第十一話

 その日の朝は早かった。おばあちゃんと一緒に、町はずれにある祠に行かなければならなかったからだ。祠にはたった二行「家内安全 無病息災」と書かれてある。

「鬼の子が葬られているんですよ」

 おばあちゃんはそういって、淋しそうに笑った。

「私もいずれはここに入っちゃうの?」

「そうなる」

「あと半年?」

「ああ」

 思わず、涙を頬が伝ったことに、少し驚く。入退院を繰り返す生活を送っているうちに、死というものがそれほど怖くなくなっていた。酒を絶って三年になるけれど、あの頃はいつ死んでもおかしくなかった。死というものと、共存していた。だから、どうせ死が眼前に迫ったところで、もう動揺することはないと思っていた。

「辛いか?」

 おばあちゃんがきく。

「はい、なんかよくわかんないけど、少しだけ」

「人の子だなぁ」

 また、おばあちゃんは淋しそうに笑う。

「助かる見込みはないの?」

「ない」

 斬り捨てるように、おばあちゃんはいった。

「じゃあさ、これから半年、好きなことさせてよ」

「無論、そのつもりだ。手前も思春も、家族全員、最大限手助けする。して、其許のしたい事とはなんだ」

 私は唸った。したいこと、特にないからだ。いままで、生きるか死ぬか、その生活を送ってきた。なんど緊急搬送されたかわからない体で、したいとか、ああなりたいとか、そういう欲は、どこかへ置いてきてしまったらしい。

 死というものが目の前に居て、頬を涙が流れて、なにかこう「悔い」みたいなものが出てきてもよさそうなものなのに、私にはそれがなかった。

「改めてそういわれると、困っちゃうね」

「欲のない奴だ」

「いやいや、みんなに支えられて、いままで好き放題生きてきたからだよ。ありがと、おばあちゃん」

「いいや、違うさ。強欲に頂なし。もっと、もっとと求めるのが人というもの。にもかかわらず、この状況で、特にしたいこともないとは、人としてなかなかのものだ。誇りに思うよ、いちご」

 珍しく、おばあちゃんに褒められた。なんだかくすぐったくて、照れてしまう。

「あ!」

 ふと、私は手を叩いて、一つのことを思いつく。

「なにかあったか?」

「うん。あった、あったよ、私のしたいこと」

 思いついたしたいことを夢想しながら、私は思わず、幸せすぎて、人から見たら気持ち悪いって言われちゃうくらい、デレデレに笑ってしまっているのだった。

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