第337話 番外編⑪『友達だからね』
受験生にとって、受験をすると決めたそのときから毎日が重要であることは言うまでもないけれど、それでもやはり夏をどう過ごすかによって今後が変わっていくと言われるくらいには夏休みの過ごし方は今後を左右する。
そんな夏休みが来る前に、みんなで遊ぼうぜと提案してきたのは堤真奈美だった。
彼女が二年三組のライングループにそんな声を上げたところ、ほとんどの元クラスメイトが賛成し、今回のイベントが成立した。
「うおー」
すげえな、と感心した声を漏らしたのは樋渡優作だ。クラスは離れてしまったが、それでも俺たちの関係は変わっていない。
「結局、僕来れてなかったんだよな」
「割引券くれたのお前だろ」
「いろいろ忙しかったんだよ」
この施設は去年の夏に樋渡から割引券を貰って、陽菜乃と梨子、それからななちゃんの四人で来たんだよな。
屋内プールなので年中楽しめる施設だが、夏の時期は屋外プールも開放されていてより一層楽しめるようになっている。
大きなウォータースライダーが印象的で、他にも様々な設備があり一日いても飽きない。
「今日はとにかく楽しむぜ」
と言いながら、樋渡は準備体操を始めた。ここで走って飛び込みに行かないところはさすがだな。ということで俺もそれに習う。
「しかしあれだな、可愛い子が多い。海もいいけどこういう場所も悪くない」
アキレス腱を伸ばしながら、樋渡は周囲を見渡す。イケメンだから仮に見てるのがバレても何も言われないんだろうな。むしろ逆ナンされるとか。
うらやま……しくはないけど、爆ぜればいいのにとは思う。
「可愛い彼女がいるのに目移りするなんて罪深いね」
やれやれと呆れたような声に俺は振り返る。そこには水色のオフショルダービキニを着た柚木がいた。
「もちろん、くるみは中でも一番だよ」
「取ってつけたようなお世辞ありがとう。素直に受け取っておくね」
そう言いながら二人は笑う。
実は付き合っていた、という報告を受けたのは少し前のことだ。相性が良かったようで、今のように楽しそうにしているところをよく見る。
たまに予定が合えばダブルデートをしたりもしたけど、二人は本当に自然体というか、いつもと変わらないんだよな。
「……隆之くんは他の女の子に目移りなんかしてないよね?」
屈伸をしていると、ちょうどしゃがんだところで不機嫌そうな低い声が耳に届いた。
「も、もちろん」
振り返ると陽菜乃がいた。
シンプルな白のビキニが、彼女のモデルのようなスタイルを引き立てている。昨年、海に行ったときに見たものとは違う水着だな。
間違いなく、この施設の中の誰にも負けないくらいの魅力を放っていた。
「そんなこと言いながらくるみちゃんのこと見てたよね?」
「見ることすら許されないの!?」
「隆之くんはわたしだけを見ていればいいの。分かった?」
「うす」
そんな俺たちの様子を見て樋渡と柚木がおかしそうに笑っていた。今のやり取りのどこに笑える要素があったんだ。
「なに笑ってるんだ?」
「いや、お前らは変わらないなと思ってな」
笑いを堪えるように樋渡が言うと、柚木がそれに続く。
「ところ構わずいちゃいちゃするよね。恥ずかしくないのかなって」
「そんなつもりないんだけど?」
「無自覚ならそれはそれで恐ろしいよ」
今のもただ陽菜乃と雑談程度の会話をしていただけで、いちゃいちゃしているつもりはなかったが。
あれもいちゃいちゃしているカウントされるのか?
「お二人さんの邪魔しちゃ悪いし、僕らは退散しようか」
「そうだね。思う存分いちゃいちゃするといいよ」
じゃあねー、と手を振り柚木と樋渡が去っていった。流れ的に俺は樋渡と少しの間ダラダラするものだと思っていたけど、こうなるか。
「そういうことだから、お言葉に甘えて思う存分いちゃいちゃしよっか?」
「人目があるから遠慮しとく」
「隆之くんノリわるーい」
断ってみると、陽菜乃がぶうぶうと抗議するように文句をこぼした。
世の中には人目を気にしない人がいるのは事実だけど、俺はその領域に達するにはまだまだ経験不足である。
準備運動もそこそこに、そろそろプールに着水するとしますか。せっかくのプールなんだから、楽しまないとな。
ちゃぷ、と水に足を入れる。
冷たくはなく、しかし暑くもないちょうどいいぬるさの水だった。この絶妙な温度が気持ちいいんだよな。
すると、陽菜乃も隣に座って同じように水に足をつけた。
「ところで隆之くん」
「なんでしょうか、陽菜乃さん」
ざばん、とプールに飛び込んで陽菜乃の方を向いた。彼女はゆっくりと体を水に入れていくところだった。
「今日のわたしを見て、なにか気づくことはないかな?」
わざわざこんなことを言ってくるということは、いつもと何かが違うのだ。
どうやら俺は人の変化に相当鈍いようで、言わないと全然気づかないらしい。
改めて陽菜乃の姿を見てみる。
長い髪はプールに入る為かお団子にして纏められている。日常的に見ることはない髪型だけど、変化というには少し弱い。
それ以外だとなんだろう、化粧か?
普段からあまりバチバチにメイクをするタイプではないので違いが分からない。
スタイルに変化があったとも思えない。そもそも、仮にそうだとしてもそれに気づくのはなんなら気持ち悪い気がする。
「いつもより可愛い?」
「それは知らないよ。そうなの?」
「いや、いつもと変わらず可愛いと思います」
言ってみただけだけど、結果的になんか恥ずかしいこと言わされたな。
「ほら、もっとあるよね? 見たことないものあるでしょ? よく見て?」
「よく見るのはちょっと照れるんだけど」
「よく見てもらうために買ったんだから」
そこまで言って陽菜乃はハッとした顔で口元を抑える。もう答えを言ったようなものだった。
そこまで言われて気づかないほど鈍くはない。
「水着か」
「せいかーい。今日のために新しく買ったんだよ。なのに隆之くん全然気づかないから」
唇を尖らせて拗ねたようにぶつぶつと陽菜乃は呟く。別に気づいていなかったわけではない、指摘する暇がなかっただけだ。
いや、暇があれば指摘していたかと言われるとごにょごにょだけど。
「あまりに似合っていたから違和感が仕事しなかったんだ」
「もう、調子いいんだから」
言い訳をしてみたところ、悪い気はしなかったらしく陽菜乃はふにゃりと表情をゆるめた。
この程度、と言っていいのかは分からないけど、これで怒ったりしないのは彼女のいいところだ。
それから暫く、二人の時間を満喫していたのだれけど。
「あ、いたいた。志摩、ちょっと彼女借りていい?」
やってきた堤さんがそんなことを言ってきた。
彼女の顔は久しぶりに見たけど、不思議と久しぶりな感じはしなかった。
「彼女に水の中でしこしこしてもらってたところ、申し訳ないわね」
「そんな変態的な趣味は持ってない」
隣には不破さんがいた。
いつもと変わらない調子にこちらも安心感を抱くにまで至ってしまっている。
堤さんはワンピースタイプの水着で意外と落ち着いた印象。不破さんは赤いビキニと少し派手目だが容姿は完璧だからちゃんと着こなしている。
「ごめんね、隆之くん。ちょっと行ってくるね」
「ああ、うん」
まあ。
久しぶりに会うのは俺だけじゃないし、積もる話もあるのだろう。残念ではあるけれど、止めるのも違う。
俺は陽菜乃を送り出し、一人になる。
樋渡は柚木といるだろうから、邪魔するのも悪いよな。けどせっかくみんなで来たのに一人でいるのもなんだし、他の男子でも探そうかな。伊吹とか。
などと考えていると。
「あれ、一人? もしかして陽菜乃に振られちゃった?」
いつもと変わらない調子で、秋名梓がにやにやしながら声をかけてきた。
*
「なんでお風呂?」
この施設にはプールエリアの他にバスエリアがある。併設しているので行き来が可能で、水着で入るので男女でも利用ができるらしい。
秋名に声をかけられてどこに連れて行かれるのかと思いきや、こんなところへやって来た。
「ちょっとゆっくりしたかったんだけどね、一人でっていうのも寂しいでしょ?」
んんー、と腕を上に伸ばしながら秋名が言う。随分とリラックスしている様子だ。
プールの種類が幾つかあるように、お風呂の方も何種類かあるようだった。
中央に大きなお風呂。
階段で二階に上がれば家族風呂ではないけれど、小さな浴槽が並べられている。
ジャグジーもあった。
俺たちは真ん中の大きなお風呂に入っているのだけれど、どういうわけか他に人がいない。
「ここ、あんまり人気ないのか? 俺ら以外に誰もいないけど」
「プールに来ればとりあえずプールを楽しむんでしょ。早々にお湯に浸かろうとするなんて、おじいおばあかよほどのもの好きだけだよ」
「お前は?」
「よほどのもの好き」
「なるほどね」
もちろん秋名も水着なわけだが、彼女は去年の海で見たものと同じ水着を着ていた。
普通はそんなに水着買い替えないよな。
ゔぁぁ、と一日の労働を終えたおっさんが湯船に浸かったときのような声を出して、秋名がふんぞり返る。
スレンダーな方ではあるが、そんな体勢になるとさすがに胸が目立ってしまう。
隣に男がいること分かってんのかこいつ。
「ところで志摩」
「なんだ?」
気にするのも馬鹿馬鹿しいと思い、俺も思いっきり気を抜くことにした。秋名に習って体の力を抜きながら答える。
「彼女いる男が、別の女と一緒にいていいわけ? それも二人きりで」
「誘ってきたお前が言うな」
ツッコミを入れると秋名はおかしそうにあははと笑う。
こういうイベントだし、そもそも秋名だし、陽菜乃も許してくれるだろう。
「志摩と陽菜乃がくっついて、くるみ達も最近付き合ったらしいし。私だけ残された感をひしひしと感じてるんだけど」
秋名にしては珍しく、そんな話題を振ってきた。
からかってくることは多々あったけど、真面目なトーンでのこういう話題は珍しいなと思った。
「彼氏作ればいいだろ」
とは言ったものの、それが簡単ではないことは分かっている。
秋名は容姿は普通に可愛い方だと思うし、癖は強いが中身も決して悪いわけではない。むしろ良いとさえ言える。だから、作ろうと思えばきっとすぐにできてしまう。
簡単ではないのは、秋名がその気になるのが、という意味だ。
「いい男がいないんだよ」
「お前の言ういい男ってハードル高そうだな」
修学旅行の夜、秋名は自分の昔話をしてくれた。
その中に、彼女の恋愛譚が出てきた。
好きな人ができた。
けれど、年齢が離れていて本気に受け取ってもらえなかった。
最後まで相手にされず、ついに相手の男が彼女を作ってしまった。
それ以来、秋名は恋愛に対して一歩引いている。
それはともかく、秋名が誰かをいい男と評価しているところがどうにも想像できない。
「ハードルが高いかは分からないけど、少しくらいはいたよ」
「何人くらい?」
訊くと、秋名は手を上にあげてグーにした指を一本ずつ立てていく。その指は三本目が立ったところで止まってしまったが。
「んー、三人?」
「少ないじゃん」
「そんなもんでしょ。逆に、いい男と思える相手が多いのも困らない? その人、すぐ目移りしちゃうんだぜ?」
「それはまあ、そうか」
二人並んで、何があるわけでもない天井を見つめる。
クラスメイトはプールの方でわいわい楽しんでいるであろうこの時間に、俺たちは何をしてるんだ。
冷静になるとそんなことを思う。
だから冷静になるのを止めた。
「ちなみに誰? 俺の知ってる奴か?」
訊けば、秋名は「んー、そだね」と短く答える。俺の問いがその先までを尋ねていることは察したらしく、秋名はさらに言葉を続けていく。
「一人目は私の過去編で登場した大学生の彼でしょ」
「過去編とか言うな。そんな盛大なもんじゃなかっただろ」
ツッコむと秋名はわざとらしく笑った。
茶化したように言わないと、恥ずかしいんだろうな。何となく、そんな感じがした。
「二人目は?」
「伊吹くん」
「ああね」
伊吹真澄。
二年のときに同じクラスだった人気者だ。財津と違い根っこからのイケメンで、女子からの人気は絶大。にも関わらず男子の友達も多い、圧倒的カリスマ性を持つ男。
誰もが認めるいい男だ。
「あと一人は?」
「誰だと思う?」
質問返しに俺は頭を悩ませる。
わざわざそんな言い方をするということは、俺に近い存在だということだろう。
となると自然と答えは絞られる。
「樋渡か」
伊吹が先に出た以上、残すは樋渡しかいない。
「残念。彼ではない」
「まじで?」
どういうことだ?
樋渡以外に選択肢はなかったんだけど。
「いいヤツではあるけれど、いい男と言うには少し足りないかな」
その違いはよく分からないけど、秋名の中には何かしらの線引みたいなものがあるのだろう。
残念だったな、樋渡。
「降参だ。答えを教えてくれ」
諦めて答えを求める。
「分かんないかねー? どれだけ私と一緒にいるんだ志摩は」
「一年半くらいだな」
そうか。
もうそんなに経つのか。
いや、感覚的にはもっと一緒にいたような気もする。それだけ距離が縮まったということなんだろうな。
「にも関わらず分かってくれないとは。そんなんだから、陽菜乃からアプローチされないと大人の階段登ることもできないんだよ」
「おいそれなんで知ってんだ」
「あら、当たった?」
「当てずっぽう!?」
あのレベルの的中ってあるのか?
さっきの秋名の驚いた顔からして、たぶん嘘ではないっぽいし。こわ。
「いや、陽菜乃のリアクションで何となくヤッたんだろうなーとは思ってたけど。まさか本当に受け身チキンだったとは」
「……リアクションって?」
受け身チキンに関してはノータッチでいこう。多分触れても俺が辛い思いをするだけだし、なんなら事実受け身チキンだし。
「体育祭終わった次の日かに顔を合わせたら引くくらい上機嫌だった」
陽菜乃のやつ、なんて分かりやすいんだ。秋名の言っていることが正しいのなら、話してはいないみたいだけど。
まじで嘘つけないんだな、陽菜乃は。
「まあいいや。それで、三人目は誰なんだよ?」
「どこかの受け身チキンさんだよ」
「……はへ?」
予想外の答えに俺は間抜けな声を漏らしてしまう。
天井から秋名の方へと視線を移すと、彼女もこちらを見ていて視線がぶつかる。
冗談とかじゃないらしい。
彼女の揺れる瞳に俺の目が映っていた。
「やっぱりお前、俺のこと大好きだな」
俺がわざとらしく呆れたように笑って言うと、秋名も同じような顔を見せた。
にひっと、白い歯を見せ、爽やかな笑みを浮かべるアイドルのような、可愛らしい笑顔だった。
「まあね。志摩が想像してる倍くらいは、私はあんたのこと大好きだよ」
*
楽しい時間はあっという間で、気づけば解散のときが近づいていた。
といっても、プールから出るというだけで、行ける人はこのままご飯とかに向かうんだろうけど。
予想通り、そういう流れになりほとんどのクラスメイトはそのまま晩ご飯を食べて帰ることになった。
陽菜乃は堤さんや不破さん、柚木と楽しそうに話している。樋渡は伊吹たちとなにやら盛り上がっていた。
そんな様子を、少し疲れたこともあり最後尾から眺めていると隣に秋名がやって来た。
「疲れてるね」
「まあ、結構はしゃいだから」
あれから男子の泳ぎ競争に参加させられ、陽菜乃とスライダーに乗り、堤さんや不破さんたちとビーチバレー的なものをしたりと、とにかく動きまくった。
そりゃ疲れるわ。
俺と秋名は二人並んで前にいる陽菜乃や樋渡たちを眺めていた。
「お風呂で話したこと、あるでしょ」
「どれのこと?」
いろんなこと話しすぎてどれのことか分からなかった。
「私だけ残された感がある、みたいな」
「ああ」
そもそもの事の発端か。
あそこからいろいろと話が発展していったんだ。というか、脱線していったんだ。
「ああは言ったけどさ、やっぱりまだ彼氏はいらないと思うんだ」
「そうなのか?」
秋名はこくりと頷く。
「今のこの時間が、私は結構好きなんだよ。彼氏を作ったらこの時間が壊れるわけじゃないけどんだろうけどさ、なんて言うんだろ、今はこれで満足してるって感じ」
「そう、なのか」
すると、秋名はくすっと笑う。
「まあ、志摩や陽菜乃が私なんか放って二人でいちゃいちゃし出したら、さすがに考えるかもしれないけどね」
さっきまでの真面目なトーンを吹き飛ばすように、秋名は明るく言ってみせた。
「じゃあ、まだまだ大丈夫だと思うぞ」
「そう?」
「俺も陽菜乃も、秋名を邪魔と思うことはないからな。卒業しても、大人になっても、ずっとな」
そう言うと、秋名は照れたように頬を赤くして、嬉しそうな声色で、笑いながら口を開く。
多分、俺も同じくらい赤くなってるだろうな。恥ずかしいし照れくさいけれど、なんとなく今はちゃんと言ったほうがいいような気がしたのだ。
「そりゃ嬉しいね」
その顔があまり見ることのない珍しい表情で、俺はつい笑ってしまった。おかしくなったのか、秋名も同じように吹き出してしまう。
この先もずっと。
こうして笑っていられたらいいなと、そんなことを思った。
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