第326話 迷子の女の子を助けたら[終]


 今年の冬は例年に比べて特に寒かったらしい。

 あまり見ることのない雪が降ったりもして大変だったけれど、それでもまあ何とか無事冬を越すことができた。


 そろそろクマも餌を求めて外に出てくる頃だろうか。


 なんてことを思う、三月のある日。


「……なんで制服着てんの?」


 布団に包まりたいという欲求を助長するような冬の寒さは終わり、今は布団に包まりたいという欲求を助長するような心地よい暖かさを迎えていた。


 どっちにしても眠りたいんだよなあ。


「なんでって、予行練習的な?」


 春休みに入り、春眠暁を覚えずという言葉に従い惰眠を貪っていた俺がようやく起きてリビングに行くと、制服を着た梨子が上機嫌にキッチンに立っていた。


 梨子も先日、卒業式を迎えた。もうすぐ梨子も高校生になる。そう思うといろんな感情に揉まれて涙が出そうになるぜ。


「毎日太ったかどうか確認してるわけか」


「お兄はそういうことしか言わないんだから」


 俺が言うと、梨子はぷりぷりと分かりやすく怒った素振りを見せる。まあ、ああやって分かりやすいリアクションをしている間はまだ全然怒ってない証拠なんだけど。


 ていうか、この子なんでキッチン立ってるんだろう。もしかしてお昼ご飯を作ってくれていたりするのかな。

 春休みに入ってから時折、そういう姿を見受けられたので可能性は大だ。


 梨子はこれまでの学生生活の終わりを惜しんで、中学の制服のコスプレをしているわけではなくて。


「新しい制服に身を包んだ妹に、おめでとうとか似合ってるとか、そういう気の利いた一言はないのかな」


「おめでとうは言っただろ」


 我が妹、志摩梨子は入試を終え、無事鳴木高校への入学切符を手に入れた。四月からは俺の後輩になってしまう。


 本番を前に緊張でゲロってしまいそうな梨子を何度も勇気づけたし、合格の報せを聞いたときには顔を合わせた第一声で『おめでとう』と伝えた。


「似合ってるは言ってない!」


「似合ってる似合ってる」


「感情がこもってない。やり直し」


「……」


 志摩家の朝は今日も平和だった。


 ……もう昼か。



 *



「ほら、次行くよー?」


 高校入学を間近に控えた梨子の買い物に付き合って毎度お馴染みのイオンモールへとやって来た。


 筆記用具とか買い替えるそうだ。

 別に中学のときのがまだ使えるだろうに、そう言えば梨子は『高校生になるんだから心機一転、持ち物も変えたいの』と答えた。

 そんなのうちの両親が許すはずがない。だって俺が似たようなことを言ったら『まだ使えるんだから使いなさい。勿体ないでしょ』ときっぱり断られたのだから。


 まあ。


 うちの両親は梨子には甘いので『そうか。分かった。じゃあ、はい、これで買ってきなさい』と父が臨時収入を与えていたんだけど。


 ほんと、兄にももう少し優しくしてもバチは当たらないと思うんだけどな。言っても無駄だから言わないけどさ。


「はいはい」


 中学は給食だったので、梨子は初めてのお弁当ということになる。ということで好きな弁当箱をチョイスしたあと、次は筆記用具を買いに向かう。


 シャーペンやらノートやら、楽しげに選ぶ梨子を眺めながら、そういえばと思い出す。


 三学期の学年末テスト。

 その一年の集大成とも言えるテストであり、進級の可否が決まる最後の試練でもある。

 もちろん、俺や陽菜乃は日頃から勉強しているので別に問題視してはいなかったんだけど。


 うちには問題児が二人いる。

 秋名梓と樋渡優作。毎回痛い目観てるのに、毎回学習をしない。テスト前になって涙を流している。


 俺はそんな秋名に問うた。


『毎回テスト前に苦労してるんだから、日頃から勉強するようにしたらいいんじゃないのか?』


 尤もな疑問だと思う。

 別に一日五時間やそこら勉強机と向き合うわけではない。一時間や、何なら三十分復習するだけでも随分と異なる。


 しかし秋名はふっと乾いた笑みを見せた。

 まるで『甘いよ、志摩』と言われているようだ。どうしてそんなに誇らしげというか、自信満々な顔が出来るのか不思議でならなかった。


 そして彼女は答えた。


『それができないから、私たちは勉強ができないんだよ』


 と。


 後ろで樋渡が深く共感して頷いていた。


 まあ。


 今回は前回に引き続き、柚木先生が面倒を見るのに加えて俺と陽菜乃も手伝ったので事なきを得たのだが。


 みんな揃って進級したかったしな。

 そして無事、みんなで三年生になることができた。


 全員、同じクラスだったらいいのにという話を柚木にしたところ。


『毎度こんな大変なら、違うクラスでもいいけどね』


 と、おどけていた。

 それが本音ではないことは、もはや言葉にしてもらうまでもなかったことだ。


「お兄!」


「あ?」


 いつの間にか買い物を終えていた梨子が手に持つ袋を増やして俺の前に戻ってきた。そしてそれを当たり前のように俺に渡してくる。


 俺のこと荷物持ちだと思っているな?

 そう簡単に持ってもらえると思わないでほしい。


 ……持つけど。


「次のところはあたし一人で行くから、お兄は適当に時間つぶしてて?」


「なんでだよ。急にお兄を一人にするなよ。最近ぼっちであることが少なくなったから急に一人は寂しくなるだろ」


「知らないよ」


 梨子が冷たかった。


「俺もついて行くけど」


「いや、いいよ」


「いや、行くって」


「だいじょうぶだって。ていう来ないで」


「なんでだ――「下着買いに行くの察しろばかお兄!」


 お前、そんなこと大声で言うなよ。

 周りにあんま人がいなかったから良かったものの。いや良くはないけど。


 ていうか、前にもこういうことあったな。


「別に下着は買う必要なくない?」


「うるさいなあ。いいでしょ、別に」


 とにかくついてこないでね! と強く言って梨子は行ってしまった。さすがについて行くと本気で怒るだろうから俺は大人しく一人で暇をつぶすことにした。


 暇つぶしと言えば本屋ですね。

 あそこに行けばなにかしらあるからね。


 ということで俺は本屋へと向かう。


 けど、本屋で時間を潰そうとするとなにか起こったりするからなあ。

 あれはクリスマス前のことだったろうか、今と同じように本屋で時間を潰そうとした俺はある二人と遭遇した。


 財津翔真と、榎坂絵梨花。


 二人とも少々因縁……というとちょっと大袈裟かもしれないけど、過去にいろいろあった。


 財津は一年生のときのクリスマス会で。あれは俺はあんまり悪くないし、あいつの自業自得だと今でも思っているけど。

 それから夏には助けられもした。どういう縁か、時折そんな感じで遭遇することがあった。

 財津は俺の顔なんて見たくもないだろうけど。毎回めちゃくちゃ嫌そうな顔をするからなあ。


 榎坂は中学時代に俺が告白した女子生徒だ。卒業してから顔を見ることはないと思ってたけど、二年の文化祭で再会することになった。

 あのときと変わらず、同じ遊びを繰り返していた榎坂は、ようやく自分のしてきたことを反省した、んだと思う。

 それからの彼女は人が変わったようだった。修学旅行で迷子になっていた陽菜乃を助けたのも榎坂だった。以前の彼女ならそんなこと、きっとしなかっただろうから。

 同じ中学ということはそれなりに家も近いということで、遭遇することがたまにあったけれど、今では嫌そうな顔を見せながらも普通に話すようになった。多分、一応ああいう反応はしておかないととか思ってるんだろうな。


 そんな二人が、最近付き合うことになった、という話を陽菜乃から聞いた。


 なんでそんなこと知ってるのと尋ねたところ、『絵梨花ちゃんから聞いたんだよ』だそうだ。

 いつの間に連絡先交換したのかも気になるけど、それ以上にいつの間にそんな仲良くなったのかが気になった。


 この春休みに一度、すれ違うことがあったけどそんな報告まったくなかった。

 一応、きっかけを作ったのは俺なんだけどなあ。


「ん?」


 本屋の前。

 右へ左へ流れていく人混みの中にしくしくとうつむく子供を見つけた。


 見たところ、周りに人はいないようだけど。


 迷子か?


「……」


 人っていうのは自分のことでいっぱいいっぱいだし、知らない相手のことまで気にしている余裕がないのは分かる。


 けれど。


 だとしても。


 やっぱり、ああいう光景を見ると、うんざりしてしまう。


 俺はその少女に近づき、高さを合わせるためにしゃがんだ。

 見た目からすると、ちょうどななちゃんくらいの年齢だろうか。肩辺りまでの髪の長さの女の子だ。


「大丈夫? お父さんかお母さんは一緒じゃないの?」


 俺の声に少女は顔を上げた。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔をこくりと頷かせた。


「お父さんかお母さんがどこにいるか分かる?」


 訊くと、ふるふると少女は首を横に振る。

 そして、小さな声でこう言った。


「……ひーちゃん」


「ひーちゃん? と、一緒に来たの? お母さん……じゃないな、お姉ちゃんとかかな」


 少女は頷いた。

 どうやら正解らしい。


 そういや陽菜乃と初めて会ったときもこんな感じだったな、と懐かしい記憶が蘇った。


 もちろん、今でもあのときの気持ちは忘れていない。祖母の言葉があったから、今の俺がある。


 だから、これから先も、困っている人に手を差し伸べられる男であろうと思う。


「一緒にお姉ちゃんを探そうか。お名前は?」


「……みう」



 *



 これは中々に大変な展開になったかもしれない、と最初は思ったけれどみうちゃんのお姉ちゃんは想像よりずっと早く見つかった。


 具体的に言うなら、本屋の前を離れた五分後のことだった。


「ひーちゃん!」


 お姉ちゃんを見つけたみうちゃんが走り出した。俺はそれを追おうとしたんだけど、そんなことより気になることがあってピタッと停止してしまった。


「みう!?」


 みうちゃんの声に後ろを振り返り、駆け寄ってきた少女を抱きとめるが見覚えのある人物過ぎて驚いたのだ。


 ていうか。


「た、隆之くん!?」


 すぐに俺の姿を見つけた、改め日向坂陽菜乃が俺に負けないくらいの驚きを見せた。


「なんで?」


「こっちのセリフなんだけど。いつの間に妹増やしたの?」


 みうちゃんを抱きかかえてあやしながら、陽菜乃はくすくすと笑う。


「ちがうよ。いとこ」


「ああ」


 なるほどね。

 にしてもこんな偶然あるんだ、とは思うけれど。


「今日はどうしたの?」


「俺は梨子の買い物に付き合ってて。そっちは?」


「お守り、かな」


 そう言われて、俺はプリティエンジェルななちゃんのことを思い出す。


「ななちゃんは?」


「いるよ。はぐれたら困るから、上のいとこと待ってもらってるの。残念でしたねぇ?」


 じとり、と陽菜乃が半眼を向けてくる。


「いや、別にそんなんじゃ」


「顔に書いてあるよ。鏡見る?」


「いや、結構です」


 梨子からの合流連絡はまだない。

 なので俺は少しだけ陽菜乃と一緒にいることにした。といっても、陽菜乃がいとこの子と合流するまでの僅かな時間だけれど。


 無理に一緒にいなくても、いつでも会えるしな。


 つい先日会ったし、来週にはまた会う約束をしているし。


「隆之くんって子供に好かれるのかな?」


「どうして?」


「いや、だって。みうが」


 陽菜乃と再会したことで泣き止んでくれたみうちゃんは、移動する際に俺の背中に乗っかってきた。


 あの短時間で信頼を得るようなことをしただろうか。子供の思考回路は謎である。

 

「隆之くんがおんぶしてるから、手繋げないや」


「二人のときにいつでも繋ぐから」


 持て余すように手をグーパーする陽菜乃に、俺は笑いながら言う。

 前々からそうではあったんだけど、陽菜乃は自分の欲求を口にするようになった。俺はそれをできるだけ叶えてあげたいと思っている。


 クリスマスのあの日をきっかけに、やっぱり俺たちの距離はさらに近づいたのだ。


「なんか、こうしてると夫婦みたいだよね」


 子どもを連れてショッピングモールを歩くこの光景は確かに休日の家族を思わせる。

 けれど、それにしては俺たちは随分と若い。


「まだちょっと早いでしょ」


「そうだね。まだやることもやってないしね?」


 陽菜乃はからかうように俺の顔を覗き込んでくる。そういう意味の早いじゃないんだけど。


「そういうことじゃなくて」


「どういうこと? わたしはプロポーズとか結婚もまだだしって思って言ったんだけど。隆之くんはどうしてそんなに顔を赤くしてるのかなー?」


「……たち悪い」


 今はまだ子どもだけれど。

 

 いつか俺たちが大人になったならば。

 

 そのときは、彼女の言葉が本当になるように、改めて気持ちを言葉にして伝えたいと思う。


 けどそれはまだ未来さきのことで。


 やっぱりまだ早いから。


 だから。


 とりあえずは現在いまのこの時間を大切にしよう、と。


 そう思った。






 終

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