「明莉ちゃんって焦ると思ってること全部言っちゃうんだね」
「言われてみたらそうかも」
「……うるさいバカップル! 爆ぜてしまえー」
明莉はそう叫んで部屋を出て行った。
「……よし、気まずくなる前に準備を始めよう。ほんとにギリギリだし」
「うん。氷室さん先に行ってていいよ」
「遅刻する時は一緒だよ」
「……うん!」
きっと氷室さんだけでも先に行ってもらった方がいいのでろうけど、氷室さんと一緒に居たい気持ちが勝ってしまった。
「じゃあ私はご飯食べて来るから」
「行ってらっしゃい」
「またね」
そう言って氷室さんは部屋を出て行った。
「あ、また氷室さんがいつもと違う理由聞けなかった」
毎回こんな風に聞けないで氷室さんは帰ってしまう。
今はそれよりも早く準備をしなければいけない。
僕は大急ぎで準備を始めた。
「陽太君、今日のお詫びはなにがいいですか?」
「じゃあ敬語をやめて」
「かしこまりました」
「やめてないじゃん」
結局学校にはギリギリ間に合った。
でも何故か僕の方が準備が早く終わり、氷室さんが来るのを待っていた。
女の子の準備には時間がかかるのは分かっているけど、いつも氷室さんはほとんどの準備を終わらせてから僕を起こしに来てくれているので、いつもは待つことなんてない。
だから多分、僕の準備が早過ぎただけだ。
「それでどこに行くの?」
今、僕と氷室さんはショッピングモールに来ている。
氷室さんは今もどこに行くか教えてくれていない。
「後少しだから内緒。これをやると普通は嫌われる気がするけど、陽太君って楽しそうに待ってくれるよね」
「氷室さんと一緒だからね」
「人前でそういうこと言うのやめろし」
氷室さんが空いている左手で顔を押さえる。
氷室さんは顔は見せてくれないけど、手は握ってくれている。
「着いたよ」
「服屋さん?」
「そ、約束覚えてる?」
「どの?」
「今度のお出かけ」
「動物園行くやつ?」
「そう。その時に着てく服を陽太君に選んで欲しくて」
僕なんかが氷室さんの着るお洋服を選んでいいのだろうかと思ったけど、優正に「澪に何か選んで? とか言われたらちゃんと選んであげて」って言われたから、ちゃんと選ぶ。
「氷室さんのお洋服ってかっこいいのが多いよね」
「そうかな? なんとなくいいなって思ったの買ってるから気にしたことなかった」
氷室さんのお洋服は暗い色のものが多い。
暗い青やそのまま黒だったり。
だからか分からないけどかっこいいように見える。
「氷室さんって暗い色好きなの?」
「青とか黒が好きだったかな」
「だった?」
「陽太君に髪留め貰ったでしょ? その滝に陽太君が私のイメージはオレンジって言ってくれてからは明るめの色が好きになったよ」
氷室さんが僕のあげた髪留めを触りながら言う。
確かに氷室さんの普段の服装は暗めだけど、水着や浴衣はピンクで明るめの色だった。
「優正のお洋服とかも似合いそうだよね」
「あれは可愛すぎじゃない? 確かちょいロリだっけ?」
僕には分からないけど、ゴスロリというやつの攻撃力が低めになったやつなのかなと思う。
「氷室さんは可愛いから、可愛いお洋服も似合うよ?」
「だからやめろし。それより陽太君は女性物の服屋って抵抗ない?」
「なんで?」
「まぁないか。ないならいいの」
こういうところには来たことがないから、よく分からない。
「とりあえず入ろっか」
「うん」
僕と氷室さんは服屋さんに入った。
「陽太君に入ってみた感想聞いていい?」
「なんかキラキラしてる」
「言うと思った」
外から見てても少し思ったけど、中に入ると更にキラキラ感が増した感じがする。
「そのキラキラの中から私に似合う服を探して」
氷室さんがどこか嬉しそうに僕に言う。
「難しい」
これだけ沢山の種類があると選ぶのがとても大変だ。
「そんなに深く考えないでもいいよ。陽太君が私に着て欲しいって思ったやつで」
「氷室さんならどんなお洋服でも似合うだろうから着て欲しいっていうのがいっぱいあるの」
「……そうですか。失礼しました」
「敬語やだ」
「不可抗力なの。それよりとりあえず見て回る?」
「うん。氷室さんに似合うお洋服探す」
そうして僕はお店の中を何周もして、氷室さんに着て欲しいと思ったお洋服を選んだ。
氷室さんは「可愛すぎでは?」と言っていたけど、優正に比べたら控えめな方だと思うし、可愛いのは氷室さんに似合う。
そうは言っても氷室さんは即決でそれを買ってくれた。
そして帰り道は氷室さんがとても嬉しそうにしていた。
お洋服を買っている時に店員さんが「初々しい」って言ってたけど、あれはどういう意味だったのだろうか?
僕は楽しそうな氷室さんを見ながらそんなことを考える。
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