第9話 氷室さんと熱

「陽太君……」


「氷室さん?」


 氷室さんの声がしたと思ったら、隣に氷室さんが居た。


 氷室さんの部屋に行った時に僕は倒れた。


 その後のことは覚えてないけど、一回目を覚ました時は氷室さんの部屋で寝ていた。


 でもすぐにまた寝ちゃった。


 そして今は自分の部屋に居る。そして氷室さんも居る。


「ごめんね、起こしちゃった?」


「氷室さんの声が聞こえた気がしたから起きた」


「陽太君、大丈夫?」


「ちょっとだるいかな?」


 いつも氷室さんに起こしてもらう時はすぐ身体が起こせるのに、今は動きたくない。


「僕どうしたの?」


「熱が出ちゃったんだよ。とりあえずは私のベッドで寝ててもらったけど、少し落ち着いてきたから陽太君の部屋に運んだの、お母さんが」


「寒月さんが?」


「うん。私、テンパっちゃって何にも出来なかった」


 氷室さんが今にも泣き出しそうな顔をする。


「僕もごめんね」


「え?」


「今って何時?」


「えと、夜の八時かな」


「じゃあまだ今日か。今日は少し気分が悪かったのに、氷室さんの部屋が見れると思って断れなかったから」


 今日は朝から気分が良くなかった。


 大丈夫かと思ったけど、タイミング悪く氷室さんの部屋に入ったところで身体を誤魔化せなくなった。


「陽太君は悪くないよ。私が陽太君のことを気にしてれば……、きっと」


 氷室さんは言いながら涙を流す。


「泣かないで」


 僕はそんな氷室さんの頭を撫でる。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


「大丈夫だよ。でも熱なんて入試の後ぶりだ」


 僕は高校の入試をした次の日に今日みたいに熱を出して寝込んだことがある。


「あの時は明莉が付きっきりで看病してくれたんだよ」


「明莉ちゃんが?」


「うん。お母さんがやるって言っても聞かないで、僕にお粥食べさせてくれたり、タオル変えてくれたり、身体拭いてくれたりもしてたよ」


 あの時はほんとに嬉しかった。


 いつもいい子だけど、あの時はいつもよりとってもいい子だった。


「ちょっと待ってて」


 氷室さんはそう言うと部屋を出て行った。


 そして二分程で帰ってきた。


「陽太君。真綾まやさんからお粥貰ってきた」


 真綾さんとは僕のお母さんの名前だ。


「そういえばお腹空いてる」


「私も気づかないでごめんね。後、これなに?」


 そう言って氷室さんが袋を見せてくる。


「僕がうがいしてからじゃないとご飯食べられないから、うがいしたの入れる袋」


「なるほど」


 納得した氷室さんが袋と水の入ったコップを差し出してきたので、身体を頑張って起こす。


「それも私が手伝った方がいい?」


「いい」


 そう言って僕は氷室さんから見えなくなるようにして、うがいをした。


「陽太君って乙女なとこあるよね」


「ん?」


「うがいしてるとこ見られたくなかったんじゃないの?」


「わざわざ見せるものでもなくない?」


 僕は袋を閉じながら言う。


「邪推が過ぎました」


「見られたくないのもちょっとあるけど」


「可愛いかよ」


 氷室さんが笑顔で笑いかけてくれる。


 いつもの氷室さんに戻ってくれた。


「やっぱり氷室さんはそっちの方がいい」


「どっち?」


「笑顔で元気な方」


 氷室さんには悲しい顔より笑顔でいてほしい。


「もう氷室さんにあんな顔させないように僕、頑張る」


「陽太君のバカ」


 氷室さんが顔を伏せながら小さい声で言う。


「よし。陽太君にやられてばかりじゃないよ。お粥食べよ」


「うん。ちょうだい」


 僕が食べようと思ってお粥を受け取る為に手を伸ばすと、氷室さんが蓋を開けてれんげを手に取った。


 そしてお粥をれんげに取り、ふーふーしてから左手を下に添えてこちらに持ってくる。


「陽太君、あーん」


「食べさせてくれるの?」


「うん。ほら、早くしないと私の手に垂れちゃうよ」


「あ、ごめん」


 それは駄目だと思い、急いで食べる。


「美味しい」


「なんか反応が普通。知ってたけど」


 氷室さんが少し拗ねたように頬を膨らます。可愛い。


「陽太君お盆持ってて」


「うん」


 食べさせづらかったのか、今度は僕がお盆を持って食べさせてくれる。


「近づいても駄目か。てか私のクッキーの時もそうだけど、美味しそうに食べるよね」


「だって美味しいんだもん。氷室さんに食べさせてもらってるのもあるのかな?」


「お粥が普通に美味しいんでしょ。ちょっと気になる」


「一口食べる?」


「いやいや、これは陽太君のだし。それを貰う訳にはいきませんよ。決して他意はないですよ」


 氷室さんが凄く早口で言う。


「そうなの? お母さんのお粥美味しいのに」


「だからそんなしょんぼりしないでよ。断りづらいじゃん」


「ごめんね。いいならいいんだ」


 氷室さんにも同じ美味しいを共有したかっただけなんだけど。嫌なら無理強いはしない。


「いや、賭けに出るか。じゃあ一口だけ貰っていい?」


「うん!」


「そんな嬉しそうに。なんかごめんなさい」


 氷室さんがいきなり頭を下げてきた。


「陽太君は気にしないで。貰うね」


「僕も食べさせたい」


「……やだ。それだと私がまた負ける」


 氷室さんがよく分からないことを言い出した。


「今日は私にやらせてください。ほら陽太君は病人だから、そんな陽太君に何かさせる訳にはいかないから」


「分かった。でももし氷室さんのお世話しなきゃいけない時になったら僕が全部やるからね」


「……私詰んだのでは?」


 最近の氷室さんはよく分からないことを沢山言うから、反応に困る。


「うん、未来のことは未来の私に任せた。いただきます」


 そう言って氷室さんは頬を赤くしながら一口お粥を食べる。


「どう?」


「美味しいけど、よく味が分かんない」


「味は薄めだからね」


「そういうのじゃないけど。ありがと。じゃあ残りは陽太君がお食べ」


 なんだか氷室さんが頬が赤いままに悪い笑いをする。


「食べる」


「くっ、やっぱり無駄か」


 氷室さんが悔しそうに残りのお粥を食べさせてくれた。


 食べ終わった後にはお薬を飲んだ。


「ごちそうさまでした」


「知ってたさ。どうせ私が負けるだけだって。でも一縷の望みに賭けたっていいじゃないか。もちろん変な考えはないよ」


 氷室さんがさっきから独り言をずっと言っている。


「ん? どうしたの陽太君」


「楽しそうな氷室さん見てた」


「そんなに楽しそうだった?」


「うん」


「自分じゃ分かんないや。それよりお片付けしてくるね。後説得」


「説得?」


 氷室さんが何かを決意した目をしてお盆を持って部屋を出て行った。


 少し時間がかかるかもということなので少し横になることにした。


「ちょっと身体が楽になった」


 これはお粥を食べたおかげなのか、それとも氷室さんとお話したおかげなのか。


「眠くなってきた」


 お粥を食べたせいか少し眠くなってきた。




「陽太君寝ちゃった」


「澪ちゃんが駄々こねるから」


「明莉ちゃんもでしょ」


「ん、氷室さんと明莉?」


 声がしたので起きると、言い合いをしている氷室さんと明莉が居た。


「また起こしちゃった。ごめん」


「澪ちゃんがうるさくするから」


「ごめんなさい」


「いや、謝られると私が悪者になるじゃん」


「明莉酷い」


「お兄ちゃんがいじめるよぉ」


 明莉が氷室さんに泣きついた。


「じゃあ私に譲ってくれる?」


「それはやだ」


 さっきまでの涙はどこにいったんだという程に一瞬で涙が引いた。


「さっきから何の話してるの?」


「どっちが陽太君の身体拭くか」


「自分で出来るよ?」


 もう大分元気になってきたから、それぐらいなら自分で出来る。


「今日は陽太君何もしちゃ駄目なの」


「そうなの?」


「「そうなの!」」


 そこだけは二人の息がピッタリだ。


「澪ちゃんが変に責任感じてるから食事までは許したけど、これは妹の仕事なの」


「私だって中途半端は嫌なの。最後まで責任取らせて」


「そう言ってお兄ちゃんの身体が目当てなんでしょ」


「……そんなことないし」


 なんだか少し間があった気がする。


「正直に言ったらむっつりの称号はあげないであげるよ」


「むっつり違うし。私は最後まで責任取らないとこれから陽太君と接する時に後暗さがありそうで嫌なの」


「つまり責任がなければお兄ちゃんのお世話はしないと?」


「していいなら毎日でもするよ」


 氷室さんに毎日お世話されたら、僕は何もしなくなりそう。


「澪ちゃんってお兄ちゃん相手じゃないと素直というか、なんというか」


「陽太君が強いだけ」


「まぁそれは同意だけど」


 なんだかさりげなく僕が酷く言われてる気がする。


「明莉ちゃん。このまま言い合ってたら陽太君の負担にしかならないから決めよう。私がやるか二人でやるか」


「私一人は?」


「もう私は陽太君が寝るまで離れないって決めてるから」


「身勝手な」


「じゃあじゃんけんね」


 じゃんけんの結果、勝ったのは氷室さんだった。


 明莉は「もう一回」と言っていたけど、氷室さんは無視して準備を始めた。


「陽太君、服脱がすよ」


「だから出来るよ?」


「だーめ。ほら手上げて」


 僕は氷室さんに言われるがままにすることにした。


「肌が白くて綺麗」


「おいそこのむっつりさん。眺めてないで早くしなさい」


 明莉が少し不満気に氷室さんに言う。


「明莉。氷室さんに変なあだ名付けないの」


「お兄ちゃんは私と澪ちゃんどっちの味方なのさ!」


「どっちもだよ? 二人共大好きだから」


「澪ちゃんごめんなさい」


 明莉がいきなり氷室さんに土下座した。


 でも氷室さんの反応が無い。


「氷室さん?」


「おい澪ちゃん。いつまで見惚れてるつもりだ」


 氷室さんの方を見たら僕の背中をじっと眺めていた。


「僕の背中に何かついてる?」


「ううん。綺麗だなって思って」


 氷室さんの表情がどこか暗い気がした。


「じゃあさっきのは聞いてなかった?」


「明莉ちゃんが私のことむっつりさんとか呼んだの? 聞いてたよ。ちょっと傷ついた」


 やっぱりいつもの氷室さんだった。


「ごめんね氷室さん」


「いいよ。見惚れてたってのも少しあってるし」


「澪ちゃん?」


「なんでもないよ。じゃあ始めるね」


 一瞬また暗くなりそうだったけど、すぐにいつもの明るい氷室さんに戻った。


 そして氷室さんが優しく僕の背中を拭いてくれた。


「じゃあこっち向いて」


「前ぐらい出来るって」


「何回も言うけど、今日は何もさせないから」


 どうやらほんとに何もさせてくれないようで、僕は氷室さんの言う事を聞く事にした。


 前と腕を拭き終わると、氷室さんがモジモジしだして、足の方を見ていたのでそれはさすがに明莉からストップが入った。


 明莉がやってくれた時も、さすがに上半身だけしか拭いてもらっていない。


 下半身は自分でやる為明莉が氷室さんを無理やり部屋から追い出した。


 そして全部が終わって僕は横になる。


 もう時間は九時を過ぎているけど、氷室さんは本当に僕が寝るまで居てくれるようで、おでこのタオルを替えながらお話をした。


 僕はいつの間にか眠ってしまったようだ。


 でも起きた時のおでこのタオルは少し冷たかった。

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