第25話 氷室さんとハンカチ

「陽太君の寝顔は私だけのっていっつも言ってるでしょ」


「別に陽太君は澪のものじゃないでしょ。付き合ってる訳でもないんだから」


「毎回毎回そうやって言えば私が黙ると思わないでね」


「じゃあ言い返して」


「優正のバカ」


「可愛いかよ」


「喧嘩?」


 最近は二人の言い合いの声が聞こえて起きることが多い。


 その度に喧嘩なのか不安になるけど、毎回。


「違うよ。ごめんね起こしちゃって」


「澪が騒がしくしてごめんね」


「させてるのは優正でしょ!」


 みたいな感じでまた言い合いが始まる。


 でもこれは愛情表現だって影山さんが言ってたから、僕はこれ以上は何も言わない。


「あ、そういえばそろそろ文化祭だね」


「でた、優正の脈絡のない会話」


「うちのクラスって何すんの?」


「話聞かないし。てか文化祭まで後一ヶ月はあるじゃん」


「みんな準備してんじゃん。でもうち何するか聞いてないんだけど」


 そういえば僕のなにをするのか聞いていない。


 なんでだろう。


「陽太君も知らないって顔してるし。何するか決めてる時にずっと話してるからそうなるんだよ」


 思い出した。


 確か文化祭の出し物を決めている時に本田さんに話しかけられて、そのまま文化祭とは一切関係ないお話をしていた。


 そして気がついたら文化祭の出し物は決まっていた。


「陽太君と話すのはしょうがないとして、結局なんなの?」


「休憩所」


「いいね、本番で楽出来そう」


 それなら僕は自分の教室で寝てても怒られなさそうだ。


「まぁ私達のせいで休憩所になったんだけどね」


「なして?」


「最初は飲食店とかの案が出てたんだけど、途中でとある男子が私と優正にメイド服を着せようとしてね」


「言うのはタダみたいな考え、うざ」


「まぁ実際、飲食店は三年生から優先権あるみたいだから通らなかったと思うけど。それはいいとして、もちろん私は断ったんだよ。それで次に優正が聞かれたんだけど」


「聞かれてないけど?」


 僕も本田さんとずっと話していたから本田さんが聞かれてないのは知っている。


「あなた達は話に夢中で全部無視してたの」


「なる」


「ギャル語やめい。そんで、提案した男子が無視に耐えられなくなって諦めたの」


「それでなんで休憩所?」


「それは多分私のせいかな。優正が私のこといじめた時に影山さんと明月君がみんなに言ってたのを優正と陽太君を見て思い出されたんじゃないかな」


 確かあの時は僕と氷室さんの邪魔をしたら駄目みたいなことを影山さんと明月君が言っていた気がする。


「だから澪を拘束する飲食店とかお化け屋敷みたいなのじゃなくて、本番を自由に出来る休憩所なのね」


「うん。まぁその代わりに内装は少し凝るって言ってたけど」


「ふーん。まぁ助かるよ、本番の日は陽太君と文化祭デートの予定だったから」


「は?」


「そうなの?」


 僕も初耳だ。


 デートとはつまり本田さんと文化祭を回るということになる。


 じゃあ休憩所で眠ることは出来なそうだ。


「陽太君酷い。ちゃんと約束したじゃん」


「え、ごめん覚えてない」


 僕は頑張って思い出そうとするけど、やっぱり思い出せない。


「優正、陽太君で遊ぶな」


「澪怖いって。でもちゃんと約束したよ。夢で」


「ごめんね、同じ夢見れてなくて」


「優正、陽太君を困らせないで」


「陽太君がいい子過ぎて好き。じゃあ今約束しよ。文化祭一緒に回ろ」


 本田さんが僕の机に腕を置いて、その上に顔を乗せて楽しそうに聞いてくる。


「うん、いいよ」


「やった」


 本田さんが氷室さんに視線を送って何かを言ったように見えた。


「よ、陽太君」


「なに?」


「わ、私とは回ってくれないの?」


「意気地無し」


 本田さんがボソッと何かを言ったけど聞き取れなかった。


「氷室さんも一緒じゃないの?」


「え?」


「てっきり三人で回るのかと」


「さすが陽太君。最初っから澪が居るのは確定なんだ」


「だって氷室さんは僕の隣に居てくれるって、言ってたから……」


 言いながら自信が無くなっていく。


 あれはあの時だけの思いつきの言葉なんじゃないか。本当は僕の隣なんて嫌なんじゃないかと。


「あー、澪が陽太君をいじめた」


「うるさい。陽太君、ごめんね。私はずっと陽太君の隣に居るから」


「ほんと?」


「ほんと。優正を押し退けて」


 氷室さんが本田さんを追い払うように手を動かす。


「良かった」


「童貞を殺す服ってあるじゃん?」


「また脈絡のないことを。聞いた事ぐらいはあるよ」


「陽太君の笑顔は処女を殺す笑顔だなって」


「なんか言いたい事が分かって悔しい」


 僕には最初から最後まで分からなかった。


「それより、陽太君はやっぱり澪も居なきゃ嫌?」


「うん」


「少し傷ついた。うちと二人はそんなに嫌かー」


 本田さんが僕の机にぐでー、とする。


「ううん。本田さんと一緒なのも楽しいよ?」


「不意打ちすんなし」


 本田さんが身体を起こした。


「そんなんで二人っきりとか出来んの?」


「無理だね。澪も居ていいよ」


「そんな言い方していいの?」


「え、澪は陽太君と一緒はやだ?」


「何言ってんのか分かんないけど、私は陽太君の隣から離れる気ないから」


 またいつもの言い合いが始まってしまった。


 でもなんとなく影山さんの言いたいことは分かってきた。


 いつもは喧嘩なのか不安になるけど、二人とも楽しそうだから、確かに愛情表現なのかもしれない。


「ていうか文化祭の前に中間テストあるけどね」


「そういう現実感あること言うと嫌われるよ」


「うちの学校って結構酷いから、中間で赤点あった人は文化祭の日に補習するみたいだよ」


「まじですか」


 僕もそんな話を影山さんから聞いた。


 その話をした影山さんは絶望した顔をしていた。


「ちなみに優正はテスト平気なの?」


「まぁ普通かな。可もなく不可もなくって感じ?」


「赤点の可能性はないと」


 氷室さんがそう聞くと、本田さんが何かを考えて目を逸らした。


「あるんだ」


「いや、不安なだけね。赤点は取ったことないから」


「追試落ちて転校した訳じゃなかったんだ」


「……うん」


 本田さんの元気が一気に無くなった。


「ごめん」


「いいよ。言ってないことだし。それに私がやろうとしてたことだもん」


 氷室さんもなんだかしゅんとしてしまった。


「本田さん」


「なに?」


「手、貸して」


「手?」


 本田さんが不思議そうに僕の前に手をだしてくれたので、その手をぎゅーっと握る。


「え?」


「氷室さんは手を握ると嬉しそうだったから本田さんもそうなるかなって。駄目か」


 氷室さんはいつも手を握ると、最初は顔を赤くするけど、途中からとても嬉しそうになる。


 だから悲しそうな顔をした本田さんの手を握れば同じようになるのかもしれないって思ったけど、違ったみたいだ。


 現に本田さんは空いている手で目元を押さえて呆れている。


「ごめんね、これじゃ本田さんが笑顔にならないよね」


「離さないで。違うの、陽太君の優しさで泣きそうなの。だから今はこうしてて欲しい」


 本田さんがそう言うと、目元を押さえる手の隙間から涙が流れてきた。


「本田さん……」


「わがまま言っていい?」


「うん」


「優正って呼んで」


「優正さん」


「そこは呼び捨てでしょ!」


 本田さん……、優正が目元を押さえながらこちらを向き、ほっぺたを膨らませながらに言う。


「陽太君はこれから私のことを優正って呼んで」


「うん。じゃあ優正も君外す?」


「それはハードルが」


「じゃあ僕も呼び捨てにしないよ」


 そうじゃないとフェアじゃない。


「わ、分かったよ。よ、陽太」


「うん!」


 僕は嬉しくなって、今とても笑顔になっている気がする。


「はぅ」


 優正がそう言って顔を押さえながら前を向いた。


「あ、そうだ。優正、こっち向いて」


「え?」


 僕は今更思い出したので、ポケットからハンカチを取り出した。


 そのハンカチで優正のほっぺたの涙だけでも拭う。


「使って。氷室さんも僕が泣いちゃった時はこうしてくれたんだ」


「澪、陽太を泣かしたの?」


「理由は私だけど、泣かしたのは私じゃないです」


 氷室さんはしゅんとして頭を下げながら言う。


「ならいいや。陽太、ありがとう。陽太のそういう優しいところ、私大好き」


「僕もの時の優正のこと好き。あ、もちろんの時も好きだけど」


 優正は泣き出した時から一人称が『うち』から『私』に変わった。


 どっちも優正だから両方好きだけど、やっぱり私の時の優正の方が好きだ。


「今は戻れそうにないや」


「なんでずっと『うち』の方で話してるの?」


「こっちだと陽太の天然にやられてずっと顔が真っ赤になるから。澪みたいに」


「私そんなにじゃないよ」


 氷室さんが小さい声で言う。


 氷室さんはさっきから元気がない。


「澪、気にしなくていいよ。さっき言ってたけど、澪にはお詫びしてないからこれでおあいこにしよ」


「ほんとにごめん。私が気にしてたら優正が思い出すよね。うん、切り替えた」


「ありがと。それより私もごめんね」


「なにが?」


「先に呼び捨てで呼び合っちゃって」


 優正がハンカチで押さえていた、赤くなっている目を見せて氷室さんを見る。


「わ、私はそんなに狭量じゃないからね。べ、別に気にしてないよ」


「動揺し過ぎ。それに手まで握ってもらっちゃった」


「手なら私なんか出かける度に握ってもらってるもん」


「じゃあ陽太。今度二人っきりで出かけよ」


 優正が僕の手を強く握りながら聞いてくる。


「うん。どこに行くの?」


「え、いいの?」


「え、駄目なの?」


「澪は居ないってことだよ?」


「氷室さんと一緒に居るのは好きだけど、優正と一緒に居るのだって好きだよ?」


 確かに氷室さんが居た方が楽しいけど、それは優正だって同じだ。


「優正と居る時は氷室さんが居るともっと楽しいし、氷室さんと居る時は優正が居るともっと楽しいよ」


「……ほんと好き」


「僕も優正のこと好き」


「絶対好きの意味違うけどちょっと嫉妬」


 なんだか氷室さんからジト目を向けられるけど可愛いからそのままにする。


 それから優正は「お花を摘みに行ってくる」と言って教室を出て行った。


 でも帰って来た優正はお花なんて持ってなかった。


 だけどなんだかさっぱりした顔をしていた。

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