第14話 氷室さんと涙

「陽太君、着くから起きて」


「寝ちゃってた。ごめんね氷室さん」


 氷室さんの肩に乗った頭を退かしなが氷室さんに謝る。


 今は氷室さんと一緒に明月君のお家に向かっている。


 昨日は結局明月君のお家探検になってあまり勉強が出来なかった。


「陽太君、昨日は楽しそうに明月君の家を探検してたもんね」


 モヤモヤしてたのもお家探検を始めたら少しだけ晴れた。


 でも氷室さんの隣は譲りたくなかったから、ずっと隣に居た。


「うん。氷室さんは楽しくなかった?」


「楽しかったよ。ただ影山さんと楽しそうに話してたの見てモヤついただけ」


 氷室さんがほっぺたを膨らませてそっぽを向いてしまった。


「僕と一緒だね。なんなんだろうあれ」


「陽太君には分からないかな」


 なんだか少し氷室さんの機嫌が悪くなった気がする。


「氷室さん、また手を繋いで行こ」


「……うん」


 なんでか分からないけど、昨日氷室さんと手を繋いでいた時は氷室さんが嬉しそうだったから、機嫌が直るかなと思って言ってみたけど、少しだけ嬉しそうになってくれた。


「ところで氷室さん」


「大丈夫。今日は私も分かってる」


 氷室さんはそう言うと、スマホを取り出して操作を始める。


「今日は二人で謝ろ」


「うん。でも次からは一本分余裕を持って出ないとね」


 そして僕達は二駅隣の駅で降りてから、戻る方の電車に乗り換えた。




「ごめんなさい」


「さい」


 僕と氷室さんは明月君のお家に着いて、お出迎えしてくれた明月君と影山さんに頭を下げた。


「なんとなく遅れて来るかなーとは思ってたから大丈夫だよ」


「話に夢中になって乗り過ごすとか少し呆れた」


 呆れたとは言っているけど、怒っているというよりも、なんだか違う意味に聞こえる。


「私達もいつかやりたいね」


「やりたかないわ」


「次からは早く出ます」


「乗り過ごすの前提なんだね。でも話してて出る時間結局ギリギリになるんじゃない?」


「いつもそうです」


 僕と氷室さんだってギリギリの時間で行きたい訳ではない。


 ただ出る前にお話を始めると、お母さんか明莉に言われるまでずっとお話を続けちゃうだけだ。


「私達もだけど将来苦労しなそうだよね」


「将来?」


「喧嘩しなそうって意味」


「氷室さんと喧嘩?」


 喧嘩になるならきっと僕が悪いだろうから、その時は僕が許してもらえるまで謝る。


 それでも許してもらえないなら、どんなことをしても氷室さんに許してもらえるように努力する。


「陽太君なら私が悪くても謝ってきそう」


「氷室さんが悪いことする訳ないもん」


「陽太君が言うか」


「喧嘩って言うよりは氷室の勘違いで日野に文句を言うとかはありそうだよな」


「それを言うなら陽太君じゃないの?」


「日野は隠さないで全部言うからすれ違いとかないだろ」


「私だって言うもん」


 氷室さんがしょげてしまったので、ずっと握っていた手に力を込める。


「いっぱいお話しようね、氷室さん。隠し事なんかしないで、なんでも」


「うん、話す。陽太君と疎遠になったら私多分落ち込んで病気になるかもしれない」


「もしそうなったら看病するね」


「疎遠になってもしてくれそう」


 まず疎遠になるつもりがないけど、もしなっても僕に出来ることがあるのならなんでもしたい。


 氷室さんからもらったものを返しきれていないのだから。


「うん、この二人はたとえ喧嘩しても次の日かその日の内に仲直りしてそう」


「喧嘩の内容が勘違いだろうからな」


「きっと周りからは『痴話喧嘩始まった』とか思われてるんだろうね」


「私達のこと馬鹿にしてる?」


「褒めてるの」


 喧嘩喧嘩言われるので、少し氷室さんと喧嘩して疎遠になったのを想像してみる。


「陽太君?」


「やだ」


 想像したらいきなり涙が出てきた。


 驚いた氷室さんがピンクのハンカチを取り出して、涙を拭いてくれた。


「どうしたの?」


「氷室さんと喧嘩して疎遠になったの想像した」


「もう、陽太君は。大丈夫だっていつも言ってるでしょ。私は陽太君とずっと一緒に居たいんだから」


「ほんとに?」


「何回目になるの。本当に」


 何回言われても不安になる。


 いつも迷惑をかけている僕がいつ愛想を尽かされてしまうのか。


 もしそうなったら……。


「え、なんで涙の量増えるの」


「だって」


「日野君ってほんとに氷室さんのこと大好きだよね」


「でもなんか飼い主に捨てられるのを怖がる子犬みたいにも見え」


 明月君の言葉がそこで止まる。


 僕達は今玄関で話している。


 だから明月君のお家の人が帰って来たらもちろん会うことになる。


 そして今、僕の後ろから玄関の扉の開いた音がした。


「あ、お母様。お邪魔してまーす」


「いらっしゃい静玖さん。それで静玖さん。こちらの方達は良と静玖さんのお友達の方ですか?」


「そうです」


「そうですか。挨拶は少し待ってもらってもよろしいでしょうか?」


 明月君のお母さんが僕と氷室さんに向かって言う。


 とても優しい声で、見た目がやまとなでしこを体現したような長い黒髪でとても綺麗な人だ。


 氷室さんの次に心地いい。


「は、はい」


「あ、あなたは無理に喋らなくて大丈夫ですよ」


 僕も返事をしようと思ったら明月君のお母さんに止められた。


「それで静玖さん。こちらの子を泣かしたのは良ですか?」


「うーん、そうですね。良君の言葉責めで日野君が泣いちゃいました」


「おま」


 影山さんの方が色々言っていたような気がするけど、どちらかがといえば分からないから口を挟まない。


「良」


「待ってくれ。これは断じて言い訳じゃないから聞いてくれ」


「聞くだけならしましょう」


「確かに俺の言ったことのせいで日野は泣いた。ただそれは俺だけじゃなくて静玖もだから。どちらかと言えば静玖の方が泣かした要因だから」


 明月君が初めて慌てているのを見た。


「静玖さん、正直に答えなさい」


「良君七で私三です」


「絶対逆だろ」


「つまり二人して一人の子を泣かしたと」


 明月君のお母さんの雰囲気が変わった。


「そこに直れ」


「ここでか?」


「正座」


「はい」


 いきなり明月君のお母さんが大声を出したからびっくりした。


 その声を聞いた影山さんは返事と共に土下座をした。


「良君、早くして。今回は言い訳出来ないよ」


「分かってる」


 明月君も正座をした。


「あの」


「ごめんなさいね。お二人は良の部屋に行っていてください。私は少しこの愚か者達と話があるので」


 そう言って明月君のお母さんが明月君と影山さんのことを睨む。


「し、失礼します。陽太君歩ける? 歩けないなら私が抱っこしてでも連れてくよ」


「歩ける。でも手は繋いだままでいい?」


 僕は氷室さんの服を空いている右手で掴みながら言う。


「今そんな可愛い顔しないでよ。このドキドキがなんなのか分かんなくなるでしょ」


「すごいねあの二人。良君のお母様の前でも平常運転」


「ああ、母さんも少し動揺してるし」


 明月君のお母さんが僕達を見て何か考えている。


「なんかお邪魔みたいだから早く行こ」


「うん」


 僕と氷室さんはその場を後にして、明月君の部屋に向かった。




「陽太君涙止まった?」


「うん。ありがとう氷室さん」


「ううん。私と離れるのが嫌で泣いてくれたんでしょ? 嬉しかったよ」


 そう言って氷室さんが可愛い笑顔を向けてくれる。


「氷室さん」


「なに?」


「僕氷室さんに言わなきゃいけないこもがあった」


「どうしたの改まって」


「えっと……、氷室さんから借りたハンカチ返してなかった」


 僕が前に学校で泣いちゃった時に借りたハンカチをそのまま持って帰ってきて、返していなかったのをさっき思い出した。


「私もあの日は一緒に帰れる嬉しさとプレゼント貰えた嬉しさで忘れてたんだよね。たまに思い出した時あったけど、話してる内に忘れちゃってた」


「今日返すね」


「うん」


 それから少ししても明月君と影山さんが来ないから、僕と氷室さんはテスト勉強を始めた。


 そして十分ぐらいしたところで明月君のお母さんがやって来た。


「先程はお見苦しところをお見せしてしまってごめんなさいね」


「あ、いえ」


「少し失礼しますね」


 明月君のお母さんがそう言うと、氷室さんの向かい側で僕の隣に座る。


「先程は良と静玖さんがご迷惑をかけて本当にすいません」


 明月君のお母さんが頭を下げる。


「いや、あの。違うんですよ。陽太君が泣いちゃったのは二人のせいではなくて、陽太君が優しすぎたからで」


「それでも二人の発言のせいで陽太さんが傷ついたのは事実ですから」


「僕が泣いちゃったせいで二人は怒られちゃったんですか?」


「……あ、いえ陽太さんのせいではないですよ。だいたいお客様と玄関で話してるなんて怒られて当然ですよ」


 あれも僕達が遅れたから謝っていただけなのだけど。


「澪さん、でしたよね。大丈夫ですよ。私には夫がいますから」


 明月君のお母さんがいきなりそんなことを言うので氷室さんの方を見たら、少し機嫌が悪い感じがした。


「でも少し揺らぎましたよね」


「……可愛らしいと思いました」


「陽太君の天然さんめ」


 氷室さんがほっぺたを膨らませて僕を見てくる。


「ごめんなさい」


「あ、駄目駄目。陽太君は本気にしちゃう。陽太君、怒ってないからね」


「ほんと?」


「ほんとほんと。陽太君はもうちょっと私を信じていいんだよ」


「信じる……」


 僕は氷室さんを信用してるつもりだけど、僕は氷室さんの冗談がどれなのかがいまいち分かっていない。


 人付き合いをしなかったせいなのかどうなのかは分からないけど。


「これは何も言わないで二人のペースで進んでいくのを見てるのが一番いいですね、確かに」


「はい?」


「なんでもないです。それより私の名前を言ってなかったですね。私は明月あきづき 洋佳ようかです」


「洋佳さん。ところで二人はどうしたんですか?」


「ああ、お昼がまだと聞いたので、お詫びを兼ねてお昼を作らせています」


「お腹空いた」


「陽太君!」


「ふふっ。本当に素直な人なんですね。そうだ、静玖さんに私の第一印象を聞いてほしいと言われたんですけど、どうです?」


 洋佳さんが僕に笑顔を向けながら言ってくる。


「影山さんも人が悪い」


「洋佳さんを最初に見て思ったこと……。綺麗、です」


「綺麗?」


「はい。洋佳さんの声は今まで聞いた中で二番目に綺麗だったし、見た目もやまとなでしこみたいで綺麗だなーって思いました」


 実際やまとなでしこがどんな人なのかは知らないけど、イメージでは洋佳さんみたいな人を想像する。


「なるほど。確かにそんな真っ直ぐに言われると照れちゃいますね。でも声が二番目なら一番はどなたですか?」


「氷室さんです」


「陽太君それだけで大丈夫だよ。それ以上は私の体力が」


「陽太さんにとっては澪さんの声が誰よりも良いんですね」


「はい。氷室さんの声は寝ててもすぐ起きられるし、逆に寝かしてもらってもすぐ眠れてとっても大好きです」


 氷室さんの声はなんでか分からないけど、すぐ起きれるし、すぐ眠ることも出来る。


 とてもいい声だ。


「なんだか年甲斐もなくキュンキュンしてきますね」


「年甲斐?」


「そんな純粋な目で見ないでください。私はもう行きますね、ちょっと間違いが起こってもいけないので。澪さんも顔を押さえてないで嬉しいなら嬉しいって言わないと、こんないい子は取られちゃいますよ」


 洋佳さんはそういうと早足に扉の前に行って一礼してから出て行った。


 そして氷室さんは明月君と影山さんが来るまで顔を押さえていた。


 二人は何故か「そうなるよな」「そうなるよね」と言ってお昼ご飯を置いた。

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