第18話 氷室さんと連絡先
「陽太君、起きてる?」
「……すずさん、おはよう」
氷室さんが夏風邪を引いてからしばらくが経った。
もう氷室さんは治ったようだけど、起こしには来てくれなくなった。
その代わりにすずさんが起こしに来てくれている。
「ごめんね、澪じゃなくて」
「ううん。すずさんとお話するのも楽しいよ」
嘘ではない。
すずさんとお話するのは氷室さんとお話をする次に楽しい。
ただ氷室さんとお話するのが一番楽しいだけで。
「どうしても朝は行けないって。多分もう少ししたら来れるようになると思うから」
「ほんと?」
「うん。ただ女の子してるだけだし」
すずさんの言ってる意味は分からないけど、もう少しでまた氷室さんと朝からお話が出来る。
と言っても別に氷室さんとお話が出来てない訳ではない。
朝起こしに来てくれなくなっただけで、お昼やお昼前にうちに来てお話をしている。
氷室さんの部屋は氷室さんが夏風邪で寝ている時に僕とすずさんで片付けた。
だけど氷室さんは夏風邪が治ってから一度も部屋には入れてくれなかった。
また物を並べてしまったのかと思ったら、すずさん曰く違うらしい。
「そういえば澪と他のお友達とでお出かけするんだよね」
「うん。最初はプールに行く予定だったけど氷室さんが『嫌だ』って言ったから別の場所を考えてたけど、氷室さんが『やっぱりプールで大丈夫』って言ったからプールに行くことになったよ」
「プール……。行けるようになったんだ」
すずさんが今にも泣き出しそうな顔をする。
「すずさん?」
「大丈夫。嬉しくなっちゃって。でもよう君にお願いしていい?」
「うん」
「澪を守ってあげて」
すずさんがとても真剣な表情で僕に言う。
「守るよ。僕は氷室さんに嫌な思いをして欲しくないから」
「……私が言われてる訳じゃないのにキュンとしちゃった」
すずさんが胸を押さえながら僕をちらちらと見る。
「じゃあ約束ね。帰って来た澪が楽しかったって言わなかったらよう君のところに澪は来させないから」
「やだ」
「やだじゃなくて?」
「守る。氷室さんのことは僕が絶対に」
僕はすずさんの目を真っ直ぐ見て思いを伝える。
「余計な事言ったかな? ごめん、澪」
すずさんが両手を合わせて黙祷を捧げながら言う。
「そ、それより、澪はいつ頃来るの?」
「分かんない」
「いつも連絡っていつしてるの?」
「してないよ? 連絡先知らないもん」
「え?」
「ん?」
すずさんが困惑した表情をする。
僕は氷室さんの連絡先を知らない。
僕が連絡先を登録しているのは家族と影山さんと明月君、それとすずさんだけだ。
「なんで澪と連絡先交換してないの?」
「しようって言われてないし、いつも一緒に居るからわざわざ連絡することもないから?」
学校でも家でも基本的に一緒に居るからわざわざスマホで連絡を取る必要がない。
「すずさん?」
「ごめん。ちょっと意外過ぎて理解が出来てなかった」
「意外かな?」
「いつも仲良しだから連絡するしない関係無く連絡先は交換してるものだと」
「僕、連絡来ても寝てることが多いから返信も出来ないんだよね」
たまに家族や影山さんから連絡が来ることがあるけど、大抵寝ているから返信は相当遅れる。
みんなそのことを理解した上で送って来ているから気にしてないようだけど、僕はごめんなさいって気持ちになる。
「そっか、澪が言ってたけど、よう君は睡眠時間が削れると体調を崩すんだよね?」
「そうみたい」
「だから家に居る時に電話して睡眠時間を削るのが嫌なのもあるのかな。いやでも交換ぐらいはしようよ」
「今まで困ったことがなかったから気にしてなかった」
確かに連絡するしないは関係無く交換はした方がいいと思う。
僕と氷室さんは大抵家の中でお話することが多いから必要なかったけど、これからお出かけが増えたら僕が迷子になった時の為にも連絡先は交換しておいた方がいい。
「いつも澪ってどのぐらいの時間に来てるの?」
「十時から十二時の間」
「結構適当なんだ。今日はよう君が来てくれない?」
「いいの?」
「うん。そろそろ澪もよう君に慣れないと」
すずさんはたまによく分からないことを言う。
「じゃあ準備したら行く」
「うん。私は澪を足止めしなきゃ」
そしてすずさんは帰り、僕は準備を済ませて氷室さんの家に向かった。
インターホンを鳴らすと薄くお化粧をした氷室さんが出てきた。
「あ、陽太君。あぁ、そういうことね」
氷室さんは廊下に倒れ込む冷実さんを見て何かを納得した。
「お姉ちゃんに何か言われた?」
「今日は来ていいって。氷室さんともっと仲良くなりに来た」
「……分かった、入って」
氷室さんが一瞬だけ固まったけど、すぐに動き出して僕を中に入れてくれた。
「お姉ちゃんも言いたいことあるんでしょ? 来て」
「澪の言葉責めで腰が抜けた」
「まるで私が悪いみたいな言い方して。人と話さないからそうなるんだよ」
「最近はよう……た君とお話してるもん。それに澪だって陽太君が居なかったらお話する相手居なかったでしょ?」
「そんなことないし。私、結構話しかけられてたから」
そう、氷室さんは僕が居なかったとしてもきっと沢山の友達に囲まれていた。
氷室さんが言うには、今の友達は僕と影山さんと明月君だけらしいけど。
「それなら私だってそうだもん。私が言ってるのは自分を出してお話出来る相手だよ」
「そんなの陽太君しかいないよ」
「ほら、一緒だ」
氷室さんが僕と冷実さんの顔を交互に見る。
「なんか私が朝起こしに行かなくなってから仲良くなり過ぎじゃない?」
「澪が行かないのが悪いんだよ。姉妹なんだから仲良くなる相手も似るんじゃない?」
「だって陽太君には可愛い私を見て欲しいんだもん」
氷室さんが俯きながら小さい声で言う。
「氷室さんはいつでも可愛いよ?」
「陽太君陽太君、ちなみに最近の澪と今までの澪だとどっちが可愛い?」
「どっちも可愛いけど、前の方が氷室さんって感じで可愛かった」
「だって、澪」
冷実さんが嬉しそうな顔で氷室さんに言う。
氷室さんは身体をぷるぷるさせている。
「よ、陽太君」
「なに?」
「もしかして私がお化粧してるの気づいてた?」
「うん。氷室さんのことはいつも見てるもん」
氷室さんが両手で顔を押さえてうずくまる。
その氷室さんを見ると、耳まで真っ赤になっている。
「氷室さん?」
「澪、嬉しかった?」
冷実さんの言葉に氷室さんが頷いて返す。
「だから言ったでしょ、陽太君は可愛くなろうとしなくても普段の澪のことが好きなんだって」
「氷室さんは可愛いよ?」
「陽太君、今は駄目」
氷室さんが冷実さんの方に行って、ポカポカと冷実さんを叩いている。
「澪、痛い。あ、でも可愛い」
冷実さんがそう言うと氷室さんの手の速さが上がった。
「氷室さん」
僕が氷室さんに近づいて後ろに正座をしてから声をかけると、氷室さんの手が止まった。
「また起こしに来てくれない?」
「え?」
氷室さんが頬を赤くしながら僕の方を向く。
だけどすぐに冷実さんの方に顔を戻す。
「冷実さんに起こしてもらってお話するのも楽しいけど、僕は氷室さんにも起こして欲しい」
「振られた」
「ごめんなさい」
「ううん。私が行くと少し元気無かったもんね」
自分ではそんなつもりはないのだけれど、冷実さんにそう見えていたのならそんな失礼なことはない。
「ごめんなさい」
「いや、気にしてないよ? この時間に話す澪の雰囲気が変だから朝に会いたいんでしょ?」
「うん」
最近、お昼に氷室さんとお話するとなんか少しだけ氷室さんが変だ。
最初は普通に話せるのに、頬が赤くなるのはいつものことだとして、途中からキョロキョロしだしたり、僕と目を合わせてくれなくなったりする。
「僕は氷室さんと前みたいにお話したい」
「だって。出来る?」
冷実さんが氷室さんを見上げながら聞く。
「陽太君」
「なに?」
「前みたいに、はすぐ出来るかは分からないけど、それでも前みたいに出来るように努力はする」
そこまで言って氷室さんは僕の方を向く。
「……だから、それまでは今の私で我慢してくれる?」
「……」
「やっぱり駄目?」
「あ、違うの。氷室さんが……、なんでもない。えっと僕は氷室さんと前みたいにお話が出来るなら待つよ」
「よかった」
なんだかおかしい。
氷室さんが見上げるように僕を見たら固まってしまった。
それになんでか可愛いって言えなかった。
なんでだろう。
「このまま床になりたい」
「お姉ちゃんが変態みたいなことを」
「私のことは気にしないで。もうほんと」
冷実さんが頬を赤くして僕と氷室さんを見る。
「あ、そうだ。氷室さん」
「なに?」
「連絡先交換しよ」
「あぁ、そういえばしてなかった。陽太君とはいつでも話せるからって」
やっぱり氷室さんも僕と同じ考えだった。
「興味が無くて聞き流してたけど、これが推しカプってやつかな?」
冷実さんが何か言っているけどよく分からないから氷室さんと連絡先を交換した。
そして氷室さんがお化粧を落としてから氷室さんの部屋で一日中お話をした。
今日は少しだけ前みたいに話せた気がした。
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