第17話 氷室さんと夏風邪
「よ、陽太君。起きれる?」
「あれ、冷実さん?」
今日はなんでか氷室さんではなく冷実さんが起こしに来てくれた。
冷実さんと初めて会ってからしばらくが経ったけど、氷室さんはあれから毎日僕を起こしに来てくれていた。
冷実さんが僕の部屋に来たのは二回目だ。
僕と氷室さんは毎日僕の部屋でお話したり、夏休みの宿題をしたりしている。
そんなある日に、氷室さんが冷実さんを一度だけ連れて来たことがあった。
僕が冷実さんの声を綺麗と言ったから、冷実さんでも僕を起こせるのか実験をしたかったと。
そしたら僕は起きれた。
氷室さんは少し不服そうだったけど、こればったかりはしょうがない。
「氷室さんは?」
「え、えっとね。澪、夏風邪引いちゃって。だから代わりに私が陽太君を起こしに来たの。も、もちろん澪に頼まれたからだよ? 陽太君のお部屋に来たくて起こしに来た訳じゃないからね」
冷実さんがすごい早口で頬を赤くしながら話す。
でも僕はそれよりも氷室さんが心配になる。
「氷室さん、大丈夫ですか?」
「うん。ちょっと熱が出ちゃっただけだから」
「ほんとですか?」
「そんなしょげないで。大丈夫だから。ね」
冷実さんが僕の頭を撫でてくれる。
「氷室さんのお見舞いに行っていいですか?」
「……多分澪は駄目って言うと思う」
「うつすから?」
「ううん、別の理由で」
つまり氷室さんは僕とは会いたくないということになる。
胸が痛くなる。
「あ、違うの。えっとね、澪が陽太君のお見舞いを嫌がるんじゃなくて、むしろ会いたいだろうけど、あのね、えっと、うーんと」
冷実さんが何かをすごく考えている。
「うん。これは澪の自業自得だからいいや。陽太君なら大丈夫だろうし」
「え?」
「陽太君は澪のことをどういう人だと思ってる?」
「えっと、とってもいい人」
「それってなんでも出来るとか、全部完璧にこなすとかって意味?」
いい人にそんな意味があるなんて初めて知った。
「違うならいいの。陽太君は澪のいつもと違う部分を見ても澪を好きでいてくれる?」
「うん、氷室さんのことはもっと知っていきたいです」
「そんな堂々と言われると私が照れちゃう」
冷実さんが頬を赤くして顔を両手で押さえる。
「後、敬語は使わなくていいって言ったよ?」
「でもお姉さんだから」
「そう言ってたまに抜けるよね。それとも私とは仲良くしたくない?」
「敬語じゃなければ仲良し?」
「うん、少なくとも私はそう思う」
「だったらやめる。冷実さんとは仲良しでいたいから」
僕がそう言うと、冷実さんが身体を前のめりに倒した。
「冷実さん?」
「澪、すごいなぁ。毎日これに耐えてるなんて」
「冷実さん、大丈夫?」
「うん。名前も変えてもらうつもりだったけど、これ以上は私が持たないからまた今度にするね」
冷実さんが顔だけ上げて僕に綺麗な笑顔を向けながら言う。
「名前……、すずさん?」
「あだ名……」
「すずさん、駄目だった?」
冷実さんが固まって動かなくなってしまった。
「うーん、すーさん。漢字からなられみさん?」
「冷実でお願いします」
「あだ名って付けたことも付けられたこともないから難しい」
「……よう君」
冷実さんが小さい声で僕のことをあだ名で呼んでくれた。
「じゃあ僕もすずさん」
「あ、あの。あだ名で呼ぶのは二人の時だけにしてもらっていい? べ、別に変な意味がある訳じゃなくて、澪に嫌われたくないから」
「分かった。僕も氷室さんに嫌われたくないもん」
「あぁ、多分嫌われるのは私だけかな」
「それもやだ。氷室さんとすずさんは仲良しでいて欲しいもん」
「よう君はほんとにいい子だよね。私もよう君みたいないい子を同級生に欲しかった」
すずさんが遠い目をしている。
「僕が居るよ?」
「……心臓に悪いからそういうことは澪だけに言って」
すずさんが目線を逸らして立ち上がる。
「前は男の子のお部屋ってことで緊張して分からなかったけど、澪とよう君がずっとお話しちゃうのが分かった。でもそろそろ行こ。帰るのが遅いと澪に変な勘ぐりされそうだから」
「うん、行く。準備するから待ってて」
そして僕は大急ぎで準備を済ませる。
準備を終えた僕は、僕の部屋で床に座りながらベッドに倒れ込んでいるすずさんを呼びに行った。
それを見た僕は(姉妹なんだなぁ)って思った。
そして僕に気づいた冷実さんが慌てて「今のはほんの出来心だから気にしないでくれると助かります。軽蔑したのなら土下座でもなんでもしますのでお許しを」と氷室さんと同じことを言ったので、少しおかしくなって笑ってしまった。
冷実さんは不思議そうな顔をしていたけど、僕は冷実さんに手を差し出した。
冷実さんはおずおずと僕の手を掴んで立ち上がる。
そして僕と冷実さんは氷室さんの部屋に向かった。
「陽太君。驚かないでね」
「うん」
冷実さんはここに来るまでに何回もこれを言っている。
氷室さんの部屋には前にも来たけど、どこも変な場所はなかった。
「じゃあいくよ。澪、陽太君がお見舞いに来てくれたよ。入れるからね」
冷実さんが部屋の扉をノックしてからそう言った。
「え、ちょっ。だめぇぇぇぇ」
氷室さんの叫び声を無視して冷実さんは扉を開けた。
氷室さんはベッドの上で起き上がって固まっている。
「元気そう?」
「さすが陽太君。まず澪のことを見るなんて」
「え?」
「足元見てみて」
僕は冷実さんに言われた通りに足元を見る。
すると辺り一面に物が置いてある。
「氷室さんっていっぱい物を持ってるんだね」
「そこ? まぁ陽太君っぽいけど」
僕は冷実さんに入っていいか許可を取り、いいと言われたので足元の物を踏まないように氷室さんのベッドに近づく。
「私は下に居るから何かあったら呼んで」
「うん」
冷実さんはそう言うと扉を閉めて下の階に向かった。
「氷室さん、大丈夫?」
氷室さんは未だに固まったままだ。
「氷室さん、寝てないと駄目だよ」
僕は氷室さんの肩を掴んで無理やり寝かせる。
「はっ、陽太君? ってことはさっきのは夢じゃないの?」
「氷室さん、ほんとに大丈夫?」
「あ、大丈夫です。それよりも、あのですね、部屋を見てどう思いました?」
「敬語やだ。それ仲良しじゃないって言われたよ」
「あ、はい。それじゃあ、部屋を見てどう思った?」
「物をいっぱい持ってるなーって」
僕はあんまり物欲がないから部屋に小物とかはない。
だからこんなに物を持っている氷室さんが素直にすごいと思う。
「なんか陽太君って感じ。お母さんには『部屋が汚いから風邪なんて引くんだよ』って言われたのに」
「でも僕が前に来た時は綺麗だったよ?」
「それは……、そうなんだけどね」
「片付けたんでしょ、陽太君が来るからって」
氷室さんと話していたら、冷実さんがお盆にお粥を乗せて帰ってきた。
「お姉ちゃん!」
「お母さんじゃないけど、普段から片付けてればこうやっていきなり陽太君が来ても誤魔化せるんだよ」
「分かってるよ。お粥ちょうだい」
「澪、お母さんがなんでこのタイミングでお粥を持ってこさせたか分かんない?」
「まさか」
「はい、陽太君」
冷実さんが僕にお盆を渡してきた。
「僕があげていいの?」
「うん。病は気からって言うからね。それに前は陽太君が澪にお世話されたんでしょ? ならそのお返しに」
「やる! 今度は僕の番だもん」
やっとあの時のお返しが出来る。
「私、大丈夫だよ? 一人で食べれるよ?」
「駄目、僕が食べさせるの」
僕はれんげでお粥を一口掬い、ふーふーして冷ましてから氷室さんの口元に運ぶ。
「あーん」
「あの、えっと」
「あーん」
「だから」
「あーん」
「あ、あーん」
「陽太君の圧すごい」
その後から氷室さんはちゃんと一回で食べてくれた。
「ご、ごちそうさまでした」
「澪、頑張った」
「ほっぺた赤いよ、熱上がっちゃった?」
僕は熱を測ろうとおでこを当てようとしたら冷実さんに肩を掴まれた。
「それはね、駄目。多分ほんとに澪の熱が上がっちゃうから」
冷実さんはそう言うと僕からお盆を受け取って部屋を出て行った。
「助かった」
「氷室さん、ごめんなさい」
「陽太君のせいじゃないの。私のせいなの」
「でも氷室さんのお世話を全部したくて」
前に僕が風邪を引いた時に今度は僕が氷室さんのお世話をすると約束した。
だから今日は全部僕がやりたい。
「陽太君は真面目なんだから。でも大丈夫だよ、ほんとに」
氷室さんがとても切実に言う。
「澪、お母さんが身体拭けって」
冷実さんが今度はお湯とタオルを持ってきた。
「どうする?」
「……陽太君」
「なに?」
「陽太君は今日私のお世話を全部やってくれるって言ったけど、これもやってくれる?」
氷室さんはそう言うと冷実さんの持つお湯とタオルを指さす。
「うん。背中だけなら」
「そういうの気にしてくれるんだ」
「えっとね、明莉が『身体拭くとかになっても背中だけにしなさい』って」
「この状況を予想出来るってどれだけ普段からいちゃいちゃしてるの」
冷実さんが呆れたように言ってくる。
「お姉ちゃんうるさい。でも居てね」
「居るよ。陽太君。私は陽太君を信じるからね」
「うん?」
冷実さんが今までにないくらいに真剣な表情で僕にお湯とタオルを渡してきた。
「ふぅ、じゃあお願い」
氷室さんはそう言うと、ピンクのパジャマのボタンを外し初めた。
「陽太君、失礼」
冷実さんに目を手で押さえられた。
「あ、ごめんお姉ちゃん」
「気をつけてね」
「あ、これも明莉に言われてた」
明莉に「澪ちゃんが服を脱ぎ出したらちゃんと目を瞑るんだよ」と言われていた。
「陽太君って絶対下心ないから油断しちゃうんだよね」
「分かるけどね」
多分僕が駄目だって話をされてる。気をつけないと。
「もういいよ」
「陽太君、手、退けるね」
「うん」
冷実さんがそう言うと手が退いて、氷室さんの綺麗な背中が目に入る。
「じゃあ拭くね」
「まさかの無反応!」
「え?」
「私の背中見て何か思わない?」
「綺麗だなって」
「……ほんとにそれだけ?」
「え、うん」
氷室さんの背中は白くてとても綺麗だ。
氷室さんの肌が白くて綺麗なのは知っていたけど、背中も綺麗だ。
「それは気を使ってる?」
「え?」
「陽太君。多分陽太君は澪のことしか見てないんだよね。だから澪の部屋を見ても部屋の汚さなんか目に入らないで澪のことだけを見てた」
「うん。僕は氷室さんしか見てなかった」
「でも見えない訳じゃないから教えるね。いいよね?」
冷実さんが氷室さんに確認を取ると、氷室さんが頷いた。
「もし見てないフリならやめてこれをちゃんと見て」
冷実さんがそう言って氷室さんの背中を指さす。
「ぁ」
本当に今気づいた。氷室さんの背中には傷跡があった。
「陽太君。これを見た後でもう一度聞くね。澪の背中を見てどう思う?」
「……それでも僕は綺麗だと思う」
「理由は?」
「僕には傷の理由は分からない。というより、傷があるからって氷室さんが氷室さんじゃなくなる訳じゃないでしょ?」
氷室さんにとってこの傷は心にも残る傷なのかもしれないけど、僕はそれを含めても氷室さんだと思う。
「傷があったら氷室さんを嫌いにならなきゃいけないの? それとも僕がおかしいの?」
「ううん、陽太君はそれでいいの。ありがとう、澪を澪として見てくれて」
冷実さんが涙を流しながら言う。
「陽太君、ちょっとこっち来て」
「うん」
僕はベッドに手をついて氷室さんに近づく。
そしたら氷室さんが僕に抱きついてきた。
「ほんとになんとも思わない?」
「うん」
「傷があって変とか、なんか色々と思ったりしない?」
「うん。氷室さんは氷室さんだよ。僕はどんな氷室さんでも大好きだよ」
氷室さんの顔は見えないけど、多分泣いている気がする。
だから僕は氷室さんの背中に腕を回して背中をさする。
「すごいいい話してるところ悪いけど、澪、裸で抱きつくのはいくら無いからって駄目だよ」
「落ち着け私。恥ずかしさなんて今まで陽太君のおかげで大丈夫になったでしょ」
「氷室さん、もう大丈夫?」
「陽太君」
僕が離れようとしたら氷室さんが抱きしめる力を強めた。
「陽太君、目を瞑って。私がいいって言うまで開けたら駄目だよ」
「分かった」
氷室さんに言われた通りに目を瞑る。
「陽太君が男の子なのか心配になってくる」
「お姉ちゃんは後でお説教だから」
「なんでよ」
「自分の無駄な贅肉に聞けば!」
そうして少ししたら氷室さんから目を開けていいと言われたので、背中を拭いて、またしばらく目を瞑っていた。
そしてその後は氷室さんが眠るまでお話をしていた。
氷室さんが眠ったら、僕も寝てしまっていたようだ。
そのまま僕は氷室さんに起こされるまで眠り続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます