第296話 ようこそ日向坂家⑦


 話では両親の許可は取っているということだったけど、だとしたら陽菜乃のこの表情はなんなのだろう。


 ああ言ってたけど実は親にはシークレットだった、みたいなことだろうか。


 いずれにしても、お邪魔している以上は挨拶をしないわけにはいかない。


「とりあえず挨拶しに行こうか」


「……う、うん」


 なんなんだ、そのリアクションは。

 限りなく平然を装ってはいるけれど、これで実は結構動揺してるんだけどな。


 一度目はハロウィンイベントのときで、あのときもゲリラ的な遭遇であり心の準備はできていなかったけど。


 まさか二度目もこんな感じとは。

 いや、家にお邪魔しているのだからこの会合は避けられなかったわけで、油断していた俺が全面的に悪いな。


「なんでそんなリアクションなの?」


「……だって、あんまりおかあさんと隆之くんを会わせたくないんだもん」


 ああー。

 その気持ちはなんとなく分かる。それでそういうリアクションだったのか。


 しかも、晴乃さんってグイグイ来る感じだからな。娘としては何を言われるか分からなくて不安にもなるか。


 陽菜乃に連れられ階段を降りる。

 二階のリビングの前に到着したけど中からは物音一つしない。帰ってきたとは言っていたけど、まだここにはいないのだろうか。


「……じゃあ、行くよ? 覚悟はいい?」


「そんな確認されるレベルのことなの?」


 陽菜乃はリビングのドアを開けて中に入り、俺もそれに続く。ちらと見えたリビングの奥には人影はなくて、やはり俺はクエスチョンマークを浮かべてしまう。


 が。


 次の瞬間だった。


「おにーちゃーん!」


 影の方から飛び出してきたのかななちゃんが突然視界の中に現れた。


「うおッ」


 抱きつかれて一瞬ぐらついたけれど、なんとかこらえた俺はしゃがんでななちゃんの頭を撫でる。


「久しぶりだね、ななちゃん」


「あいたかったよぉ」


 言いながら、すりすりと俺の胸に顔を埋めてきた。なんだこれ可愛いやばいたまらない。


「それ」

 

「ふぁ」

 

 俺はななちゃんを抱き上げて、そのままリビングの奥の方へと向かうことにした。


 ななちゃんは姿を見せたけど、やはり晴乃さんの姿はなくて、一体どこに行ったのだろうと思っていると。


「お兄ちゃーん!」


 と、可愛らしい声と同時に背中に衝撃が走る。凄まじい弾力が背中に押し付けられ、幸福感が一気にカンストした。いや、そうじゃなくて。


「ちょ、あの」


「なによう、ななは許すのに私はダメなわけー? 志摩くんってば冷たーい」


 背中から抱きつかれているので、必然的に発言が耳元でのものになり、ぞわぞわと不思議な感覚に襲われてしまう。


 くそ、なんだこれ、どうしたらいいんだ。


「ちょっとおかあさん! 離れてよ隆之くん困ってるでしょ!」


「困ってないよね? 幸せだよね?」


「いや、えっと、その」


「隆之くん?」


 陽菜乃の表情が少しだけ怖かった。

 だってしょうがないじゃないですか。彼女のお母さんだからぞんざいには扱えないし、かと言ってじゃあどうしろって感じだし!


「おにーちゃん、ぎゅーってして?」


「ああ、ななちゃん今はちょっと待って」


「ぎゅー!」


「ねえ、志摩くん。私もぎゅーってして欲しいなぁ」


「もうっ、おかあさん!」


 なんでもいいから、どうにかしてくれ!



 *



 挨拶と休憩を兼ねて、俺が買ってきたケーキをみんなで食べることになった。


 俺の前に晴乃さん、隣に陽菜乃、そして膝の上にななちゃんが座り、俺は日向坂家の女に囲まれてしまった。


「こら、ななっ! おにいちゃんに迷惑でしょ!」


「んー! やっ!」


「大丈夫だよ、陽菜乃。ありがとう」


 ななちゃんは嫌だ嫌だと拒絶の意を見せる。これくらいなら可愛いものなので、俺としては問題ないのだけれど。


「そう?」


「陽菜乃ってば、ななにまで嫉妬しちゃってー」


「そんなんじゃないよっ」


 晴乃さんにからかわれて、陽菜乃が荒れる。こんなことになるのなら、確かにあんな表情にもなるか。


「あーん」


 ななちゃんが口を開くと、俺はショートケーキを小さく切ってそれを運ぶ。


 むぐむぐとななちゃんが食べている間に自分のミルクレープを食べていく。


 晴乃さんはモンブラン。陽菜乃はフルーツタルト。今はいないがお父様にはビターのチョコレートケーキを買ってきた。すべて広海さんチョイスである。


「あの、お母さん」


「やだ志摩くんってばお義母さんだなんて。気が早いわね?」


「……晴乃さん」


「照れちゃってぇ」


 この人、何歳なんだろう。

 見た目だけで考えたら陽菜乃のお姉さんと言われても疑わないレベルだ。それくらいに美人で若々しい。


 本当に陽菜乃がそのまま大人になったような容姿で、紹介されなくても陽菜乃の家族だということは容易に想像できてしまう。


 髪は短めだけど胸は大きめ。

 陽菜乃とそっくりで、そんな感じなので、どうしてもドキドキしてしまう。ペースも狂わされる。


「それで?」


「いや、ご挨拶が遅れまして。今日はお邪魔させていただいて」


「気にしないでよ。私も志摩くんとお話したかったんだもん」


「あーん」


 ななちゃんにケーキを与え、晴乃さんに向き直る。


 歓迎されている感じで助かったなとは思う。まあ、前回の様子から邪険に扱われるとは思っていなかったけど、それでもやっぱりホッとした。


「ていうか、陽菜乃から聞いたわよ。付き合ったんだってね?」


 言ったのか。

 別に隠すことでもないし、俺だって梨子には報告したからそれと同じなんだけど、親にも言うんだなと少し驚く。


「わたしが喜んで話したみたいな言い方しないでよ」


「というと?」


 むすっとした調子の陽菜乃に尋ねると、楽しそうに晴乃さんが答えてくれた。


「修学旅行から帰ってくるなりずっとにやにやしてるから、志摩くんと付き合ったのー? って訊いたのよ」


「はあ」


「それで陽菜乃が、そうだよーって」


「そんな平和なエピソードじゃなかったでしょ」


 晴乃さんの話を陽菜乃が否定した。どういうことかしら、と陽菜乃の方を見ると、彼女は呆れたように真実を語り始めた。


「言うといろいろ面倒になると思ってなんでもないって答えてたの。そしたら部屋に入ってきてしつこく訊いてくるから、もう寝るってなっても帰らないから諦めて言ったんだ」


「だって気になるんだもーん」


 母と娘ってそんな距離感なのかな。

 梨子と母さんも一緒に買い物行ったりするし、やっぱり男とは関わり方も違ってくるのか。


「お父さんも志摩くんに会いたがってるのよ?」


「お父さんも……?」


 そりゃ、そうなってくるとお父様の耳にも彼氏である俺の存在は届いているに違いないだろう。


 会いたがってる、ということは前向きな気持ちを持っていてくれているとは思うけど。


『オレの娘に手ェ出したクソ野郎はどこのどいつだ?』


 みたいなニュアンスである可能性も拭い切れないし。


 陽菜乃のお父さん、か。

 どんな人なんだろう。


「あーん」


「はい」


 いつ会ってもいいように、覚悟はしておいた方がいいかもしれないな。 

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