第295話 ようこそ日向坂家⑥


 女の子の部屋に入るのは初めてだ。

 妹である梨子を女の子のジャンルに入れるならば二人目ということになるけれど、梨子の部屋はそんなに女子女子していない。


 昼食を食べ終えた頃には時間は午後一時を回っていて、いよいよ本日のメインイベントであるお勉強会を開催することになった。


 そのために、リビングを離れ三階にある陽菜乃の部屋へと向かう。

 三階には陽菜乃の部屋の他にもう一つ部屋があった。尋ねたところ、どうやらご両親のものらしい。


「どうぞ」

 

 ドアを開き、中に入る。


 女子の部屋と聞いて想像するのは可愛らしいものがどっさり置かれた部屋だったけれど、意外とそうでもなくてこんなものかと拍子抜けした。


 がっかりした、というわけではなくて、男も女も別に変わらないんだなという安心のような気持ちだ。


 勉強机があって、その隣にはクローゼット。窓のすぐ近くにはベッドが置かれていて、枕の横にはくまのぬいぐるみが置かれていた。


 あれ、あのぬいぐるみって。


「どうしたの? あんまりまじまじ見られると照れるんだけど」


 言いながら陽菜乃が俺の視線の先を見る。そこにくまのぬいぐるみがあることが分かって、彼女はそっちの方へ歩いてぬいぐるみを手にする。


「これ、隆之くんがくれたぬいぐるみだよ」


「やっぱり、そうなんだ」


 去年のクリスマス。

 陽菜乃に渡したプレゼント。

 全然分からないなりに彼女に喜んでもらおうと用意したものだ。


 大切にしてくれているのは嬉しいんだけど、ベッドに置くくらいのレベルだと照れてしまうな。


「これね、ほんとに嬉しかったんだ」


「そう、なんだ」


「うん。あれからずっと、一緒に寝てるんだよ」


 慈しむような表情を浮かべ、くまのぬいぐるみを撫でる。まるで自分がそうされているような気分になって、変にこそばゆい。


「なんだか隆之くんと寝てるみたいな気分になるの」


「あんまりそういうことは言わないほうがいいと思うんだけど」


 俺はそれにどうリアクションしたらいいんだ。

 ここには俺と陽菜乃しかいなくて、家にも誰にもいない。俺の中で変な衝動が起こって抑えられなくなったらどうするつもりなんだろう。


 そんなことを思いながら言うと、陽菜乃はベッドに座ってくまのぬいぐるみを元あった場所に戻す。


 そして、立ったままいる俺に上目遣いを向けてきた。


「一緒に寝てみる?」


「……」


 ぐっと。


 自分の中の奥から何かが込み上げてこようとしていた。今こんなところで、そんな衝動に襲われたらどうしようもなくなる。


 俺は陽菜乃に気づかれないように小さく深呼吸して心を落ち着かせた。


「また今度ね」


「また今度なら寝てくれるんだ?」


 からかうように、妖艶な笑みを浮かべて言った陽菜乃はベッドから立ち上がりマットの敷かれた床にテーブルを用意し始める。


「さて、それじゃあお勉強を始めよっか」


 そんなわけで、ようやく勉強が始まった。始まる前からなんかどっと疲れてしまった。



 *



 基本的には各々で、たまに分からない部分を確認し合ったりしながら二時間ほどが経過した。


 人がいたら集中できないような気がしていたけれど、意外とそんなことはなくて、聞いていた通りむしろ相方が頑張っているのを見て自分もやらねばという気持ちにさせられた。


「ちょっと休憩しよっか」


 陽菜乃のその言葉を合図に勉強は一時中断された。飲み物を持ってくると陽菜乃は部屋を出ていき、俺は一人残される。


 落ち着かなくて部屋の中をきょろきょろと見渡す。勉強机のところに写真立てがあることに気づいた。


 さすがに見られて困るものではないだろうと俺は立ち上がりその写真立てを手にした。


 中学時代の日向坂陽菜乃。

 髪は今に比べると短めで、スタイルも今よりは控えめだ。けど、笑顔は今と変わらない。


 体育祭のときの写真だろう。

 赤色のハチマキを頭に巻き、同じく赤色のハチマキをした女子数名とピースをして写っていた。

 勝利の笑顔かな、と思ったけどよく見たら後ろに得点が表示さらてて、それを見るに紅組は負けていた。


 俺はその写真を置いて、隣の写真立てを手にする。


 高校生のときの陽菜乃だ。

 そのときの彼女は俺の見慣れた日向坂陽菜乃で、その写真は一年のクリスマス会のときに撮ったものだった。


 他にも二年に上がってから行われた体育祭のときの写真。そこには俺と秋名、柚木と樋渡が写っている。

 いつからか、この五人で一緒にいることが当たり前になったな。


 文化祭の写真もあった。

 一日目の劇の後に撮った写真で、俺と陽菜乃は真ん中にいる。演劇の衣装を着たままだ。このときは本当に大変だった。

 陽菜乃のことが好きだと気づいて、どうしたものかと悩んでいるときで、写真の距離感もなんかそんな感じがする。


 修学旅行の二日目。

 いつもの五人で撮った写真があった。いろいろあったけど、本当に楽しい三日間だったなあ。最終的には陽菜乃と今の関係になれた思い出深い記憶だ。


 こうして見ると、俺と陽菜乃が二人で写っている写真がほとんどない。自撮りで撮ったことはあるけれど、他人に撮ってもらうことは中々なかったな。


 付き合う前はどうしても小っ恥ずかしさがあって、抵抗を捨てきれなかったんだ。


 これからはそういうのも増やしていければいいなと思う。俺も写真立てとか買おうかな。こういうのなんかいいし。


 静かな部屋の中、一人で黙々とそんなことをしていると、小さな音が僅かにしたような気がした。

 どこかのドアが開いたような音で、そんな音は普通にあるだろうと特に気に留めることもなかったのだけれど。


 そのすぐあとだ。


 この勉強会が思わぬ方向に向かい始めるきっかけが起こった。


 と、いうのも。


「あのね、隆之くん」


 部屋に戻ってきた陽菜乃は飲み物を持ってくると言っていたわりには手ぶらで、どうしてか少し不満げな表情をしていた。


「どうした?」


 尋ねると、言いづらそうに視線を泳がせて、そして控えめな声でこんなことを口にした。


「おかあさん、帰ってきちゃった」


 ……ほお。

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