第28話 氷室さんと嫉妬

「陽太君の浮気者」


「え?」


 氷室さんの声がしたから起きたけど、なんだか氷室さんが不機嫌そうな顔で僕のほっぺたをつんつんしている。


「陽太君の浮気者」


「どうしたの、氷室さん」


 起き上がっていつも通り氷室さんの隣に行こうとしたら、ほっぺたに指を立てて止められた。


「氷室さん?」


「ごめんね、ただの八つ当たり」


 氷室さんはそう言いながら、また僕のほっぺたをつんつんし始めた。


「これで氷室さんは元気になる?」


「うーん、どうだろ。少しはなるかな」


「じゃあ気が済むまでやって」


 氷室さんにこんな顔してて欲しくない。


 氷室さんにはいつも笑顔で居て欲しい。


「じゃあせっかくだし色々聞こうかな」


「なにを?」


「昨日のこと。昨日は楽しかった?」


「水族館? 楽しかったよ」


 僕が答えたらつんつんの力が強くなった気がする。


「氷室さん」


「なに?」


「ちゃんと話そ」


 氷室さんがこのまま不機嫌なままだと、僕も嫌だ。


 氷室さんが僕に言いたいことがあるのなら、ちゃんと聞いておきたい。


「ちゃんと。違うんだよね、陽太君何も悪くないんだよ。ほんとにただの八つ当たりだから」


「それでもちゃんと話そ。氷室さんは笑顔で居て欲しいから」


「陽太君だよね」


 氷室さんがつんつんをやめたので、僕はベッドを下りて氷室さんの隣に座る。


「それでどうしたの?」


「なんと言いますかね。昨日の陽太君と優正のが気になってね」


 氷室さんがなんでかお出かけを強調して言った。


「それでどんなことしたの?」


「うーん、お魚見てただけだよ?」


「他に何も無かった?」


「お魚以外? それならペンギンが居た」


 お魚以外だと、ペンギンやイルカなど様々な動物も居た。


「なんか罪悪感がすごい。えっと違くて、優正と何も無かった?」


「優正と? それなら優正がプールで会った男の人に声をかけられたこととか?」


「そうそれ」


 なんだか氷室さんが知っていたような反応をするけど、あのことは氷室さんに話していない。


 きっと優正が話したのかな。


「それで話しかけられた後どうしたの?」


「プールの時みたいに話しかけてきた理由を聞いてたら水族館のスタッフさんとどこか行っちゃった」


「その後」


「うーんと、優正が歩けなくなっちゃったからおんぶして座れる場所を行ったよ」


「その時、何話した?」


 氷室さんがどこか不安そうな顔をする。


「うーんと……、好きについて?」


「好きについて?」


「うん。優正がね、僕のこと異性として好きって言ってくれたの。……氷室さん?」


 氷室さんがいきなり胸を押さえたから心配になって近寄る。


 だけど氷室さんが右手をこちらに向けてきた。


「大丈夫、続けて」


「ほんとに?」


「気にしないで。ちょっと不意打ちを受けて塞がってた傷が広がっただけだから」


 それは大丈夫ではない気がするけど、氷室さんがなんだか「触れるてくれるな」みたいな顔をするので話を続ける。


「えーっと、優正に好きって言ってもらったけど、僕にはその好きが分からなくて。だから友達の好きと異性の好きの違いを分かるようにしようって優正が」


「そっか。優正はちゃんと伝えたんだよね……」


 氷室さんがどこか寂しそうな顔をして体育座りをする。


「氷室さん?」


「どうしたの?」


「ハンカチ持ってない」


「え?」


 氷室さんが涙を流している。


 氷室さんは気づいていなかったようで、自分の目元を触れて初めて気づいたようだ。


「あはは、泣いてるよ。しかも止まんない」


「えっと、こういう時はどうすればいいの」


 僕はあわあわするだけでどうしたらいいのか分からない。


 この部屋にハンカチや、タオルなんかの涙を拭えるものはない。


 慌てた頭で思いついたのはこれしか無かった。


「氷室さんごめんね」


「!」


 僕は氷室さんの体育座りを崩して抱きしめる。


 抱きしめてから袖で拭えば良かったのでは? と思ったけど、今更遅いので、氷室さんの頭を撫でながら抱きしめる。


「大丈夫じゃないじゃん」


「ち、違うもん。大丈夫だもん。これはきっと目にゴミでも入ったんだよ」


「さすがにそれが嘘だってことは僕でも分かるよ」


「……ごめん」


 氷室さんは何も悪くない。


 嘘をつかせたのはきっと僕のせいだ。


 氷室さんは優しいから認めないだろうけど、きっと僕が何かをしてしまったんだと思う。


 聞いても教えてくれなそうだから、その代わりに頭を撫で続ける。


「こんなことしてるのバレたら優正に怒られない?」


「なんで優正? 今は優正居ないよ?」


「そうじゃなくて」


「それに、泣いてる氷室さんを放置出来ないし、そんなことした方が優正に怒られるよ」


「二人は優しいから。そんなこと言われたら甘えたくなっちゃうじゃん」


 氷室さんはそう言うと、僕のパジャマを肩甲骨の辺りで掴む。


「甘えていいんだよ? 僕だっていつも氷室さんに甘えてるんだから。たまには氷室さんが甘えて」


「そんなこと言われたら……、駄目じゃん」


 それから氷室さんはしばらく泣き続けた。


 どれだけの時間が経ったかなんて分からないけど、その間僕はずっと氷室さんの頭を撫で続けた。




「涙止まった? お鼻チーンする?」


「……します」


 氷室さんが僕とは反対側を向いてお鼻をかんだ。


 そしてこちらを向いた氷室さんの顔を見ると、目元が真っ赤になっていた。


「あんまり見たら駄目。酷い顔だから」


 氷室さんがまた後ろを向いてしまった。


「氷室さんは可愛いよ?」


「やめろし」


 氷室さんに少し強めで胸をポカられた。


 氷室さんの今の顔を見ても酷いなんて思わなかった。


 ただ何かが吹っ切れたようで、さっきの氷室さんより安心出来た。


「パジャマ濡らしてごめんね」


「ううん。氷室さんが泣いちゃったのは僕のせいなんだから、これぐらい」


 たとえそんなことが無くても、氷室さんが泣いていたら服が濡れることなんて気にせず同じことをしていた。


 ハンカチを持ってたらハンカチを渡すけど。


「ありがとう、陽太君。もしまた泣いちゃっても、今みたいに抱きしめて頭撫でてくれる?」


「ハンカチ持ってても?」


「……うん。でも駄目だよね。優正に悪いし」


「だからなんで優正? 氷室さんがしていいって言うならそうするよ」


「……ほんと?」


 氷室さんが顔だけこちらに向けて心配そうに聞いてくる。


「うん。氷室さんの頭撫でるの好きだし」


「……そっか」


 氷室さんが少し嬉しそうに自分の髪を撫でる。


「やっと笑顔になってくれた」


「あ、油断した」


 氷室さんがそう言うと、また後ろを向いてしまった。


「どうしたの?」


「酷い顔だって言ったじゃん」


「だから氷室さんは可愛いよ!」


「だからやめろし」


 どうしてもこっちを向いてくれない氷室さんに見えないだろうけどほっぺたを膨らす。


 だから僕は氷室さんに近づいて、氷室さんの肩を掴んで顔を覗き込む。


「ひゃ」


 肩を掴まれた一瞬だけ、氷室さんが固まって顔が除き込めたけど、すぐに顔を逸らされた。


 だから今度は逆側を覗き込んだけど、また顔を逸らされた。


「んー」


 顔を見せてくれない氷室さんの背中に頭をぐりぐりする。


「拗ねてる陽太君が見れないのが悲しいけど、今は駄目だよ」


「やだ」


 氷室さんの嫌がることはしたくないけど、今だけは譲りたくない。


 だから僕は氷室さんの前に回り込んで、氷室さんが顔を逸らす前におでこを合わせる。


「よ、陽太君」


 僕は数秒その状態をキープしてすぐに離れる。


「あれ? 陽太君ならもう少し離れないと思ったんだけど」


「優正に言われて知ったんだけど、これが照れるってやつなんだよね?」


 氷室さんの顔を文字通り目と鼻の先で見たら、顔が熱くなり、心臓がドキドキし出した。


「陽太君、もう一回やろ」


「もういい。氷室さんの顔は見れたもん」


「駄目だよー、ほらちゃんと見よ。あんなちょっとの時間じゃ分かんないでしょ」


「分かったもん。氷室さんはいつでも可愛いって」


「今は私が勝つところでしょ!」


 氷室さんはそう言うと顔を押さえて下を向いた。


「今頃勘違いで痴話喧嘩でもしてるかと思ったのに、いつもの仲良く痴話喧嘩だったか」


「優正だ」


 いつの間にか優正が部屋の入口に立っていた。


「なんで優正が居るの?」


「お、澪泣いたな。ってことは一段落ついたのか。でもどうせ陽太のことだから話が噛み合ってないんだろうね」


「どゆこと?」


 氷室さんがなんでか優正には顔を普通に見せる。


 それを見たらなんかモヤモヤした。


「陽太が嫉妬してるよ。……いや可愛いな」


 優正はそう言うと、僕に近づいて来て頭を撫で始めた。


「あ、こら」


「何? 陽太に勝手な嫉妬をぶつけて困らせた人が」


「だって……」


 優正を引きはがそうとした氷室さんの動きが止まった。


「そもそもつけてくるのがいけないんだよ」


「知ってたの?」


「まぁ澪ならするかなって。スタッフさん呼んだのも澪でしょ?」


「優正が震えてるの分かったし」


「それはありがとう。でもストーキングした上で勝手に勘違いして陽太を困らせるのは駄目だと思うんだよね」


 なんだか色んな情報が入ってくる。


 だけど優正のなでなでが気持ちよくて、あんまり話が入ってこない。


「勘違いって何?」


「多分澪はうちが陽太に好きって言ったところまでしか聞いてないでしょ?」


 優正の言葉に氷室さんが頷く。


「それだけでなんでうちと陽太が付き合ってるって勘違い出来たの?」


「だって、優正可愛いし。陽太君も優正のこと好きだろうし」


 氷室さんがしゅんとする。


 確かに僕は優正のことが好きだ。友達として。


 だから今は異性として好きを勉強中だ。


「陽太の好きは友達としてね。それにうちは別に付き合わなくていいの」


「え?」


「もちろん付き合えるなら付き合いたいよ? でもそれより推しカプが楽しそうにしてるのを見る方が好きなの」


「推しカプ?」


「つまり。陽太がどっかの勘違いガールと付き合ってるのを見るのがいいの」


 優正がそう言うと氷室さんの顔が一気に赤くなった。


「でも澪が譲るって言うのなら……」


 優正がそう言って僕に不思議な視線を向けてくると、氷室さんの腕が僕と優正の間に入った。


「譲らない」


 氷室さんがそう言いながら僕を抱き寄せる。


「そう! そういうのがいいの」


「陽太君、ごめんね。私はもう陽太君を離したりしない。ましてや優正なんかに渡さない」


「ん? うん。氷室さんと一緒」


 今も心臓がドキドキしてるけど辛くはない。


 氷室さんと一緒だからかな?


 これからも氷室さんと一緒なら、このドキドキも大丈夫な気がする。


「あぁ、尊いよ。こんなのを隣で見れるなんて、ほんと役得」


 優正がなんだか嬉しそうに僕と氷室さんを見ている。


 氷室さんは優正に少し怖い視線を送っている。


 でも僕が視線を送ると、いつもの可愛い笑顔を向けてくれた。


「これが尊死かな。これからはもう我慢しないよ」


 優正はそう言って倒れた。


 心配して近づこうとしたら氷室さんに「あれはほっといて大丈夫」と言われたので先に着替えたりを済ました。

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