第8話 氷室さんとお部屋訪問

「陽太君、起きて」


「ん、うん」


 氷室さんとお出かけしてから数日経った。


 善野さんは本当に転校した。


 クラスでは色々な噂が流れたけど、僕達は何もしなかった。


 ただいつも通りの日常を過ごしていた。


 とは言っても、僕と氷室さんに「良かったね」なんて言ってくる人には少し言い返したけど。氷室さんが。


 僕はその人を嫌いになるぐらいしか出来なかった。


 そんなのが数日続けば、善野さんの噂を言う人はいなくなっていた。


「陽太君。今日の放課後暇?」


「僕の放課後の予定って寝ることか氷室さんと何かしてるかしかないよ?」


 僕は氷室さんに何か誘われたりしない限りは基本寝ている。


 今までは寝ることが最優先だったけど、今は氷室さんとの用事が最優先になっている。


「陽太君の睡眠欲に私勝ったの?」


「うん。氷室さんと居ると眠くならないもん」


「休み時間の度に私の隣ですやすや気持ちよさそうに寝てるのは誰よ」


「氷室さんに起こしてもらうの好きなんだもん。嫌ならテープとか使って無理やり起きるようにする」


 氷室さんの迷惑にだけはなりたくない。


「嫌じゃないよ。むしろ可愛い寝顔が見れて私は満足だけど。その無防備な姿を他の人に見られるのはなんかモヤモヤするんだよね」


「窓の方向いて寝る?」


「それだと私が見れないじゃん」


「じゃあどうしよう」


 氷室さんだけに寝顔が見れるようにする方法を考える。


「そんな真剣にならなくて大丈夫だよ。ただの私の意地悪だから」


「意地悪?」


「よく分かんないモヤモヤを陽太君にぶつけたの。ごめんなさい」


 氷室さんが僕に頭を下げてきた。


「なんで謝るの?」


「そうしないと私の気持ちが収まらないから」


「収まった?」


「陽太君が許してくれたら」


「じゃあ許すよ」


 元々氷室さんに怒ったりもしてないから、許すとかもないんだけど。


 それで氷室さんの気持ちが収まるならそうする。


「それで放課後は大丈夫なんだよね?」


「うん。どこか行くの?」


「陽太君、私の部屋に来たいって言ってたじゃん? 準備出来たから来てもいいよ」


「ほんと?」


 氷室さんのテスト一位の言う事聞く権利でこの前お出かけしたけど、僕の方の氷室さんの部屋に行くはまだ叶えてもらえてなかった。


 それがやっと叶う。


「そんなに女の子の部屋に入りたいのかなぁ?」


「氷室さんの部屋を見てみたい。氷室さんのこといっぱい知りたいから」


「私、からかうセンスないのかな。今度影山さんにからかい方教えてもらおうかなぁ」


 氷室さんが両手で顔を押さえながらそんなことを言う。


「よし、そうしよう。今度と言わず次の昼休みにでも」


 元気が無いのかと思ったけど、元気そうなのでほっとする。


「今日の放課後楽しみにしててね」


「うん。今から楽しみ」


「その無邪気な笑顔よ」


 氷室さんがまた顔を押さえてしまった。


 僕は机に突っ伏して授業が始まるまで氷室さんと話す。


 そして放課後になって僕と氷室さんは一緒に帰り、そのまま氷室さんの家に向かった。


「お母さんただいまー」


「おかえ」


 氷室さんのお母さんがおそらくリビングの扉から顔を出して固まった。


「お邪魔します」


「陽太君は手洗いうがいをしないと駄目な人だよね」


「うん」


 僕は外から帰ったら手洗いうがいをしないと何もしたくない。


 どこか違和感があって、いい気持ちで寝れなくなる。


「お母さんまだやってるの?」


 僕と氷室さんが洗面所から戻って来ても、氷室さんのお母さんが固まっていた。


「お母さーん」


 氷室さんが氷室さんのお母さんの肩を揺さぶる。


「はっ。あまりの光景に驚いて固まってしまった」


「なにが?」


「あの澪が男を連れ込む日が来たんだよ? そりゃ驚いて固まるよ」


「連れ込むって。陽太君のこと知ってるでしょ」


「ずっと通い妻してたからびっくりしたの。でもそっか、だから部屋の……、なんでもない」


 氷室さんのお母さんが何か言おうとしたのを、氷室さんがたまに見せる怖い顔をしたら言うのをやめた。


「はぁ、陽太君に変なことを言わないで。なんでも信じちゃうんだから」


「いい子なのは知ってる」


「だから陽太君に絡まないでね」


「えー、せっかく澪が友達作ったんだからお母さんも話したいー」


 やっぱり氷室さんのお母さんは可愛い。


「陽太君、昔の澪とか知りたくない?」


「お母さん!」


「分かってるよ。赤ちゃんの時とかの話。私だって澪に嫌われたくないし」


 なんだか少し気になる言い方だけど、氷室さんが少し悲しげにしてるから聞かない。


「ちっちゃい頃の氷室さんですか?」


「陽太君、氷室さんじゃ私もだよ」


「そっか。澪さん」


「ここまで素直とは。ごめん澪」


 氷室さんの方を見ると、顔を押さえてちっちゃくなっていた。


「どうしたの、澪さん」


「陽太君。澪のことはまだ氷室さんでいいよ。私のことを名前で呼ぼう。私は氷室ひむろ 寒月さつきね。寒月さんでも寒月でもお母さんでもいいよ」


「じゃあ寒月さんで」


「お母さん」


「いや、流れでお母さんって呼んでくれるのかと」


「私もそれ思ったよ! だからやめてって言ってるの」


 さすがに僕もいきなり人のお母さんをお母さんなんて呼べない。


 僕のお母さんはお母さんだけだし。


「もう行こ。お母さんに構ってたら時間が無くなっちゃう」


「陽太君との?」


「……そうだよ!」


 氷室さんが少し怒った様子で寒月さんに言う。


 そして僕の手を引きながら歩いて行く。


「ほんと、いい友達が出来たんだね」


 最後に寒月さんが小さくそう言ったのが聞こえた。


 なんでそんなことを言ったのか考える余裕もなく氷室さんに連れて行かれた。


「ほんとお母さんなんだから」


 階段を上がりきって、二階の廊下に着いたところで氷室さんが頭を抱えている。


「陽太君ごめんね。お母さんがうるさくて」


「ううん。寒月さんとお話してるのも楽しいよ」


「私とどっちが?」


「それは氷室さんだけど。あ、氷室さんは氷室さんのことだよ?」


 寒月さんに澪さんと言うのは駄目と言われたけど、それだと氷室さんに伝わるのか不安になる。


「そんなに焦んなくても分かるよ。氷室さんは私ね」


「うん。やっぱり氷室さんが一番呼びやすいや」


「そっか」


 氷室さんの顔が少し暗くなった気がした。


 でもすぐにいつもの元気な氷室さんの顔に戻った。


「じゃあここ。私の部屋にいらっしゃい」


 氷室さんはそう言って部屋の扉を開ける。


 するとそこには明莉の部屋とは違う、見た事はないけど女の子の部屋って感じの部屋があった。


「どう?」


「明莉の部屋しか見た事ないから新鮮。氷室さんのお家来てから思ってたけど、ここが一番氷室さんの香りがして落ち着く」


「言い方が変態みたいだけど、陽太君が言うとリラクゼーションみたいに思ってるんだろうなーって思えるのはすごいな」


 氷室さんの声も落ち着くけど、氷室さんの香りも落ち着く。


 多分僕は氷室さんの全てが落ち着くんだと思う。


「陽太君お眠?」


「うん。でも氷室さんとおはなし、しない、と」


 身体が支えられなくなり、僕の意識はそこで無くなる。




「陽太君、そろそろ起きて」


「ん、んー」


 なんだかとても落ち着く。


 頭に柔らかい感触があり、今はここから動きたくない。


「起きたけど気持ちいいから動きたくないのかな? 嬉しいな」


 氷室さんが僕の頭を撫でてくれる。


 そんなことをされたら、また眠ってしまう。


(ん? なんかおかしい?)


 僕はもうしばらくはこのままでいたかったけど、気になったから目を開ける。


「あ、おはよ陽太君」


「おはよう、氷室さ、ん?」


 僕が仰向けになると氷室さんの顔が目の前にある。


 右側には氷室さんの身体があって、頭の下は心地よい。


 つまり今の状況は。


「膝枕?」


「うん。陽太君いきなり私にもたれかかって寝ちゃったから、そのまま」


「ごめんなさい」


 僕は謝りながら身体を起こす。


「なんで謝るの? 私も好きでやってたんだよ?」


「だって膝枕ってしてる側は辛いって聞いたことあるから」


「そんなの大丈夫だよ。陽太君の寝顔いっぱい見れた、し。なんでずっとそっち向いてるの?」


「なんでもない」


 僕は起き上がってから、ずっと氷室さんの居る方とは逆を向いている。


「嫌だった?」


「そんなことない。むしろずっとやって欲しかったぐらい……、だけど」


「だけど?」


 僕はそこで言葉に詰まる。


「おや、おやおや。もしかして恥ずかしいのかい?」


「うん。なんか分かんないけど顔も熱い」


 今日はなんか朝からおかしかった気がする。


「あの陽太君を照れさせた。影山さんに教わった最終兵器だけど」


 氷室さんの声がなんだか嬉しそうだ。


 でもなんだか頭がふわふわする。


「陽太君?」


「氷室、さん」


 そして僕は倒れた。


 最後に氷室さんがとても心配そうな顔をしてたのが見えた気がした。

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