第338話 番外編⑫『志摩家へご招待』


 夏休みに入ると受験勉強に追われる日々が始まる。

 といっても、俺は日頃から予習復習をしっかりとするタイプだったので勉強時間が長くなってもそこまで苦ではなかった。


 秋名や樋渡は相当に苦労しているみたいだ。


 陽菜乃と会う時間が少なくなってしまったのは残念ではあるけれど、顔を合わせられない分、電話やメッセージのやり取りは増えた。


 そういう時間も、きっと振り返れば楽しかったねと話せるだろう。


 そんな夏休みのある日の夜。


「隆之」


 風呂上がりに麦茶を飲もうとリビングを通りがかったときに母さんに呼び止められた。


 リビングでは母さんと梨子がバラエティ番組を観ていた。父さんは先ほど仕事から帰ってきたのか、イスに座って晩飯のカレーを頬張っている。


「なに?」


 キッチンに向かい、コップに麦茶を注ぎながら返事をすると母さんは真面目な顔して俺を見てきた。


 なんだろ。

 進路の話はこの前したから、それについてではないと思うけど。


「あんた、いつになったら彼女連れてくるのよ」


「は?」


「は? じゃないわよ。彼女ができたと報告してきたわりに、いつまで経っても紹介してこないじゃない。母さん待ち疲れたわよ」


「真面目な顔してるから何話すのかと思えば」


 一応言っておくか、と彼女がいることを報告したのは確か去年のクリスマスだったな。


 そもそも紹介するつもりなんて全くなかったので、待っていても仕方なかったわけだが。


「連れてきなさい」


「嫌だよ」


「連れてきなさい」


「嫌だって」


「連れてきなさい」


「しつこいな」


 ぐびっと麦茶を飲み干してから、俺はテーブルの方にいる父さんを見る。


「父さんも何か言ってくれ」


「連れてきなさい」


「そっち側なの!?」


 なんだよ、四面楚歌かよ。

 梨子は確実に面白がって母さん側につくだろうからリビングに俺の味方はいないことが分かった。


「近々、夕食に招待しなさい。じゃないと、あんたの晩ご飯だけこれからずっともやし炒めオンリーにするから」


「子供みたいな嫌がらせやめろ」


 というのが、今回の一件の事の発端である。リビングで両親と話したあと、部屋に戻った俺は陽菜乃に電話をかけることにした。


 もやし炒めは美味いけど、さすがに数日で飽きる。飽きるというか、それ以外のものが食べたくなるのは目に見えていたから。


 母さんは言い出すとまじで実行するから、さっさと手を打たないと面倒なことになる。


『もしもし? 隆之くんから電話くれるの珍しいね?』


「ちょっとね。いま大丈夫?」


『うん。全然だいじょうぶだよ』


「……なんか、声おかしくない?」


 なんだろう。

 響いているような、くぐもっているような。


『あ、ごめん気になる? いまお風呂入ってて』


「かけ直そうか?」


 というか、できればそうさせていただきたい。別に見えるわけではないけど、電話の先で話している陽菜乃が真っ裸だという情報があるだけで変に緊張する。


『いいよ。わたしは気にならないから』


「俺は気になるんだけど」


『気になっちゃう? まあ、隆之くんがどうしてもっていうなら、ビデオ通話にしてもいいけど』


「そっちの気になるじゃない!」


 ツッコむと陽菜乃はケタケタと笑った。分かって言ってくるんだから恐ろしいし、こっちが真に受ければ本気で実行する二段構えだから尚たちが悪い。


『それで?』


 陽菜乃が話を戻してくれる。

 俺は仕切り直すようにこほんと咳払いをした。


「近々、空いてる日ない?」


『それはデートのお誘い? そういうことならオールウェイズ空いてるよ?』


「いや、デートというか。まあ、会おうという意味ではデートなのかもしれないけど」


『歯切れが悪いね。驚かないしなんでも受け入れるから、気を遣わず単刀直入に話してくれていいよ?』


「ほんとにか?」


 恋人の両親に会うって結構ハードル高いと思うし、よく思わない人もいるだろう。


 俺はたまたま遭遇というか、鉢合わせた形で陽菜乃の両親との初対面を済ませたけれど、あれがなければきっとまだ会ってない。

 会ってくれないかと言われたら、多分きっと渋る。


『ほんとだよ』


 まあ、そこまで言うなら話すか。

 よくよく考えたら断られたらそれで終われるもんな。そうなれば、さすがに母さんらもそれ以上は言ってこないだろうし。


「実はさ……」



 *



 そんなことがあった三日後。


『今日は定時で帰ってくるから』


 母はそう言って仕事へ向かった。

 できるなら普段からそうしろ。


『残業せずに直帰します』


 父もそんなことを言って家を出た。

 できるなら以下同文。


『あたしも早めに切り上げよ。部屋、掃除しとくんだよ』


 友達と出掛けるらしい梨子もそう言って出て行った。余計なお世話だと言いながら見送った。


 梨子に言われるまでもなく、部屋の掃除はしなければならないと思っていたので午前のうちに部屋を綺麗にする。


 本日の夕食に陽菜乃がやってくるということで、志摩家の面々はどこか浮足立っていた。


 お昼を回ったので適当に昼食を済ます。

 陽菜乃が来るまでの間に今日の分の勉強に手を付けることにした。

 一時間ほど経った頃にインターホンが来客を知らせてきたので玄関に出る。


「こんにちは、今日は招待してくれてありがとう」


「ああ。と言っても、今は誰もいないんだけど」


「そうだったね、あはは」


「今から緊張してたら体力保たないよ」


「初めて彼氏のおうちにお邪魔するのに、緊張するなって言うほうが無理な話だよ」


 とは言いながらも、固かった彼女の表情は少しだけゆるんだように見えた。


 髪はストレートにしていて歩くたびにさらさらと揺れる。化粧はナチュラルであることは変わらないんだけど、いつもより少しだけ気合いを入れているような感じに見えた。

 服装は白を基調としたノースリーブワンピースで清楚な雰囲気が伺える。普段から派手目な服装は好んでなさそうだけど、中でも落ち着いたものをチョイスしたようだ。


「ちょっと、お肌見せすぎかな?」


 おじゃましまーす、と玄関に足を踏み入れたところで陽菜乃が俺の顔色を伺ってきた。


 ノースリーブの服をこれまで着たことがないわけではないので、この場合言葉の最初に『親と顔合わせするのに』みたいなのがついてるだろう。


 しかし、そういうのはよく分からない。


「大丈夫だろ。そういうのいちいち気にするタイプじゃないし」


「そう?」


 とりあえず自分の部屋に案内する。

 お茶を持ってくると一言入れて俺は一度部屋を出た。

 このあとの予定として、我が家に来たところで何か娯楽があるわけではないので、受験生らしく勉強をすることになっている。


 キッチンに向かいいい感じのグラスにお茶を注ぐ。お盆に乗せて部屋に戻ったところ、陽菜乃はなぜかベッドの下を覗き込んでいた。


「なにしてんの?」


「なにしてるんだろうね?」


 なぜか訊き返された。

 俺が帰ってきたことで、陽菜乃はこちらを向いて座り直す。


「昨日、梓と電話してたんだけど、隆之くんのおうちに行くことになったって話したら、ベッドの下を見たら面白いものがあるよって言うから見てみたの」


「ふーん。なにかあった?」


「んーん。なにも」


 秋名め。

 余計なことを言いやがって。

 けど残念ながら今の時代、そういう本はわざわざ紙で買うまでもないのだ。あらゆるものが電子化された時代は思春期男子に優しいなあ。


「隆之くんはどういうことか分かる?」


「いや」


「なんかね、隆之くんにはナイショで見るんだよって言うの。それに、隆之くんのこともっと知れるよって」


「そうなんだ。まあ、人によるからね。もしかしたら、そういう人もいるかもね」


「気になるなあ」


「気にしても仕方ないよ。さあ、受験生は受験生らしく、勉強しようじゃないの」


「はーい」


 それから暫く、俺たちは勉強に勤しんだ。



 *



 まず最初に帰ってきたのは梨子だった。帰宅時間は午後五時。いつもなら絶対に帰ってこない時間の帰宅である。


「陽菜乃さん、お久しぶりです」


「梨子ちゃん。こんにちは」


 女子が二人揃うときゃっきゃと騒がしくなるものだ。陽菜乃は梨子にリビングに連れて行かれたので俺もリビングに移動する。

 テーブルの方でガールズトーク的なものを始めたので、俺はソファに座りテレビをぼーっと眺めながらスマホを触っていた。


 そんな感じで午後六時。

 次に帰ってきたのは母さんだ。


 玄関の扉が開いた音がしたところで陽菜乃は敏感に反応。それを見た梨子が「お母さんかな」と呟いた。


 スタ、スタ、とスリッパの足音がリビングに近づいてきて、ガチャリとドアが開かれる。


 瞬間、陽菜乃は立ち上がり背筋をピンと伸ばした。ちょうどそのタイミングで「ただいまー」と呑気な声を漏らした母と目が合った。


「あらあらまあまあ。あなたが陽菜乃ちゃん?」


 ぶわ、と何か衝撃めいたものを浴びた母さんは一瞬目を見開いて驚いたが、すぐにいつも通りに戻ってそんなことを言う。


「は、はじめまして。隆之くんとおちゅきあいさせていたでゃいてます、日向坂陽菜乃です」


 噛んだな……。


 梨子も『噛んだ……』みたいな顔をしている。


「噛んだわね」


 母さんは言いやがった。

 相変わらず空気を読まないおばさんだ。


 しかし、スタートこそそんな感じだったが、少し時間が経てばあっという間に距離を詰めるのがうちの母だ。


 気づけばテーブルに三人が座り、お菓子を広げて女子会が再開されていた。俺はまたしても除け者である。


 そして午後六時半。

 こんな時間に帰ってくることなんて年に一度か二度くらいしかない父が帰宅した。


「ただいま」


 父さんがリビングに入ってきたタイミングで陽菜乃は再び立ち上がる。びしっと伸びた背筋から彼女の気合いを感じる。


「は、はじめまして。てゃかゆきくんとお付き合いさせていただいてましゅ、ひにゃたざか陽菜乃です!」


 さっきとは違う噛み方した……。

 しかし陽菜乃は噛んでませんけど、という澄まし顔で父親と対面した。


 父さんは一瞬見せた動揺を生唾と一緒に飲み込んだ。


「君が日向坂さんか」


 そして、穏やかな口調でそう言って、さらに続ける。


「しっかり噛んだね」


 うちの両親はどうやら空気を読まないタイプの人間らしい。



 *



 志摩家の中で最もコミュ力が低いのはわざわざ調べるまでもなく俺だということは間違いないだろう。


 晩ご飯はなんと寿司。

 我が家では滅多にお目にかかれないラインナップに俺と梨子はテンションが上がった。


 両親もテンションが高かったけど、寿司にというよりは陽菜乃にって感じだ。


 母も父もコミュ力は高めで、そこに梨子が加わり、且つ相手が陽菜乃なので、話は途切れずすぐにみんな打ち解けていた。


 いつもは俺の隣は梨子が座っているが今日は陽菜乃がいるので、梨子はお誕生日席となっている。


「それにしても」


 ウニ軍艦を口に放り投げた母さんがしみじみとした口調で言った。


「まさか隆之の彼女がこんなに可愛い女の子だとは思わなかったわ」


「可愛いだなんて、そんな」


 顔を赤らめて手を前で振る陽菜乃。

 否定しているというよりは照れているような感じ。


 陽菜乃自身、自分が周りよりも容姿が整っているということに関しては認めているしな。


 にも関わらずいやらしいというか、嫌味っぽく見えないのは彼女の魅力の一つだろう。


「……それに、隆之くんはわたしにはもったいないくらい、カッコいい男の子です」


 膝の上に乗せた手をきゅっと握り、慈愛がこぼれ出たような優しい笑みを浮かべながら陽菜乃が言う。


 俺は彼女のその言葉が嘘や偽りでないことを知っている。だから、まっすぐに言われると普通に照れるのだ。


 でも両親はそんなことないので、


「またまたぁ、隆之みたいな男なんて街を歩けば五人はいるわよ。ねえ?」

「そうだとも。もったいないだなんて、それこそ勿体ない言葉だよ」


 そんなことを言う。

 実の息子をそこまで言うか。


 まあ、もったいないという言葉に関しては俺も同意見だけど。


 こんなことを言えば、やっぱり陽菜乃は怒るだろうけれど、俺には勿体ないくらいの女の子だ。


「隆之、こんな彼女この先現れないんだから、絶対逃がしちゃダメよ!」


 母さんが鬼気迫るような表情で言ってくる。


「そういうの、本人を前にして言うな」


 俺が呆れながらにツッコミを入れていると、隣にいた陽菜乃が俺の手を握ってくる。


「わたしが逃しませんで」


「……隆之、お前いくら払ったんだ」


「払ってないわ」


 失礼な。


「でもほんとに信じられないけど、びっくりするくらい両想いだったんだよね。見てるこっちは焦れったくてしょうがなかったけど」


 ぱく、とお寿司を口にしながら梨子がつんとしながらそんなことを言う。

 こいつ、そんなことを思ってたのか。


 陽菜乃は梨子の胸中を聞いて、えへへと照れたような笑みをこぼしていた。


 そのときだ。


 母さんが「あ、そうだ」と何かを思い出し呟いた。

 その視線は陽菜乃を捉えており、何となくだけどなにか良からぬことを招くような気がした。


 母さんは立ち上がり、ぱたぱたと移動し自分のスマホを手に取った。これじゃないこれじゃないと呟きながら指を走らせ、ついに「あ、あった」と顔を上げた。


「陽菜乃ちゃん、明後日ってなにか予定ある?」


「明後日ですか? いえ、特には……」


「隆之。あんたも明後日、暇よね?」


 俺には鋭い視線を向けながら、少々圧のある声色で言ってくる。

 これは恐らく面倒事になる予感がさらに高まり、行かないほうがいいと俺の本能が告げていた。


「受験生に暇なんてものはない。毎日勉強に追われてるんだ」


「暇ね」


「話を聞け」


 俺の言葉はスルーし、母さんは陽菜乃に自分のスマホを見せる。


「実はね、友達が若い女の子のブライダルモデルを探してるのよ。なかなかピンとくる人がいないって頭抱えててね。よかったら、どう?」


「ブライダル、モデル……?」


 聞き慣れない言葉ではあるけれど、何となく想像はできる。

 陽菜乃もふわっと思い浮かんではいるんだろうけど、突然の提案に驚いている様子だ。


「そう。どうかしら?」


「でも、その人理想高いんじゃないのか?」


 話を聞いてる感じだと、いろんな人を見ているがどれもピンときてないみたいだ。

 陽菜乃がそのハードルを超えられないとは思ってないけど、人の感性って分かんないし万が一ということがあれば申し訳無さすぎる。


 しかし。


「いや、陽菜乃ちゃんなら絶対大丈夫よ。もし彼女がダメならもう誰も無理ね」


「そ、そんなことはないと思いますけど……」


「どう? やってみない?」


 どうやら母さんは陽菜乃のことを相当に気に入ったようだ。

 ううん、と唸る陽菜乃はまだ少し渋っているようで、梨子と父さんも背中を押すように声をかけている。


 陽菜乃はちらと俺を見る。


 俺はやれやれと溜息をついた。

 

「乗り気じゃないなら断ってくれていいよ。ただ、興味があるなら俺も付き合うから、やってみてもいいんじゃないか?」


「そう? えっと、じゃあ……」


 どうやら。


 明日は明後日の分も勉強しておいた方がよさそうだ。

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