第299話 ようこそ日向坂家⑩


 そういえば、と思う。


 きっと二人とも陽菜乃からいろいろ聞いてるだろうけど、俺からは一言も挨拶ができていない。


 これからも長い付き合いになってほしいと思っているし、そうするつもりだ。


 だとしたら、家族の人に認めてもらうのは第一ではないだろうか。


 俺はスプーンを置く。

 カレーがまだ半分近く残っているのに俺がスプーンを置いたことに違和感を覚えたのか、みんなの視線が俺に集まった。


「どうかした?」


 隣の陽菜乃が心配そうに訊いてきたので俺は何でもないよと笑ってみせる。


 そして、ご両親に向き直る。

 晴乃さんと和重さんは不思議そうに顔を見合わせて、俺の方を改めて見てきた。


「あの、言い忘れてたんですけど」


 緊張するな。

 そう思っても体は言うことをきいてくれない。しっかりと声が震えていた。


 すう、と息を吸う。


「陽菜乃さんとお付き合いさせていただいてます」


 言って、俺は頭を下げた。

 視界の隅でななちゃんが不思議そうに俺を見ているのが見えた。


「急にどうしたの? 陽菜乃からちゃんと聞いてるわよ。ねえ?」


「ああ」


「だとは思ったんですけど、やっぱり自分の口でちゃんと言っておいた方がいいと思いました」


 誰かと付き合ったことはないし、まして恋人の親に会うというイベントがこんなにも早く自分に降りかかるとは思っていなかった。


 だから、なにが正しいのかなんて分からない。もしかしたら、これは間違っているのかもしれない。


 けど、分からないから、自分が正しいと思うことをしないと。


「志摩君」


 これまでとは違い、真面目な声色で俺の名前を呼んだのは和重さんだった。

 俺がそちらの方を見やると、和重さんが真剣な表情で真っ直ぐこっちを見ていた。


「君のことは陽菜乃から聞いていたよ。真面目で優しい子だと。陽菜乃が選んだ相手だ、疑っていたわけではないが、今日こうして君を見てそれが間違いじゃないことは分かった」


「……はい」


「陽菜乃の選択が正しいのかそうでないのか、それは僕や晴乃が決めることじゃない。君達の付き合いにとやかく言うつもりもない。ただね、志摩君、一つだけ言わせておいてくれ」


 優しい声で、優しい表情だった。

 それは親としての顔。

 陽菜乃の幸せを切に願う父親のものだった。


「陽菜乃を悲しませるようなことはしないでくれ給え。無論、そんなことをしないとは思っているけれど、親としてはこれだけは言っておきたいんだ」


「約束します。絶対に陽菜乃さんを悲しませたりはしません」


 まるで誓いの言葉のように、俺は思いを紡いだ。

 陽菜乃が嬉しそうにこちらを見上げていて、なんだかこそばゆい気持ちになる。


 どうなることかと思ったけれど。


 今日、こうしてこの場にいて良かったなと思った。



 *



 夕食を食べたあと、ななちゃんの相手をしていたのだけれど、はしゃいで疲れたのか眠ってしまったところで俺は御暇することにした。


「また、いつでも来てね。志摩くん」


 ご両親に挨拶を済まし、日向坂家をあとにする。

 本当に良いご両親だったな、と思った。


「ちょっとそこまで送ってくるね」


 そう言った陽菜乃が外までついてくる。


 自転車なので駅までというわけにもいかず、送るの程度が分からない。そもそもそうなると陽菜乃一人の帰り道が不安である。


「ここまででいいよ。帰りが一人になるだろ」


「だいじょうぶだよ。ちょっとだけだから」


「いや、でも」


 別に道が分からないわけでもないし、と思ったのだけれど陽菜乃の不満げな顔を見て彼女の意図を何となく察する。


「最後の方、隆之くんおかあさんたちとばっかり話してたから」


 拗ねているというわけではないんだろうけど、少し寂しいというか、別れが惜しいということだろう。


 俺にその気持ちがないわけではないので、そういうことならと俺は彼女の言葉を受け入れることにした。


「わたしの親、変じゃなかった?」


 ねえねえ、と隣を歩く陽菜乃が訊いてくる。

 俺は陽菜乃の両親のことを思い出した。いや、もう思い出すまでもなく答えは決まってるんだけど。


「変かどうかで言うなら変だったかな」


「……そっかぁ」


 がっくりと項垂れる陽菜乃を見て、俺はくすりと笑みをこぼす。


「でも、嫌とかじゃなかったよ。良い両親だなって思ったし」


「そう?」


「ああ。うちの両親だって変だし、多分どこもあんなもんだよきっと」


 まあ。


 ちょっとテンション高めな人たちだったな、とは思うけれど。それでも陽菜乃を愛していて、陽菜乃も愛しているのは伝わってきた。


「また来てくれる?」


「ああ。また」


 次回は今回ほど緊張もしないだろうし。


 今日はそもそも顔を合わせる予定はなかったし、合わせたとしてもすれ違うくらいの挨拶になると思っていた。


 それがまさか、家族の食卓にお邪魔することになるとは本当に想像もしていなかったことだ。


 それに比べれば、次回は幾分か気も楽だろう。


「あ、そうそう」


 そんな話をしていると、陽菜乃が思い出したようにそんなことを言った。


「もうすぐクリスマスだけど、どうしよっか?」


 テストが終われば冬休みに入り、そのタイミングで訪れるのがクリスマスというイベントだ。

 俺はそれまでに彼氏として恥ずかしくないように完璧なプランを練らなければならない。


 しかし、何だかんだ勉強に追われていてまだ全然決まっていないのだ。


「どうするっていうのは?」


「どこかに出掛けるんだよね?」


「そうだね」


 スケジュールは空けてもらっている。

 だからどこかに出掛けることは確実なんだけど。


「だから、どこに行こっかって」


「それは俺が考えることで」


「どうして?」


 陽菜乃はきょとんとする。

 俺はそのリアクションにきょとんとしそうになる。首を傾げた陽菜乃はおかしそうに笑う。


「二人で考えようよ。そっちの方が楽しいよ?」


「でも、こういうのは彼氏の役割じゃ」


 あれ。


 なんで俺、そういうふうに考えてたんだっけ。


 いつからか、勝手にそう思い込んでた?


「世間ではどうか知らないけど、わたしたちはわたしたちだよ。わたしは二人で考えたいな」


「……そうしてくれると、助かる。ぶっちゃけ全然思いつかなくて困ってたんだ」


 柚木が言ってたな。

 

『もっと気軽にいくといいよ。クリスマスって一人だけのイベントじゃないんだからさ』


『隆之くんと陽菜乃ちゃん、二人のイベントなんだよって言ってるの』


 あれはこういうことだったのか。

 一人で悩む必要なんてないし、むしろ二人で楽しんだらいいんじゃない、と柚木は言ってくれていたんだ。


 本当に俺はまだまだだな。


 教えられてばかりだ。


「けど、その前にテスト頑張らないとね。赤点なんて取ったらお小遣い減らされちゃうし」


「そうだな。お年玉にも響きそうだ」


 クリスマスについてはまた来週くらいにゆっくり考えよう、ということになった。


 駅前に到着したところで、さすがにここまでで大丈夫ということを伝えると陽菜乃は少し惜しむように笑って頷いてくれた。


「それじゃあまたね、隆之くん」


「ああ。また」


 自転車に跨り、ペダルを踏み込む。

 夜空の下を一人駆けながら、俺はクリスマスのことを考えていた。


 どうしようかな。

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