第5話 違和感

その日を境に、私はなんとなく先輩を遠ざけるようになった。

遠ざけるとはいっても会わなくなっただけで、普段の連絡はほぼ毎日していた。

先輩からは"あそこのコーヒーが美味しいらしいよ"とか"あの映画観に行きたいね"というデートの誘いが何回かあったが、私は就活を理由に全部断っていた。

我ながら、既に就活は終えているのに酷いとは思う。

ただ、また先輩に会ったときに就活の話を延々とされるのも、私自身が"まだ就活が終わってない"嘘のアピールをすることも嫌だったのだ。


いっそのこと、実は内定もらえたと正直に話してしまおうか?

でも、そしたらどういう会社から内定貰えたのか等、きっと質問がくるだろう。

先輩を立てるためにまた"よくわからない中小の会社です"と嘘を言うべきなのか?

それとも正直に本当のことを言うべきなのか?

もし私が前者のように話したら先輩のことだから、"よくわからない中小でいいのか? まだ時間もあるし他の企業に挑戦できるならした方がいいと思うよ"って絶対言ってくるに決まっている。

それにそんな嘘いつまでもつき続けられるはずがない。


じゃあ正直に実は大手広告会社から内定もらえましたと言うべきか?

先輩はきっと喜んでくれるとは思う。

だってずっと私の将来を心配して、あれだけしつこく就活の話をしてくれるのだ。

私が大企業に入れたことをきっと心から喜んでくれるはずだ。

でもその反面、間違いなく嫉妬や羨望、何よりも先輩自身の今の境遇に心をすり減らす原因になりかねない。

私がもし先輩の立場なら大企業に入れたことを間違いなく"いいな・・・"と思うだろうし、その憧れと自分の今の境遇を比較して病んでくると思う。

私が就活に対して甘い考えを持っていることを先輩は知ってしまったからこそ、"どうして対策できてないヒトが受かって、俺はだめだったんだ"と思うかもしれない。


私は、先輩に会って就活の話を延々とされるのも嫌だけれど、それと同じくらい先輩を傷つけたり落胆させるのも、嘘をつき続けるのも嫌だった。

我慢すべきなのか――それとも正直に話すべきなのか?

私は延々とその二つのどちらが最良なのかを決められずにいた。


そんな状態が数ヶ月続いた頃だった。

『――最近、俺のこと避けてない?』

それはメールでのやりとりだった。

『そんなことないですよ。こうして毎日連絡交換し合ってるじゃないですか』

『でも全然会ってくれないじゃん』

『それは就活が忙しいからで・・・』

『だったら俺がアドバイスするから! だってもうじき冬だよ? 一人でばかりやってると視野や考えが狭くなって上手く行かない原因になってしまうかもしれない』

『お気遣いありがとうございます。でも、ほんとに大丈夫ですから』

『大丈夫じゃないよ! 俺みたいになってもいいの?』

私が全然先輩に会おうとしなかったから、ずっと迷って決断を先延ばしにしてしまったから、いつの間にか先輩のなかで私への不信感が増幅されてしまっていた。

それも原因の一つになっているのだろうか――先輩は何かに追われているような切羽詰まった雰囲気があった。

先輩は私のことをほんとうに第一に考えているのだろうか?――先輩のその鬼気迫る雰囲気に、今の私にはそうではないと信じられる程の自信もなくなっていた。

『ほんとうに大丈夫なので・・・。ありがとうございます』

私はその時にはすでに諦めていたのかもしれない。

何を言っても私の意思を汲み取ってはくれないのだろうと。

だったら――

『やっぱり俺のこと避けてるだろ!!』

『自分でもわかってるよ。すごいお節介して、口うるさいことばかり言ってる自覚はあるよ。就活の話してから距離ができたのもわかってたよ』

『でも俺みたいに苦労してほしくない、ただそれだけなんだ――』

それは私が"ちがうんです。実はもう内定もらえてるんです"と入力しようとした時だった。

先輩から長文が送られてきた。

『ごめん、今までのことは謝るから。だから俺から離れて行ったりしないでくれよ・・・。もう就活の話は絶対しないから・・・』

『もう俺には君しかいないんだ・・・。ピアノも全く弾けてない、生活に余裕もない、時間もない、毎日毎日仕事ばっかりで、唯一こんな俺と一緒にいてくれるのは君だけなんだよ』

『頼むから俺から離れて行かないでくれ・・・!』

『俺にはもう君しかいないんだ・・・。愛してる、絶対幸せにするから・・・』

先輩の嗚咽が、メールの文章としてたくさん送られてきた。

私は思わず身震いした。


――気持ち悪い。

メールでお互いの顔が見えなかったからだろうか、その大量に送られてきたメールに私は思わずぞっとした。

眩暈と吐き気が止まらない。

先輩のあまりの豹変ぶりに、私は彼の本心や意図が見えずにいた。

それはメールという顔の見えないやり取りだったことも作用し、今まで感じていた先輩への違和感が一気に膨れ上がり、爆発した。

私はこんな情けないヒトと今まで付き合っていたの?

そして何度手を繋ぎ、肌を重ね合わせ、キスをしてきたの?

私が今までこのヒトとしてきたことを思い出し、嘔吐した。

あんなに好きだったのに、あんなに"好き"と言われて嬉しかったのに。

私が好きで尊敬していた先輩は、姿形だけ先輩に似ているだけの全くの別のものになっているような、そんな気がした。


――どうしてこうなっちゃったんだろう。

考えれば先輩が就活が上手くいかなくなった辺りから違和感を感じていた。

どこか私が思い浮かべていた理想と現実の姿にズレを感じ始めていたような気がする。

それでもピアノを弾いていた先輩はほんとにかっこ良かったから、その夢をいつまでも忘れられなかったんだ。

でも、もう先輩はピアノを弾いてくれない。

仕事が大変だと言い訳ばかりだ。

それに仕事の愚痴ばかりで環境を変えようとする姿勢もあまり見えてこない。

今まで考えないようにしていたことが波のように押し寄せてきた。

それは間違いなく先輩への不満だった。

私はしばらく経ったあと、先輩にメールを返信した。


『――先輩は、ピアノは弾いてますか?』

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