H3.7.26(金)晴れ

 期末試験と課題の提出がすべて終わった。あとは神に祈るのみだ。最高の気分で大学から帰る途中、道ばたの木陰にうずくまる野良猫を見つけた。ぶっきらぼうな顔をした猫だ。しゃがみ込んでそのぼさぼさの毛並みを撫でてやっていると、イオはあくびを噛み殺したような声で「松本さん、猫、好きだっけ」と言った。ろくに関心がないのだ。猫にも、私にも。犬も好きだよ、と応えた私の手をふとすり抜け、猫はどこかへ去っていった。惜しむ私を彼女がせせら笑ったので、猫に触れた手のままその頭をも撫でた。汚ないなあと思いっきり顔をしかめかわいらしく身をよじる姿が面白くて大笑いすると、彼女は不服そうに口をとがらせ、ぐしゃぐしゃになった髪を直して歩き出した。ミニスカートからむき出しになった白い足が太陽を反射してまぶしかった。適当に手をはたいてその後をついていこうとすると、やだ手洗ってよ、ねえ病気になるよ、あの猫ぜったい菌あるよ、と言って逃げるような早足になった。とても楽しかったので、両手を前に突き出してふざけながら彼女を追いかけた。

 そのまま当然のようにイオは私の部屋へ上がり込み、なんの断りもなく風呂場に入っていった。私が払っている水道とガスの料金を食いつぶして清潔になるつもりだ。実家から仕送りをもらっているため正確には私というより私の親が払っている金だけれどそれは今関係のないことだ。水あんまり使わないでよと言っても無視され、仕方ないので私も風呂に入ることにした。急いで服を脱ぎ捨てて浴室の扉を開けると、彼女はすでに湯船に湯を溜めつつ私のシャンプーで髪を泡立てていた。高いんだからいっぱい使うなって言ってるよねと叱りつけると、松本さん髪短いんだからいいでしょなどと言い返してきた。何がいいというのか。狭い浴室の中で互いを押しのけ合いながら体を洗い、競うようにしてまだ浅い湯に浸かったところで、息をつく暇もなく彼女は言った。ねえ、カラオケ行きたいんだけど。

 そういうことで、風呂から上がってイオの長い髪を乾かしたのち、私たちはカラオケに向かった。彼女はカラオケが好きだ。とはいえ、自分で歌うのが好きなだけで、人の歌にはさほど興味を示さない。だいたいの場合、何を歌ってみても退屈そうにしている。しかし今日は違った。十年くらい前に流行っていた、なよっちい男が恋人に愛を告げるというような歌詞の曲をなんとなく思い出して入れてみたところ、やけに反応がよかったのだ。反応がいいといっても、歌っている間じゅう画面に流れる歌詞をじっと眺めていて、歌い終わると笑顔で小さく拍手をしてくれたというくらいだけれど、それでもいつもの彼女と比べればずいぶんなことだ。何がそんなに気に入ったのかはわからないが、また次に来たときも歌おうと思った。

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