第337.5話 SS『猫耳陽菜乃と夢の中』


 俺はそうでもないんだけど、梨子は動物が出てくる番組を割と好んで見る。


 その日の夕食時も、なんちゃら動物園という番組を楽しそうに観ていた。別にチャンネルにこだわりのない俺は、文句を言うでもなく一緒に眺めている。


 その日のその番組のコンテンツの中に、施設にいた猫を人に慣れさせることを目的としたコーナーがあった。


 とある芸能人が自宅に引き取り、最初こそ敵意にも似た感情を剥き出しにしていた猫が徐々に飼い主に懐いていく様子をモニタリングするもの。


 毎週のように梨子がその番組を流すものだから、別段興味のない俺もその猫の変化っぷりを見せつけられることになった。


「うちも猫欲しいなあ」


 そう呟いたのは食後のデザートとして用意された桃を口にしていた梨子だ。


 その日は両親共に仕事で帰りが遅く、夕食は俺と梨子の二人で食べていた。


 つまり、その呟きに俺が反応しなければ虚しい独り言として処理されてしまう。

 さすがにそれは可哀想かなと俺は反応することにした。


「そうか?」


 確かに可愛いことは否定しない。

 番組内で猫が見せたくらいに懐いてくれればチャオちゅーるを毎日プレゼントしちゃうくらいには可愛いかもしれないけれど。


 でも、どの猫もそうだとは限らないし、何なら懐くまでの素っ気ない態度で心が折れる。


「えー、可愛いでしょ。受験を控えたあたしの心を癒やして欲しい」


「仮に猫を飼い始めても、あれくらいに懐く頃にはお前の受験も終わってると思うぞ」


「そ、そうかもしれないけど」


「そもそもうちは父さんが猫アレルギーだろ」


「そうなんだけどっ!」


 そういうことじゃなくて、と梨子はその後も猫の可愛さについて滔々と解き続けた。


 おかげさまで、自室に戻る頃には俺もちょっと猫飼ってみたいなあとか思うようになっていた。



 *



 夢というのは多少の違和感があっても別に気にならないもので、さもそれが当たり前だとでもいうように勝手に進行されていく。


 例えば中学のときの友達と、高校のときの友達と、小学校の教室でお酒を煽っていても夢の中の俺はその状況に一切の違和感を覚えない。


 しかし。


 逆に、ああこれは夢だなとふと気づくこともある。これは誰しもに当てはまる感覚なのかは分からないけれど、少なくとも俺は何度か経験している。


 その日、眠りについた俺は気づけば自室にいた。

 目の前の光景に違和感は一切なく、いつもと変わらない自分の部屋だったにも関わらず、どういうわけか感覚的にこれは夢だと実感した。


 なんと言っていいのか分からないんだけど、何となくふわふわした感覚に包まれているような気分になる。


 さてどうしたものかと思っていると、リビングの方から楽しそうにはしゃぐ梨子の声が聞こえたのでそっちへ向かうことにした。


「あはは、もうダメだよ、くすぐったいってばっ」


 ソファに横たわりながらはしゃぐ梨子に覆いかぶさるように人の姿が見えた。


 俺は眉をひそめる。


 いや、だってそりゃ険しい顔にもなるよ。


「にゃあ~」


 ぴょこぴょこと猫耳が跳ねる。

 ゆらゆらと尻尾が揺れる。


「何してるんだ?」


 俺が問うと、梨子が体を起こしてこっちを向いた。


「なにって、ヒナと遊んでるんだよ」


「……ヒナ?」


 俺の表情は険しくなる一方だ。

 そんなリアクションに梨子の方も何言ってんだこいつみたいな顔になる。お前にそんな顔される筋合いはねえよ。


「ヒナのこと忘れちゃったの? お兄がいくら忘れっぽいからって、家族のことを忘れるのはさすがにどうかと思うよ」


「いや、だって」


「ねえ、ヒナ。悲しいよねー?」


「みゃおーん」


 ヒナと呼ばれたその猫はまるで梨子の言葉を把握しているように、悲しそうな鳴き声を上げた。


「あたしはこれから用事があるから、お兄はヒナちゃんと遊んで家族のことを思い出すといいよ」


「……ああ、うん」


 夢と分かっていても、流れには逆らえなかったりする。どれだけ違和感を覚えていても、俺にはそれを辿っていくことしかできない。


 てててとリビングを出ていった梨子。


 残された俺とヒナ。


「なんだこれ」


 ソファにいたヒナがそこから降りて、ゆっくりと俺の方に近づき、足元にまで来てすりすりと体を擦り寄せてくる。


 可愛いなあ、とは思うけど。


 陽菜乃なんだよなあ。


「にゃあん?」


 猫耳で。

 尻尾があって。

 胸元と腰回りに猫の毛を模した生地の服というか布が巻かれている。


 けど、それは確実に日向坂陽菜乃だった。


 俺はしゃがんでヒナ(陽菜乃)の喉元に触れる。すると彼女はゴロゴロと気持ちよさそうな声を漏らした。


 ううん。


 これは夢だ。

 そう言い切れる。


 だから、ここで何をしようと誰にも迷惑はかからない。


 そもそもなんでこんな夢見てるんだとか、倫理観どうなってんだとか、そういう諸々のことは一旦置いておくとして。


 これ、どこまでセーフなんだろう。


「……」


 俺がソファに移動して座ると、ヒナは膝の上に乗っかってくる。とても人間の重さとは思えない軽さだった。

 見た目は人間でも、体重は猫らしい。なんだそれ。


 頭に触れる。

 ヒナは拒絶するどころか、もっと撫でろというように頭をこちらに向けてくる。


 俺はそのまま手を動かして彼女の背中をなぞった。


 猫のはずなのに、人間的な柔らかさを感じて、俺の中には良くない欲求が湧き上がってくる。


 そもそも思春期男子舐めないで欲しい。


 日頃からそういう感じを出していないだけで、頭の中では普通にそういうことを考えているのが思春期男子というものだ。


 自制心が仕事をしているだけで、そいつが欲望に負ければ俺だってそこら辺にいるエロ猿と同じである。


 夢の中なんだから、別になにをしてもいいのではないかと思う反面、どうしてか陽菜乃に対して申し訳無さというか罪悪感のようなものを抱いてしまう。


 俺の中で思春期的欲求と自制心が戦争を勃発させていると、膝の上のヒナがごろんと体の向きを変えた。


 たわわに実った胸元は最低限の布に隠されているだけで、思春期男子には刺激的過ぎる景色だった。

 それだけじゃなくて、引き締まった腰回りとか小さなおへそとか、いろいろとマズい光景に俺の中で起こっていた戦争が集結した。


 思春期的欲求の勝利だった。


「……」


「にゃあ?」


 俺は彼女に手を伸ばす。


 バクバクバク、と心臓の音が大きくなっていく。

 なんだようるさいな今いいところなんだよと耳を塞ぎたくなるくらいに音が大きくなっていく。


 これじゃあ集中できない。

 とりあえずこの音を何とかしなければと俺は叫ぶ。


「ああもううるさい!」



 *



「……」


 ああもう。

 なんで夢っていいところで終わるんだよ。


 耳障りな音は心臓の音ではなくアラームの音だったらしく、俺は望んでいない起床を迎えてしまった。


 二度寝を試みたけど、どうしてか全然眠たくなくて、諦めて起きることにした。


 あんな夢を見て、あろうことか良くないことをしようとして、陽菜乃に申し訳ないなという気持ちを抱きながら登校の準備をする。


 学校へ向かう道中もずっとその罪悪感をどう消化するかを考えていたけれど、結局答えが出ないまま学校に到着してしまう。


 ここまで来たら仕方ない、覚悟を決めて忘れようと思いながら教室の前にたどり着く。


 深呼吸を挟んで教室のドアを開け、中に入る。


「にゃあ」

「にゃおーん」

「にゃんにゃん」

「にゃお?」


 陽菜乃が。

 柚木が。

 秋名が。

 雨野さんが。

 堤さんが。

 不破さんが。

 というか、クラスメイト全員が猫になっていた。


 そして、みんなが俺に向かって飛びかかってくる。わけが分からないまま俺は倒されてしまう。


 目の前にあったのは陽菜乃(猫の姿)であり、とろんとした表情のまま顔が近づいてくる。


 いやいや、それはダメだって。

 夢の中でもそういうのはやっぱりよくないというかしっかりと順序を辿っていくべきではないだろうか。


 とつらつら並べたけど体は動かず抵抗はできないままなので、せめて目だけでも瞑ってしまおうと俺は自分の視界を閉じた。


 チュッと。


 唇ではないけれど、その近くに温かいものが触れた。


 俺は恐る恐る目を開いていく。

 薄目で、ぼんやりとした視界の中にいたのは楽しそうに笑っている……、




 ……樋渡優作だった。



「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?!!?!?!?」


 夢で良かったと、心の底から思った。



 *



「……わたしってば、なんて夢を」


 隆之くんのおうちで、猫になって、隆之くんに……。


 もう一度寝たら続き見れるかな、と思いながらわたしは布団にくるまったけれど、夢の続きは見れなかった。

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