第16話 氷室さんとお姉さん
「陽太君、起きなくていいよ」
「ん、なんで?」
「そりゃ起きるよね」
夏休み初日に氷室さんが起こしに来てくれたと思ったら、起きなくていいと言われた。
氷室さんのことだからきっと意味あってのことなんだろうけど、その意味が分からなくてつい聞いてしまった。
「ごめん、起きちゃった」
「いやいや、いいの。まだチャンスはあるから」
「なんの?」
「陽太君、今からじゃなくていいか。ご飯食べた後にでもうちに来れる?」
「うん。朝ごはん食べたらすぐ行く」
この前は途中で倒れてしまったから、今度こそは倒れないようにしたい。
「まぁ陽太君なら断らないか」
「断った方が良かった?」
氷室さんの言い方から、僕が断るのを期待していたように聞こえた。
「違うよ。まぁ来れば……分かんないかもしれないけど、少なくとも私は陽太君が来てくれるのは嬉しいよ」
「僕も氷室さんが僕の部屋に来てくれるの嬉しい」
「そんなこと言ったら夏休みは毎日来ちゃうよ?」
「ほんと!」
それなら毎日氷室さんとお話が出来て嬉しい。
夏休みは氷室さんと会える回数が減ると思っていたから、あんまり来て欲しくなかった。
でも氷室さんが毎日来てくれるのなら、夏休みも楽しく過ごせそうだ。
「そんなに喜ばれると少し照れる」
「氷室さんと会いたいもん」
「私もだよ」
氷室さんがボソッと言うのでなんて言ったのか聴き逃してしまった。
「じゃあ私は帰るね。陽太君が来るの楽しみにしてる」
氷室さんはそう言うと、部屋を出て行った。
「準備しよ」
僕は朝ごはんや着替えなどの準備を済ませて、氷室さんの家に向かう。
インターホンを鳴らすと氷室さんが出てきて中に入れてくれた。
「陽太君なら大丈夫だと思うけど、思ったことは素直に言うんだよ?」
「うん?」
言ってる意味がよく分からなかったので、返事が疑問形になってしまった。
僕はあんまり嘘が得意じゃない。
だから僕の発言は全て本音だ。
「とりあえず上がって」
「うん」
僕は靴を脱いで氷室さんの家に上がる。
「君が噂の陽太君?」
「はい?」
僕が靴を揃えていたら背後の階段から氷室さんに負けず劣らずの綺麗な声がした。
「そっちだよね。陽太君、あのめんどくさそうな人は私のお姉ちゃんの
「そ、お母さんとお父さんに『生活力をつけろ』って怒られて一人暮らししてるんだー」
「そうなんですか」
冷実さんは一言で言うとギャルみたいな人だ。
服も肩が出ていて、それに少しお化粧をしているように見える。
そんなことを考えていたら、冷実さんが階段から下りてきて僕の目の前に立つ。
「ねぇ、澪じゃなくて私にしない?」
「なにをですか?」
「とぼけなくていいよ。澪と付き合ってるんでしょ?」
「だから付き合ってないって散々言ったでしょ」
氷室さんが呆れたように言う。
「付き合ってもないのに澪は男の子の部屋に入るの?」
「友達ならそれぐらいするでしょ」
「いや、しないでしょ」
「友達がいたことがないお姉ちゃんには分からないよ」
「ぐっ」
冷実さんが胸を押さえて膝をつく。
「で、でも陽太君は澪のこと好きなんじゃない?」
「好きですよ?」
「そんな真っ直ぐ穢れない目を向けないで、私の心が洗われる」
「いいことじゃん。汚れ過ぎてるんだから」
「陽太くぅーん、澪がいじめるよぉ」
冷実さんがそう言いながら僕に抱きついてきた。
「大丈夫ですか? 氷室さん、お姉さんをいじめたら駄目だよ」
「陽太君。今虐められてたの私と陽太君だよ」
「本当ですか、冷実さん」
「そ、そんなことはないよ。陽太君は私と澪のどっちの言葉を信じる?」
「氷室さんです」
「私も氷室だけど」
「そう聞くんなら分かってんでしょ。そろそろ離れなさい」
氷室さんが少し怒った様子で冷実さんを僕から引き離す。
「その無駄な贅肉を押し付けたところで陽太君は興味無いから」
「無駄ってなにさ。自分は皆無だからって、嫉妬?」
「ていうかいつまで猫かぶりしてんの? 陽太君にはそれ通じないからそろそろやめれば?」
「猫かぶりじゃないし、処世術って言ってくれる?」
「ただのコミュ障隠しでしょ」
氷室さんと冷実さんが喧嘩を初めてしまった。
どうにかしてこれを止めたい。
「そうだ」
僕は氷室さんと冷実さんの手を握った。
「ひゃん」
「陽太君?」
「仲良くして」
とりあえず話を聞いてもらう為に手を握って言い合いを止めた。
後はどう喧嘩を止めるかだと思ったけど、冷実さんが女の子座りをして固まっている。
「冷実さん?」
「あぁ、お姉ちゃんの人見知りが発動した」
「え?」
今までは普通に話したり抱きついてきたりしていたのに、なんで今になって人見知りが発動したのかが分からない。
「お姉ちゃんね。極度の人見知りで、素の状態だと人と話すとか出来ないの。だからさっきみたいに理想の自分っていうのを作って人と話してるの」
「でもなんで急に固まっちゃったの?」
「えっとね。多分だけど、自分から抱きついたりする時は心構えが出来てるけど、今みたいに不意打ちで手を握られたりすると心構えが出来てなくて駄目みたい」
「そっか」
なんだか悪いことをしちゃった。
でも。
「冷実さん。氷室さんにごめんなさいしてください」
僕は氷室さんと冷実さんと手を繋ぎながら冷実さんの目線に合わせて言う。
「あ、あの」
「ごめんなさいです」
「ご、ごめんなさい、澪」
さっきとは打って変わってとても小さい声で冷実さんが謝る。
小さいけど、やっぱり綺麗な声だ。
「じゃあ次は氷室さん」
「まぁ私もだよね」
「氷室さんも冷実さんに酷いこと言ったから」
「うん。ごめんねお姉ちゃん」
これで二人の仲直りが成功した。
「じゃあ僕もごめんなさい」
「何に対して?」
「冷実さんが理想の自分になってたのは僕が来たからだよね。だから無理をさせちゃってごめんなさい」
「陽太君……」
冷実さんが僕のことを見ながら涙を浮かべる。
「氷室さんは僕を庇ってくれたんだよね。だから冷実さんと喧嘩になっちゃった。ごめんなさい」
「喧嘩になったのはお姉ちゃんが調子に乗ったからだよ」
「ごめんね、澪」
「なんか私が悪者みたい」
「氷室さんは悪くないもん」
氷室さんはいい人であってワルモノなんかじゃない。
「言いたいのは違うけど。あ、そうだ。陽太君、お姉ちゃんのことどう思った?」
「澪?」
なんだか氷室さんの顔が悪巧みをしているように見える。
「可愛いって思った。最初は派手だなーって思ったけど、お話してくうちにどんどん色んなことを知れて可愛いなって思った」
「ちなみに今とさっきのだとどっちが可愛い?」
「今」
理想の自分もきっと頑張ってやっているのだろうけど、僕は今の冷実さんの方が可愛いと思う。
「どんなとこが?」
「えっとね。僕は理想の自分より本当の自分の方が好きだから。処世術で理想の自分を演じるのはすごいけど、やっぱりそのままの方が僕は隣に居たいと思った」
「はぅ」
冷実さんが顔を真っ赤にして俯く。
「私が言わせたんだけど、なんかモヤモヤする。でも私も今のお姉ちゃんの方が好きだな、見てて可愛いから」
「澪のバカ」
「こういうとことかね」
「うん」
冷実さんがまた顔を伏せてしまった。
「だから言ったじゃん。陽太君に会うなら素の方がいいって」
「だって、恥ずかしいんだもん」
「私には分からないけど、さっきの醜態は恥ずかしくないの?」
「醜態?」
「演技の方。陽太君に抱きついて胸を擦り付けてたりしたやつ」
「してない、してないもん」
冷実さんが顔を更に真っ赤にして氷室さんに抗議する。
「お姉ちゃんが会いたいって言うから来てもらったのに、やりたかったのは胸を擦り付けることなの?」
「ちが、澪がプレゼントをあげた相手が気になって。私に連絡してまでプレゼントをあげるなんて気になるよ」
「そうだ、氷室さんにクッキー作ればって言ったの冷実さんだった。ありがとうございました」
僕は冷実さんに頭を下げる。
「そ、そんなご丁寧に。こちらこそ今更ながらに澪と仲良くしてくれてありがとう」
冷実さんも土下座する勢いで頭を下げる。
「よ、陽太君はいい子だね」
「そうですか?」
「うん。わ、私なんかと普通に話してくれるし」
「冷実さんとお話するの楽しいです」
一番は変わらず氷室さんだけど、冷実さんとお話するのはとっても楽しい。
「よ、陽太君……」
「なんかモヤモヤする。陽太君、部屋行こ」
「冷実さんは?」
「ダメ!」
「うん、私は少し反省してくるね」
冷実さんはそう言ってリビングの方に這っていった。
「今日は寝かさないし当分帰らせないから」
「うん! 今日はずっと氷室さんとお話する」
「なんかモヤモヤ少し晴れた」
そして僕と氷室さんは一日中お話を続けた。
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