第327話 番外編①『バレンタイン』


 二月十四日はバレンタインデーだ。

 女の子が好きな男の子にチョコレートを渡す日。

 なんだけど、最近は友チョコとかも増えてきてチョコレートを渡し合う日になりつつある。


 それでも。


 勇気を振り絞って気持ちを伝える日であることに変わりはなく。


 告白をしたわけではないけれど、あたし、柚木くるみも昨年は男の子にチョコレートを渡した。


 義理チョコみたいな感じで渡したけど、実は本命チョコだった。ただ、そう言ってしまうとまだ戸惑わせてしまう距離感だったから、そういうことにしておいたのだ。


「今年のバレンタイン、どうしよっかな」


 机に頬杖をつきながら、はあと溜息をついて陽菜乃ちゃんが呟いた。


 二月九日。

 教室の中にいる女の子の話題はバレンタインデー一色だった。もしかしたら、知らないところで男の子も盛り上がっていたかもしれないけれど。


 その日の昼休み。

 隆之くんと優作くんは学食に行ってしまって、教室に残ったあたしと陽菜乃ちゃんと梓は三人でご飯を食べていた。


「なにを作るかってこと?」


 あたしは問うた。

 陽菜乃ちゃんはそれに対して、ううんと難しそうに唸る。


「それもなんだけどね、なんかこう、隆之くんを喜ばせたいっていうか。手作りチョコは去年も渡したから、今年はそれを超えたいの」


「な、なるほどね」


 自分で自分のハードルを上げてる……。

 そんなことをしていたら五年後のバレンタインはどうなっているんだろう、と少し考えて笑ってしまう。


「そういえば去年って大変だったんだっけ?」


「そうなのぉ」


 後々聞いたことだけど、去年のバレンタインデーはすれ違いが重なったそう。

 なんとか渡すことはできたけれど、そこに至るまでが大変だったと言っていた覚えがある。


 ふむ。

 そうなると、それを超えるインパクトっていうのは難しいね。

 ていうか、だとしたら普通に渡すだけで十分去年は超えるんじゃないかな?


 なんてことを考えていると、もぐもぐとたまご焼きを食べていた梓が、それを飲み込みようやく口を開く。


「あれだよ、流行りの『わたしを食べて♡』っていうのしたらいいんじゃない?」


 またふざけたこと言ってる。

 

「なにそれ?」


 けれど、陽菜乃ちゃんには伝わらなかったのかこてんと首を傾げる。

 こういうのにピンとこない純粋なところも可愛いんだよねえ。いつまでも変わらないでいてほしいよ。


「チョコレートを溶かしてね、体中に塗りたくるんだよ。で、志摩を家に呼び出して、登場する。そこで『今年のバレンタインチョコはわたしだよ、優しく食べてね♡』って言うのさ」


「なるほど……」


 陽菜乃ちゃんが真面目な顔で呟く。


 まさか、本気で実行したりしないよね?

 隆之くんと付き合ってからの陽菜乃ちゃんは隆之くんに関する思考能力がばかになってるからなぁ。


「そういうのが流行りなんだ。今どきの恋人はダイタンだね」


「流行ってないからね。世の中のカップルはそんなに大胆じゃないよ」


 なんとしても陽菜乃ちゃんがそれをするのだけは阻止しないと。隆之くんが出血多量で死んでしまう。そのために、なにか別の良い案を考えるとしよう。


「……」


 あたしはふうと息を吐く。

 

 それにしても。


 バレンタイン、かぁ。



 *



 散歩が好きだ。


 あてどなく、ふらふらと気の向くままに歩くのが好きで、つまり恐らく、あたしは歩くのが好きなんだと思う。


 まあ、自転車通学をしない理由は別にあるんだけど。


 あたしが自転車に乗れないという事実はあまり知られていなくて、今のクラスだともしかしたら隆之くんくらいかもしれない。


 高校二年生にもなって自転車に乗れないなんて恥ずかしいからね。自ら口にするのは躊躇ってしまうのだ。


 けれど電車を使うほどの距離ではないので、結果あたしは学校までを歩くことにしている。

 歩くのが好きだなんだと言いはしたけど、徒歩通学は消去法なんだよね。


 なんて、どうでもいいことを考えながら学校へ向かう。最寄り駅を降りてから学校までの間にゆるやかな坂道がある。

 歩いていればどうってことはないけど、自転車だとそこそこ辛いんだと以前隆之くんがぼやいていた。

 ふふ、自転車に乗る人は苦しめばいいのさ。


「おはよー、くるみちゃん」


 そのとき。

 肩をぽんと叩かれる。

 挨拶をくれた声で誰なのかは分かったけれど、振り向かないのは失礼なのであたしは声の主に笑顔を見せる。


「おはよ、陽菜乃ちゃん」


 陽菜乃ちゃんはいつも可愛い。

 あたしが男だったら絶対に好きになっているに違いない。

 そうなると隆之くんとはライバル関係になるのか。うん、勝ち目がないな。隆之くんはいい男だし、陽菜乃ちゃんは彼にゾッコンだからね。


 彼女の手にはいつもはない小さな紙袋。

 今日は二月十四日。

 つまりバレンタインデーということで、その紙袋がなんなのかはおおよそ予想がつく。


「結局チョコレートはどうしたの?」


 まさかその制服の下は……なんてね。

 あたしは心の中でくすくすと笑いながら陽菜乃ちゃんに尋ねた。彼女はその小さな紙袋を少し上げてあたしに見せてくる。


「手作りチョコを作ってきました」


 よかった。

 多分普通のバレンタインデーになってくれる感じだ。


「去年はなかなか渡せなかったから、今年は朝一番に渡そうって決めてるの」


「それがいいよ。そしたらきっと、隆之くんは今日一日うはうはハッピーデイだね」


「そうだよね! うはうはハッピーデイだよね!」


 よしよしそうだ大丈夫、と陽菜乃ちゃんは自分で自分を鼓舞する。こんなこと考えてくれているなんて隆之くん知らないんだろうなあ。

 動画に撮って見せてあげようかな。


 ところで、うはうはハッピーデイってなんなのさ。



 *



「はい、隆之くん。ハッピーバレンタインっ」


 宣言通り、陽菜乃ちゃんは教室に入ってすぐに隆之くんにチョコを渡しに行った。

 自分の席に荷物を置く時間さえ惜しむように一直線に。


 あたしと陽菜乃ちゃんが登校したときには、珍しく隆之くんと優作くん、それに梓が揃っていた。


 この三人が先に来ているのは本当に珍しい。バレンタインデーだからかな?


 いや、この三人はそういうの気にしないか。たまたまだな。


「ありがと」


 隆之くんは照れたように笑いながら、陽菜乃ちゃんからチョコを受け取った。

 陽菜乃ちゃんは満足げににこにこ笑っている。


「良かったね、志摩。まあ、このチョコに関しては貰えるの確定してたけど」


「まあ、期待はしてたな」


「嬉しいかい?」


「チョコを貰って嬉しくない男子はいないと思うぞ」


 そういうものなのかな。

 あたしたちはいつも渡す側だから、そういうのはよく分からない。


 けれど、この日の男子はいつもより少しだけ緊張しているというか、浮足立っているように感じるので、多分すごく楽しみにしてるんだろうな。


「ほら、そんな志摩に二つ目のチョコをあげよう」


 梓はカバンから取り出したチョコを隆之くんに渡した。デパートかどこかで買ったのか、綺麗にラッピングされている。


「そんなに驚く?」


「期待はしてなかったからな」


「失礼なやつ。ほら、樋渡も」


「おお。サンキュー」


 梓は優作くんにもチョコを渡す。

 見た感じ、隆之くんと同じものだ。

 そして用事を終えたと言わんばかりに立ち上がった梓は、カバンとは別の袋を手に持つ。


「なにそれ」


 あたしが問うと、梓は中身を見せてくれる。


「モテない男子どもに配ってやる義理チョコ」


 こういうところはさすがだな、と思う。

 ちょうど梓が配りに行ったタイミングで真奈美ちゃんと春菜ちゃん、それに瑞菜ちゃんがやって来た。


「ほれ、志摩。樋渡も。義理チョコ」


「私もはい。義理チョコ」


「今年はモテモテだなー、志摩。ほれ、義理チョコ」


「そんな義理チョコを強調しなくても」


 そう言いながらも嬉しそうに受け取る隆之くん。やっぱり嬉しいんだなあ。


「義理チョコじゃなかったら困るだろ」


 笑いながらツッコんだのは優作くんだ。彼もサンキューと言いながらイケメンスマイルを三人に向ける。


「こんなに貰ったのは生まれて始めてだ」


「良かったじゃん。まだ増えるかもしれないぜ」


「いや、どうだか」


 隆之くんと優作くんは楽しそうに言葉を交わす。陽菜乃ちゃんはその様子をにこにこしながら見守っていた。


 そうだ。

 忘れていた。


「これ、あたしからも」


 あたしはカバンから出したチョコを隆之くんの机に置く。

 昨日、学校の帰りに近所のショッピングモールに買いに行った。この時期は特設コーナーがあるのであっちこっち行かなくて済むのは助かるよね。


「もちろん義理チョコだよ。隆之くんのチョコ獲得数に貢献してあげよう」


 ほんとうにそれだけ。

 ちらと陽菜乃ちゃんを見ると、別に気にしている様子はない。変な心配はかけたくないからね。

 でもお友達だし、ちゃんと渡したいとは思っていたから。


 あたしは梓のようにみんなに配ったりはしない。大切な人にだけ、日頃の感謝と好きという気持ちを伝えるために渡すようにしている。


 だから。


「これ。優作くんも」


「おう。ありがとな」


 隆之くんとはちょっと違うラッピング。あたしがこのチョコに込めた気持ちは見たとおりなんだけれど。

 


「これは義理チョコか?」


 優作くんはおどけた調子で訊いてくる。けど、たぶん結構本気で気にはしてるだろうなあ。


 曖昧なまま、時間だけが過ぎてるから。


 けど、ここで『本命チョコだよ』っていうのはちょっと違うような気もするし。


 ふむ、と唸ってから、一言。


「みんなより、ちょっとだけ特別なチョコかな」


 そう言った。


 優作くんは「そっか」と、満足げな言葉を漏らす。


 あたしの気持ち、ちゃんと伝わってくれたかな?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る