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「ただいま」

 家のドアを開けると、いきなり甲高い声が飛び出してきた。

「あっ、帰ってきた!」

 ドアを閉めていると、姉が出てきて手招きをした。

「おかえりすみれ。ちょっとこっち来てくんない?」 

 僕の姉はJKだ。しかも、渋谷とか原宿とかを歩いていそうなキラキラしたJK。

「はい」

 ぶすっとした低い声で答えて、姉のいるリビングへ向かう。父も仕事だし、母も今日はパートだから姉は一人でリビングを独占していた。大量の今流行りの服たちが床やテーブルに並べられている。姉はハンガーにかかった服を見比べながらあれやこれやと悩んでいた。

「ちょっこれ、上どっちがいいかな」

「どっちでもいいよ」

「ねえ、すみれ、ちゃんと見てよ」

 仕方なく姉を見る。なんちゃって制服の上から羽織るカーディガンで迷っているらしい。正直どっちを着ても姉は人目を引くおしゃれな人であることに変わりはない。女子が気にするような服装の微妙な違いは、僕にはわからない。

「うーん……」

「こっちだとあれかな。やっぱこっちにする」

「それがいいと思うよ」

「何その棒読み。思ってないでしょ」

 姉は赤に染めたロングの髪を結びながら笑った。スカートが短くて涼しそう。

「まだ待ち合わせまで時間あるなー」

 姉が着替えながら時計も見ずに言う。姉に彼氏はいないので、友達と遊ぶのだろう。服装がバッチリ決まって、髪を何回か鏡で確認してから散らかした服の片付けに入る。グレーのスカートを手に取ったとき、姉の手が止まった。

「そうだ。暇だしさ、すみれこれはいてよ」

 学校の制服より丈の短いのを突き出されたので、僕は「いやだよ」と即答する。

「すみれってさ、制服以外でスカートはいたことないよね」

「スカートとかうっとうしいでしょ。ズボンの方がいい」

「じゃあこれは」

 レディースのショートパンツ。絶対足の露出度が高いやつ。

「寒いし露出多いし却下」

「うーんじゃあこれ」

 はかないよ、と言いかけて、一瞬止まった。正直はきたい気持ちは微塵もないけど、今度は丈もそんなに短くないスカートだし黒だしベルトだしかっこいいのでは。ちょっと本田真仁の顔が浮かぶ。一緒に笑った時の低い声。彼の隣にいる、普通の女の子。

「……はいてみるだけ」

 姉の目がぱっと明るくなったのが分かった。

「え、ほんと?」

 声がはずんでいる。姉は合わせる服をうれしそうに手に取りながら、「初スカートじゃん、すみれ」と嬉しそうだった。

「これとこれ、着て」

 さっきの黒スカートに上はスウェット。恥ずかしいから早く着て早く脱ごう。着替え終わると、姉の声がきいんと高くなった。

「すみれかわいい!」

 姉がこんな反応をするということは、少なくともダサいわけではなかったのだと安心する。

「最近すみれ髪伸ばしてるじゃん、それがいいよね。あと足もすらっとしてるし」

 鏡を見てみると、確かに悪くない感じで、自分じゃないみたいな気がする。鏡の中の女の子を、本田真仁の横に並べてみる。うん、そんなに変じゃない。たぶん。

「えー、わたしより似合ってるじゃん、すみれいいな」

 姉にそれを言われると素直に嬉しかった。

「ね、写真撮ろうよ。せっかくだしさ」

 姉がスマホをもってはしゃぎだす。

「えー、まあ、いいよ」

 鏡に映っている女子が二人。一人は明るい髪色の子で、ノリノリでピースしている。もう一人はおとなしそうな子で、肩をすぼめている。どっちも楽しそう。パシャ。

「あ、もう行かなきゃ、写真すみれのLINEに送っとくね」

 姉はバタバタと服を片付けて出て行った。あとにはスカートをはいた僕だけが残った。

 もう一度鏡を見てみる。普通の女の子。髪は肩まで伸ばしていて、スカートをはいている。

 寒気がした。

 リビングの隅っこにあった僕のスマホがピコン、と鳴る。開くと、さっきの写真が姉から送られてきていた。自分じゃないみたいな。僕じゃない。

 この写真は僕じゃないと思いたかった。どこからどう見ても女性である自分が、やっぱり嫌いだと気づいた。いつの間にか呼吸が浅くなっていた気がした。

 スカートを脱いで私服のズボンに着替える。ゆっくり呼吸する。僕は、やっぱり女子じゃない。制服のスカートは大丈夫でも、それ以上は体が拒否していた。

 女子みたいな服装で笑っている写真の自分が嫌だ。きっと死ぬまで変わらないこの女性の体も嫌だ。伸ばした髪も嫌だし、甲高い声も嫌だし、本田真仁と話すときに女子みたいな話し方になる自分も嫌だ。それなのに、まだ「普通」の女子の側にいる自分も嫌だ。

 またピコン、と音が鳴る。


「友達にさっきのすみれの写真見せた

 かわいいって言ってたよ

 すみれも普段からおしゃれしようよ」


 絵文字付きで送られてきた姉の文章を見て、吐き気に似た感情が沸き起こってくる。姉の友達が、自分にかわいいと言ったこと。普通の女の子として認識されたこと。おしゃれすればいいのに。

 目の前に、「普通の女の子」になる未来があって、そこでは自分は本田真仁と釣り合うくらいの女子になっていて、でもそこにいる未来の自分が大嫌いだ。どうしようもなく大嫌いだ。そこへ行きたくたっていけない人もいるのだから、それは自分勝手な感情なのだけれど。

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