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 黒塗りの高級国産車の後部座席は驚くほどゆったりとしていた。三坂みさかと名乗った男は何も説明しないままだんまりを決め、ため息をつく優希を見ても表情一つ変えない。

 十五分ほどして到着したのは首相官邸だった。

 エレベータで六階に上がり、部屋の前まで行くと、三坂の「山根様をお連れいたしました」という声が廊下に響き渡る。中で待っていたのはこの国の首相を務める男だ。その顔を優希はよく知っていた。十年前、何度も父の家を訪れた男だからだ。


「今は総理をされているんですね、本多ほんださん」


 頭に白髪が混じり、顔にはしわが増えた。それでも意思の揺るがない太い眉と険しい眉間は変わりがない。それどころか益々その堅牢さにみがきが掛かった印象を持った。


「学校まで迎えを出してすまなかった。本当はもっと穏便おんびんに事を運びたかったんだが、何せ我々には時間がないものでね」


 そう言うと本多は立ち上がり右手を軽く挙げる。警備に立っていた男性二人と女性秘書、三坂が退室し、部屋には彼と優希だけになった。


「先程の警報はXに対するものだ。東京湾沖十キロの地点に突如直径百メートルの繭状まゆじょうの物体が発現した。今はまだ成体になる兆候はないが、念の為、都民一千万人全てに避難指示を出している」


 Xとは十年前に突如世界各地に現れ、都市を襲った正体不明の脅威のコードネームだった。一般には異星人、あるいは巨大怪獣などと呼称されている。資料によれば当時いた人類の三割が被害にあった、と報告されている。この国でも東京を中心に多くの被害が出た。


「でもXの脅威は十年前、あの日に終わったはずなんじゃ」


 あの日。十年前の今日、優希の父である山根大輔やまねだいすけは後に最終大戦と呼ばれた超大型Xとの戦いに勝利し、全てのXの侵略を防ぎ切った。そう言われている。


「先日、インド西部のある小都市が一晩で壊滅した」


 それは津波だと報道されていたニュースだった。


「実はXの仕業だと判明した。本日対策委員会本部より連絡があった。警戒態勢は各国既にレベルDだ。レベルEになれば世界戦争レベルと思ってもらっていい。確かに十年前、君の父、山根大輔の活躍によりXの侵略は収まった。だがそれは表向きの話だ。詳しくは国家機密で話すことはできないがあれは一時的な休戦状態になっただけだ。またXの侵略が再開することになるのは予定されていた」

「そんな……」

「そこで君にはこの後折原研究所に行って今一度検査を受けてもらいたい」

「嫌よ」


 優希は即否定した。検査、という言葉に自分の青春時代を台無しにされた苦い思いが蘇る。


「対策委員会の予測では成体化までおよそ十時間。遅くとも本日夕方には羽化し、半径五キロから十キロ圏内の建物は破壊され尽くすだろう。この意味は君にも理解できるね?」

「どうしてわたしなのよ。他にも候補者がいるんでしょう?」


 だが本多は表情を変えない。傷つき、病院のベッドの上で生き絶え絶えにしていた父を前に「出動命令です」と伝えに来たあの頃から何一つ変わっていないのだ。この男も、この国も。


「断ります」


 そう言い放った優希を前に、本多は、いや総理大臣は床に両手を突いた。それから頭を、その額をこすけ、声を絞り出すようにこう言った。


「お願いだ。君以外に該当者はいない。もし君の可能性が消えればこの国は、いや、人類は滅びの時を待つだけになってしまう。頼む。ヒーローの娘よ。この国を、人々を、守って欲しい」

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