第309話 陽菜乃とくるみ
この時期の夜は少し冷えるけれど、火照った顔を冷ますにはちょうど良いくらいだ。
あたし、柚木くるみは夜風に当たりながらコンビニへ向かう。
昼間に集まってからあれやこれやと数時間騒ぎ続けているけれど、カラオケボックスの中はまだ落ち着きそうにない。
少し疲れたあたしはコンビニに行ってくると言い残して、こうして少しクールダウンをすることにした。
目的はそこにあり、別に一人になりたかったとかではないので誰かを誘えば良かったかなとも思う。
コンビニまではたかだか五分もかからないくらい。とはいえ、やっぱり女の子の一人歩きは危険だ。
クリスマスはナンパ野郎がはびこっているからね。
「……はあ」
息を吐くと白く色づき、風に吹かれて消えていく。
クリスマスか、と思う。
そういえば、ちょうど一年前だな。
あたしが隆之くんと出会ったのは。
あのとき、ああして出会っていなければあたしと隆之くんは今もただのクラスメイトだったと思う。
同じクラスになったのだから、話すことはあるかもしれないけど、あたしが恋心という感情を抱いていたかと言われると答えに悩む。
世の中のあらゆるものには、必ずきっかけがあるから。
まあ、同じクラスになって話しているうちにいつの間にか、という展開もあったかもしれないけどね。それくらいに、彼は魅力的な男の子だったから。
けれどやっぱり。
あたしの恋の始まりはクリスマスのあの日だった。
あの日がなければ、あたしは隆之くんを好きにはなっていなかった。
どきどきすることもなかったし。
傷ついて苦しむこともなかった。
とはいえ。
そうは言っても。
好きになったことを後悔しているわけではない。
出会ったことを悔いているつもりもない。
彼を好きになったから、今のあたしがいるのだから。
彼のおかげで、あたしは恋心というものを思い出すことができたのだから。
「くるみちゃん!」
肩をぽんと叩かれる。
あたしは驚いて声を出しそうになるところをぐっと堪えて、後ろを振り返った。
そこにいたのは陽菜乃ちゃんだった。
慌てて追いかけてきたのか、陽菜乃ちゃんは肩を上下に揺らしながら白い息を吐いている。
「どうしたの?」
「わたしも一緒に行こうかなって」
そう言って彼女は笑った。
一人で歩くのに寂しさを覚えていたところなのでちょうどいいかと思った。
陽菜乃ちゃんは隣に並ぶ。
自然と歩幅を合わせて同じペースで歩き出す。彼女はゆっくり歩くタイプなのか、あたしはいつもより少しだけゆっくり歩くことを意識する。
さて、なにを話そうか。
そう考えたとき、陽菜乃ちゃんといるときはやっぱり隆之くんの話題を振ってしまう。
もちろん普通の会話だってするけれど、あたしは隆之くんの話をする嬉しそうな陽菜乃ちゃんの顔が好きなのだ。
「明日は隆之くんとデートなんだよね?」
そう口にすると、陽菜乃ちゃんの口元は自然と綻ぶ。頬が僅かに赤いのは寒さだけが理由じゃあないだろうな。
「うん、そうなんだ。さくパーに行くことになったの」
「さくパーかあ。あたしも久しく行ってないなー」
彼氏と遊園地なんて憧れる。
それもクリスマスに、だなんて。
それからデートについての会話を続けた。饒舌に話す陽菜乃ちゃんからは楽しみにしているの気持ちがこれでもかと伝わってくる。
自分ばかりが話していることに気づいたのか、陽菜乃ちゃんはハッとして口元を抑える。
「ごめんね、わたしばっかり」
「ううん。楽しいから平気だよ」
そんなところでコンビニに到着。
別に何を買うつもりでもなくやってきたので、コンビニの中をぶらつく。
盛り上がりの感じからして、間もなく解散ってわけにはいかなそうだからお菓子を買い足そうかな。
ポテトチップスやチョコレートを適当に見繕う。そのとき、隣を歩く陽菜乃ちゃんのお腹がぐうとなった。
「肉まんでも買って帰る?」
「あはは、そうだね」
お菓子と一緒に肉まんを二つ買って、あたしたちは来た道を戻っていく。
肉まんなんてめったに買わないから、ちょっとだけわくわくしちゃうな。
そう思いながら、あたしははむっと肉まんにかぶりつく。寒さの中での温かい食べ物ということもあって美味しいな。
「あのね」
そう切り出したのは陽菜乃ちゃんだ。
どうしたんだろう、と彼女の方を振り向いて驚いたのはもう肉まんを食べ終えていたこと。
食べるの早くない?
「こんなこと訊くのは失礼なのかもしれないけどね」
「うん」
なんとなく、なにを言おうとしているのかは分かっちゃった。
まあ無理もないか、と思いながら陽菜乃ちゃんの言葉を待つ。
「くるみちゃんはさ、隆之くんのことが好きだったでしょ?」
「そうだね」
「……今は、どうなのかなって」
あたしは今年の夏に隆之くんに思いを告げて、そして振られた。
そんな予感もしていたけれど、思いを告げずにはいられなくて、このままじゃだめだと思って勇気を出した。
振られたからといって、すぐに恋心を忘れることができるはずなんてないし、かといってじゃあ嫌いになれるのかと言われればもちろんそんなこともない。
実のところ、夏が終わってからもあたしの中には隆之くんへの気持ちが残っていた。
「陽菜乃ちゃんはそういうこと気にしてくれるんだね」
「……まあ、ね」
振られてから隆之くんとの接し方は本当に悩んだ。どうするべきなのか、ずっと考え続けた。
これまで通りに接しようと思った。
けど、それだけじゃ足りないと思って、これまで以上に友達であることを自分に意識付けた。
おかげで隆之くんとは、これまでとは違う新しい関係を築けたと思う。
今はどうか、か。
「まだ好きだよ。チャンスがあれば奪ってやろうかなって思ってる」
あたしは自分にできる精一杯のいたずらな笑みを浮かべてそう言ったのだけれど、すると陽菜乃ちゃんは言葉を失ったようにぽかんと口を開けて目を見開いた。
そのリアクションがあまりにも面白くて、あたしは思わずぷっと吹き出してしまう。
それで陽菜乃ちゃんも冗談だって気づいてくれたようで、むうっと可愛らしくふくれっ面を作った。
「あははは、ごめんね」
「んもう! 本気で焦ったんだよ!?」
陽菜乃ちゃんと話をしていると時間はあっという間で、気づけばカラオケの前まで戻ってきていた。
少しだけ物足りないな、と思う。
「もうちょっとだけ、散歩に付き合ってくれる?」
「え、う、うん」
この辺をぐるりと回るくらいでいいかな、と思いながらカラオケの前を通り過ぎる。
あたしの気持ち。
陽菜乃ちゃんがなんの後ろめたさを感じることなく、隆之くんと一緒にいるために。
それに。
あたしが、次の一歩を踏み出すために。
それははっきりさせておかないと。
「さっきの話ね」
あたしが言うと、陽菜乃ちゃんがこくりと頷く。
「あたしはちゃんと前を向いたよ。最初はやっぱり、好きって気持ちを忘れることはできなかったけれど、今はもう大丈夫」
そういえば、あたし陽菜乃ちゃんに直接言ってなかったような気がするな、とこれまでを振り返る。
「二人のこと、心の底から祝福してるよ」
あたしはその場に立ち止まる。
すると、数歩先に進んだ陽菜乃ちゃんがこちらを振り返った。
まるで宝石かと見紛うようなきれいな瞳をじっと見つめると、彼女がまとう雰囲気に緊張が混じる。
「陽菜乃ちゃん、おめでとう」
ちゃんと言えた。
気持ちを込めて、伝えることができた。
ならばきっと、あたしはもう大丈夫。
「ありがとう、だけど……なんでいま?」
「そういえば言ってなかったなって思ってね」
そうして二人で笑った頃には、再びカラオケの前に戻ってきていた。さすがに少し体が冷えたのでそろそろ戻ることにした。
「ねえ、陽菜乃ちゃん」
階段を上りながら言う。
陽菜乃ちゃんは「うん?」と小さく返事をした。
足は止めないまま、ちらと彼女の方を見ながらあたしは口を開く。
「あたしの次の恋、応援してくれる?」
*
「どこ行ってたんだ?」
部屋に戻るとステージの方で男女合わせた数人がこれでもかとはしゃいでいた。
陽菜乃ちゃんは梓のところへ向かっていって、あたしもそっちへ行こうかと思ったんだけど。
「陽菜乃ちゃんとお散歩デート」
優作くんが一人でいたから、こっちに来てみた。
あたしがそう言うと、彼はふぅんと何でもないように呟いた。視線はステージの方に戻して、ジュースの入ったコップを傾ける。
「ねえ、優作くん」
「うん?」
あたしも前に進もう。
陽菜乃ちゃんと話して、そう思った。
「明日、予定ある?」
「……急にどうした? 夕方からバイト入れちまってるけど」
突然こんなことを言うものだから、優作くんは怪訝な顔を見せた。そんな顔しなくてもいいのに。
「デートしよっか」
これが新しい一歩。
あたしの新しい恋の始まりだ。
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