第13話 氷室さんと土下座

「陽太君、朝だよ」


「氷室さん、おはよう」


 今日はこの前影山さんに誘われた、テスト勉強をする日だ。


 やる場所は明月君のお家らしい。


 明月君は少し嫌そうだったけど、最後には諦めたように納得してくれていた。


「明月君の家ってどんなのだろうね」


「影山さんが大きいって言ってたけど」


「豪邸とかだったらどうしよう」


「なんで?」


「もしも何か壊したりしたら大変だもん」


 確かに大変だ。


 もし壺なんかを割ったりしたら、僕の一生を使って弁償しなければならないかもしれない。


「でも大丈夫かな」


「なんで?」


「だって影山さんがたまに遊びに行ってるって言ってたし」


 それは影山さんがお転婆だと言いたいのだろうか。


 確かに影山さんは元気だけど、人の家で暴れたりはしないと思う。


「きっと明月君が止めるんじゃない?」


「すごい納得」


 なんだか氷室さんが影山さんをどういう風に思っているのか気になる。


「っと、お話が楽しくてこのままだとずっとしちゃう。陽太君、準備準備」


「でも集合ってお昼前じゃなかった?」


「今何時?」


 僕はスマホを見て時間を確認する。


「十時半」


「分かった? 結構ギリギリなの」


「準備する」


 僕は少し急ぎながら出かける準備をした。


 その間氷室さんはお母さんと明莉の居るリビングでお話していた。


「氷室さん、終わった」


「……」


「澪ちゃん。いつもだけどお兄ちゃんの私服にそろそろ慣れようよ」


「なんのことかな」


「澪ちゃんは見てて飽きないねぇ」


「真綾さん!」


 なんだか僕よりも家に馴染んでいるような気がする。


「それは陽太がいつも寝てて私達とあんまり話さないからでしょ」


「エスパー?」


「陽太は分かりやすいの」


「そうなの?」


「分かりやすいけどさすがにいまのは……」


「私も」


 氷室さんと明莉には分からなかったようだ。


「てか、時間ギリギリなんじゃなかったの?」


「そうだった」


「行こ、氷室さん」


「うん」




 明月君の家は僕の家からだと電車を使う距離なので、急いで出たけど今は電車待ちしている。


「駅からは近いみたいだから次の電車に乗れればギリギリ間に合いそう」


「ちゃんと時間決めてなくてよかったね」


「そういうこと言わないの」


 お昼前というふわっとした時間にしたおかげで間に合いそうだけど、これが十一時半とかにしてたら間に合ってない。


「そしたら私がもう少し早く起こしに行ってたし」


「でも氷室さんって結構早い時間に来てるんでしょ? 今日なんかは九時ぐらいから来てたって明莉言ってたよ?」


 何故か明莉は僕が準備をしている時にやって来て、氷室さんがその日何時に来たのかを知らせて帰って行く。


「……違うよ? えっとね、明莉ちゃんと話してた」


「でも明莉は氷室さんは僕の部屋に真っ直ぐ来たって言ってたよ?」


「明莉ちゃん帰ったらお説教だな」


 氷室さんからオーラが出てるように見える。


「そうですよ。陽太君の寝顔を一時間ぐらい眺めてますよ、いつも」


 氷室さんが少し怒った様子で言う。


「あんな無防備な顔されたら見惚れてもしょうがないでしょ。学校ではお話したさが勝って少し眺めるだけで留まれるけど、ほんとはずっと見てたいぐらいだよ」


「あ、氷室さん」


「なに、引いた? でもせっかくだから言うね。私は陽太君の寝顔が好き。あんな無防備な姿を晒してくれるなんて信頼の証だし、何より可愛くて」


 氷室さんが止まらない。


「ねぇ、氷室さん」


「あ、でも寝顔だけが好きなんじゃなくて、もちろん起きてる陽太君とお話してるのも好きだよ。私の話を楽しそうに聞いてくれる陽太君を見ると私はとっても嬉しくなる」


 それは僕も同じ気持ちだけど、氷室さんを止める為に氷室さんの肩を掴む。


「氷室さん!」


「え、どうしたの陽太君。やっぱり嫌いになったよね……」


 氷室さんがしゅんと項垂れる。


「そんなことない。僕だって氷室さんのこと大好きだから」


「そ、そう?」


 氷室さんが頬を赤くして顔を逸らす。


「でも、今はそれよりも」


 僕はそう言って線路の方を見る。


 線路と言うより、電車の背中を。


「行っちゃった」


「……大変申し訳ありませんでした」


 氷室さんが土下座をした。


「汚れちゃうよ。立って氷室さん」


 僕は無理やり氷室さんを立たせて、影山さんに少し遅れることを知らせた。




 駅に着くと、影山さんが待っていてくれた。


 駅からは影山さんが案内してくれるらしい。


「大変」


「駄目だよ」


 氷室さんがまた土下座しようとしたので氷室さんを抱きしめて止める。


「いや、陽太君。私に謝るチャンスを」


「それなら僕も土下座する。連帯責任で」


「悪いのは全部私だから駄目。陽太君はちゃんと電車来たの教えてくれてたのに」


「じゃあ土下座は駄目。はい」


 僕はそう言って右手を差し出す。


「これは?」


「土下座させないように手を繋ごう」


「えと、それはさすがに恥ずかしいと言いますか。人前だよ?」


「駄目。氷室さんはきっと明月君の家に着いたら土下座しようとするから。それにいつやるかも分からないし」


「しないと約束するから」


「駄目」


 氷室さんの言葉を信じない訳じゃないけど、氷室さんは優しい人だからすぐ土下座をしてしまうかろしれない。


 それで氷室さんの気が済むならいいのだろうけど、せっかくの可愛い服が汚れてしまう。


 だから僕は無理やり氷室さんの手を握る。


「ほら、一緒に謝ろ」


「……はい」


 顔を真っ赤にする氷室さんと影山さんに「ごめんなさい」をした。


「なんて言うか、いつも所構わずこんないちゃいちゃしてるの?」


「いちゃいちゃなんてしてない!」


「それは自覚がないのか照れ隠しなのかどっち?」


「そんなにそういう風に見えるの?」


「むしろ見せつけてるみたいに見える。なんかごちそうさまって感じ?」


 影山さんの言ってることの意味が分からないけど、きっと仲良しと言われてるだろうから嬉しい。


「きっと日野君は意味を理解してないで喜んでるな」


「陽太君……」


 氷室さんに呆れたような目を向けられていると、影山さんのスマホが鳴った。


「あ、良君が私に会えない寂しさから『早く来い』って連絡きた」


「そうだね、テスト勉強しに来たんだもんね」


「そうそう。断じていちゃいちゃしに来たんじゃないよ」


「だから……、してないよ」


 氷室さんが一度僕と繋いでいる左手を見てから言う。


「今絶対自覚ありながら否定したでしょ。無自覚のうちはいいけど、自覚があって否定するのは日野君に失礼だよ」


「いちゃついてる自覚はないよ。私が恥ずかしいだけで」


「道のりは遠そうだね。行こっか」


 影山さんは明月君の家までの道のりを知っているはずだから、遠いかどうかは分かってるはずだ。


 でもなんでなのか気になってずっと考えていた。




「ここだよ」


「ほんとに大きい」


「お庭付きだ」


 そこには日本の屋敷みたいな感じの大きいお家があった。


「鯉とかいそう」


「いるよ。池に橋付きで」


「ししおどしは?」


「ある」


「すごい」


「陽太君ってそういうの好きなの?」


「見た事ないから」


 好きというよりかは興味がある。


 庭に池があって鯉がいるやししおどしなんて普通じゃ見られない。


 だから単純に興味がある。


「後で良君に見せてもらお」


「やった」


「いつまでそんなとこで話してる気だよ」


 僕達がお話をしていたら、明月君が呆れた様子でやって来た。


「私に会いたくて出てきてくれたの?」


「遅いから来たんだよ。後、日野達に言っとくことあったから」


「なに?」


「日野と言うか」


 明月君が氷室さんに視線を向ける。


「もし俺の母親と会っても、テストの順位は言わないでくれ」


「私が一位で明月君が二位ってこと?」


「そうだ」


「うーん。別にいいけど、じゃあちゃんと頼んで」


「は?」


「そろそろ私のこと名前で呼んでもよくない? 私だけお前でも呼ばれたことないよ」


 明月君は確かに氷室さんの名前を呼んだことがない。


 滅多に話しかけることがないけど、今回のように話しかけることはある。


 でも毎回視線を向けるだけだったり、「日野達」とか僕とまとめて言う。


「別に下の名前で呼べって訳じゃないんだし、駄目?」


「善処する」


「じゃあさっきの約束は知らなーい」


 氷室さんがそっぽを向いてしまう。


「今日は家を貸すからってことで」


「つまり私が断ったら帰れってことだよね。私が帰ったら陽太君も連れて帰るから結局影山さんの勉強は明月君一人で見ることになるよ?」


「人の足元を見やがって」


「氷室さんって日野君に弱いだけで、口撃力高いよね」


「馬鹿にしてる?」


「超褒めてる」


「仲良さそうに手を繋いでる奴が」


「仲良しー」


 氷室さんが僕と繋ぐ右手を前に出しながら言う。


「良君。ここまでの時間で慣れたんだよ。諦めて」


「……分かったよ。こいつを俺一人で見るのは限界あるし」


「じゃあ、はい」


「……氷室、頼む」


「頼まれたー」


「……」


 やっぱり明月君と楽しくお話してる氷室さんを見るとモヤモヤする。


「良君。私達も手を繋ご」


「なんでだよ」


「ジェラシー。だって日野君は車道が変わったら氷室さんの手を握り直してまで立ち位置変わったり、なんか見てて羨ましくなったし、何より良君と氷室さんが話してるの見ててモヤついた」


「僕も」


 モヤモヤを晴らしたくて氷室さんの手を強く握るけど、やっぱり晴れない。


「日野もそんな顔するんだな」


「影山さんは……、見た事あるけど意外って言ったら意外」


「……」


「そろそろ行くか。日野が嫉妬にやられる前に」


 明月君はそう言って影山さんの手を握って歩いて行った。


 影山さんは驚いた様子で、でも嬉しそうに歩いて行った。


「陽太君。行こ」


「……うん」


 それから僕はずっと氷室さんの隣から離れないでいた。


 結局明月君のお母さんは来なかった。

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