第19話 氷室さんとプール

「陽太君、おはよう」


「おはよう、氷室さん」


 連絡先を交換した日からは毎日氷室さんが起こしに来てくれるようになった。


 たまに冷実さんも一緒に来てくれることもあるけど、今日は氷室さん一人のようだ。


「陽太君嬉しそうだね」


「うん。冷実さんに起こされるのも好きだけど、氷室さんに起こされるのがやっぱり好きだから」


 あの日に感じた違和感はもうない。


 今なら普通に可愛いや好きって言える。


「陽太君なんだから。それより今日は遅刻出来ないからお話終わり」


「……うん」


「そんな悲しそうな顔しないでよ。明日も明後日もいっぱいお話出来るから」


「うん!」


 今日は僕と氷室さん、それから影山さんと明月君でプールに行く日だ。


 待ち合わせの時間まではまだ二時間ぐらいあるけど、氷室さんとお話を始めたらそんなのすぐ経ってしまう。


 だから昨日氷室さんと決めていた。今日はお話をしないで準備をすると。


「影山さん達との集合場所までは電車で三十分ぐらいだけど、私達だと油断出来ないから」


「そうだよね。氷室さんとのお話は楽し過ぎて時間を忘れちゃう」


「私もだよ、ってだから話しちゃ駄目なの。ほら陽太君は着替えたりご飯食べたりして」


「はーい」


 僕は氷室さんに言われた通りに準備を始める。




 氷室さんに言われた通りにしたら、ちゃんと集合時間より早く着けた。


 氷室さんはやっぱりすごい。


「ねぇ日野君」


「なに? 影山さん」


「なんで私達と会う時は絶対に手を繋いでるの?」


 僕と氷室さんは家を出てからずっと手を繋いでいる。


 理由は冷実さんに氷室さんを守ってと言われたから、氷室さんに何かあったらいけないから手を繋いで離れないようにしている。


「氷室さんを守る為」


「なるほどなるほど。で、どういう意味?」


「私に聞かないで」


 影山さんがずっと顔を赤くしている氷室さんに意味を聞く。


「私だってそれは聞いたよ。でもなんでかは分かんないし、陽太君は真剣だから断ることも出来なくて、家を出てからずっと手を繋いで来たんだよ」


「良君!」


「やらないからな」


「なんでよ! 良君も私のことを守って」


「日野、本当に氷室を守りたいなら氷室に迷惑をかけるなよ」


 明月君が影山さんの頭を優しく撫でながら僕に言う。


「迷惑だった?」


「ううん、そんなことないよ。正直嬉しい」


「ほらぁ、良君。なでなでも嬉しいけど手を繋いで行こうよー」


「もう頭を撫でるだけじゃ駄目か」


 明月君が影山さんに差し出された手と自分の手を見る。


「ほーら」


「ほら明月君、影山さん待ってるよ。そうやって躊躇してたら影山さんは可愛いから取られちゃうかもよ」


「お前、自分だけだと恥ずかしいだけだろ」


 明月君がそう言ったところで、氷室さんが影山さんに対して目配せをした。


「良君は私と手を繋ぐの嫌?」


「お前らな……。分かったよ」


 明月君はそう言うと諦めたように影山さんの手を握った。


「やったー」


「よし行こー」


「行こー」


「なんか俺だけ辱めを受けてないか?」


「気の所為気の所為」


 氷室さんはそう言って、僕の手を引きながら歩いて行く。




「わぁ」


「なんだよ」


「明月君って鍛えてるの?」


 プールに着いた僕達は今、更衣室で着替えをしている。


 不意に隣で着替える明月君を見たら、腹筋が割れていた。


 確か明月君は体育祭でも百メートルとリレーに出て両方一位になっていた。


「少しな。特に意味はないけど」


「そうなんだ、すごいや」


 僕は細身で肌も白く、明莉には「お兄ちゃんって男の子っぽく見えないよね」とたまに言われる。そう言いながら、ずっと見てくるけど。


「別に腹筋割れてるからすごいとかはないだろ。日野は日野だし。氷室だって今の日野がいいんだろうから」


「氷室さん?」


「なんでもない。着替えが終わったなら行くぞ」


「あ、待って」


 先に歩いて行ってしまった明月君の後をついて行く。


「暑い」


「日野は日焼け大丈夫なのか?」


「うーん、分かんない。プールの授業は危ないから全部休んでたし、今日みたいにプールに遊びに来たのも初めてだから」


「危ない?」


「うん。僕、よくお風呂で寝ちゃうことがあったから、プールでもそんなことがあったら危ないってお母さんが」


「すごい納得した」


 だから僕は一度も泳いだことがない。


 僕がプールに行く可能性があったのが、明莉とだけだった。でもその明莉は人混みみたいな人の多いところが好きではないから一緒にプールに行くことなんてなかった。


 だから今日が人生初めてのプールだ。


「よく許してもらえたな」


「お母さんが氷室さんが居るならいいよって言ってくれた」


「それも納得」


「だから日焼けとかも初めてなんだ」


 もちろん、体育祭とかで長い時間外に居る時に焼けることはあったけど、僕は基本的に日陰で眠っていたからそれも少しだけだ。


「まぁ氷室が気にするか」


「なにを?」


「なんでもない。それより俺は静玖の浮き輪を膨らませてくる」


「浮き輪も初めて見る。明月君の?」


「そこまでか。静玖の奴泳げないんだよ。でも浮き輪で浮くのが好きとかで、俺は着替えが先に終わるから俺が膨らましとくってだけ」


「優しいね」


「うるさいわ」


 明月君はそう言うと、足で踏んで膨らますやつと浮き輪を持ってどこかへ行ってしまった。


 ここでやらないんだ、って思ったけど、ここは更衣室の入口だから人通りが多く邪魔になるからかと理解した。


「初めてだと色んなことが分かる」


「あ、日野君居た」


 僕がぼーっと人の流れを見ていたら、女子の更衣室から影山さんと影山さんの後ろに隠れる氷室さんが出て来た。


「あれ、良君は?」


「影山さんの浮き輪膨らましに行ってる」


「もぉ、良君に一番に感想言って欲しかったのに。でも嬉しいからいいや」


 影山さんの水着はオレンジ色のビキニタイプ(見た目からの勝手なイメージ)の水着だ。


 元気な影山さんらしく、とっても似合っている。


 明月君から一番に感想を聞きたいみたいだから言わないけど。


「陽太君、ジロジロ見すぎ」


 僕が初めて見るからと影山さんを見ていたら、影山さんの後ろの氷室さんにジト目で見られた。


「僕、水着って学校の以外初めて見るから気になって」


「初めて?」


 僕は明月君にしたのと同じ説明をする。


「だから私のこと見てたのか」


「うん。ごめんなさい」


「いいよ。日野君だし」


「どういうこと?」


「日野君はそもそも私を変な風に見ないから」


 結局どういうことなのか分からなかった。


「つまり、私を見るより氷室さんを見なさいってこと」


「わ、ちょっ」


 影山さんがいきなり退いて、氷室さんの後ろに回り込んだ。


 氷室さんは水着の上に服を着ているようで、水着はまだ見えていない。


「ラッシュガード脱いでよ。ここのプールは泳ぐ時はラッシュガード禁止なんだから」


「分かってるけど」


「それは背中? それとも水着?」


「後者です」


「つまりもう経験済みと」


 影山さんがそう言うと氷室さんの顔が一気に赤くなった。


「よ、陽太君とはそういう関係じゃ」


「ん? 背中見せたんじゃないの?」


「え、あぁ、うん。背中は見せたよ。うん」


 氷室さんが「うんうん」と頷く。


「じゃあ大丈夫だよ。日野君に褒めて欲しくて選んだんでしょ」


「ち、違う、とも言えないけど」


「じゃあほら脱いで脱いで」


 影山さんに言われて顔を赤くしながら氷室さんはラッシュガード? を脱いだ。


「ど」


「可愛い」


「まだ聞いてない。でもありがと」


 氷室さんの水着姿を見たら、思わず言葉が先に出てしまった。


 氷室さんの水着はピンク色のひらひらしたフリル? が付いた水着だ。


「私の時は反応無かったのに」


「影山さんは明月君に一番に感想を言って欲しいって言ってたから」


「でも氷室さんの時は見た瞬間だったよ?」


「確かに。なんでだろ」


 もう一度氷室さんを見たら氷室さんが顔を両手で押さえていた。


「これ以上は駄目だ。氷室さんが熱中症になっちゃう」


「大変。どこかで身体冷やす?」


「目の前にプールあるじゃん」


「あ、そっか」


 そういえばここはプールだから身体を冷やすところは沢山あった。


「じゃあ行こ」


「ねぇ君達」


 僕が早く氷室さんを冷やさなきゃとプールに向かおうとしたら、一人の大学生ぐらいの男の人に話しかけられた。氷室さんと影山さんが。


「うわ」


「そんな露骨に嫌そうな顔しないでよ。ちょっと話そうってだけだから」


「連れがいますので」


 影山さんはそう言うと、未だに顔を押さえている氷室さんを連れて僕の隣に来る。


「連れってそのもやしが? そんなのとじゃなくて俺と話した方が楽しいよ」


「影山さん。今その人誰をもやしって言った?」


「氷室さん、落ち着いて」


 氷室さんから何か殺気? のようなものが感じられた気がした。


「そこのもやし君。君じゃこの二人は釣り合わないから君は帰っていいよ」


「氷室さん、落ち着いて。もう少しで大丈夫になるから」


 氷室さんから更に黒いオーラのようなものまで見え出した気がする。


「おいおいもやし君。怖気付いて何も言い返せせないか?」


「あ、違くて。二人が僕よりもすごいのは知ってますよ? 釣り合わないっていうのも分かります。でもなんでそれで僕が帰らないといけないんですか?」


 この人の言ってる意味が分からなくて考えていたけど、やっぱり分からなかったから素直に聞いてみた。


「は?」


「だから、なんで僕が帰らないといけないんですか?」


「それはさっき聞いた。分かれよ。お前だとこの子達を楽しませることは出来ないって言ってんの」


 やっぱりよく分からない。


「なんで僕には出来ないと?」


「だからお前には不釣り合いだから」


「なんで不釣り合いなら一緒に居たら駄目なんですか?」


 氷室さんと一緒に居るとそうやって言われることも確かにある。


 でも前に氷室さんが言ってくれた。


「僕は一緒に居たいから居るんです。僕は氷室さんに拒絶されるまでは離れる気なんてありません。だから教えてください。なんで駄目なんですか?」


「だから」


「なんでですか?」


 僕は男の人に一歩近づいて聞く。


「おい、何してんだよ」


「あ、明月君おかえり」


 膨らんだ浮き輪を持った明月君が帰って来た。


「この人が僕だと氷室さんと影山さんを楽しませられないって言ったからなんだか聞いてたの。そもそも影山さんを楽しくさせるのは明月君なのにね」


「おま、いやいいや」


 明月君が一瞬焦ったように見えたけど、すぐにいつもの明月君に戻って男の人に近づく。


「うちの連れに何か用でも?」


「ひっ、いえなんでもありません。失礼しました」


「あ、行っちゃった」


 結局僕がなんで氷室さんを楽しくさせられないのか聞けなかった。


「日野君って、あれ狙ってやったの?」


「なにを?」


「ほんとの興味本位だよね、知ってた」


「それより氷室さんは大丈夫?」


 さっきまで黒いオーラが出てるように見えたけどやっぱり錯覚で、今はほわほわしたオーラが見える。


「恥ずかしさを超えて嬉しさのオーラが出てる」


「僕は氷室さんと一緒に」


「居なきゃ駄目」


 僕が言い終わる前に氷室さんが真っ直ぐ僕の目を見て言う。


「良かった」


「もう、良君がもうちょっと早く来てくれてればこんなに温度が高くならなかったのに」


「それは謝る。まさかこの短時間でなんぱされるなんて思わなかった」


「美少女が二人で居るんだよ、そりゃされるよ」


「自分で言う、か」


 明月君が影山さんを見て固まる。


「どうしたの?」


「なんでもない。氷室、日野に日焼け止め塗らなくていいのか?」


「あ、忘れてた。陽太君の綺麗な肌が焼けちゃう」


「私も忘れてた。良君、私の水着姿どう?」


「ノーコメント」


「日野君は氷室さん見た瞬間に可愛いって言ってたよ!」


「日野と一緒にするな。……似合ってるよ」


「えへへ」


 影山さんがとても嬉しそうに顔を緩める。


 そんな光景を見ながら、僕は氷室さんに日焼け止めクリームをこれでもかと塗ってもらっていた。


 そして僕達はプールで沢山遊んだ。


 僕は案の定泳げなかったので、潜れるぐらいの深さがあるプールでは氷室さんに手を繋いでもらっていた。

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