第293話 ようこそ日向坂家④
陽菜乃の家に来るのは二度目だ。
一度目はハロウィンのイベントを手伝いで、子どもの付き添いで家を回っていたとき。
あのときは本当に不意打ちだった。
陽菜乃のお母さんのインパクトに押されて結局ほとんど会話という会話はできなかった。
またおいで、的なニュアンスのことは言われたけれど、まさかこんなタイミングでその機会がやってくるとは思わなかった。
「だいじょうぶだよ、お昼はみんな出掛けてるから誰もいないし」
「そうなの?」
何度か断ってみたんだけど、他に場所はないし解散の選択肢は陽菜乃が受け入れてくれないしで、結局こちらが折れることになった。
「うん。だから、二人きりだよ」
にいっと楽しそうに笑う陽菜乃。
それはそれで別の問題があるような気がするんだけど、気にしないでおこう。
今日は勉強が目的なんだし。
「お邪魔するなら何か手土産はあった方がいいか」
「みんないないから気にしなくてもいいよ?」
「いやいや。家に上げてもらう以上は、なにか用意しないと」
イオンモールとかに行けばそれらしい菓子折りなんかも売っているだろうけど、良し悪しが分からないし。
「俺、ちょっと広海さんのとこ行ってくるわ」
「いやいや、だいじょうぶだって」
「これは俺の自己満足だから! 陽菜乃は先に帰って部屋の掃除とかしといて!」
「掃除は昨日の時点で終わらせてるよ!」
「じゃあ先に帰って勉強しててくれ!」
それだけを言い残し、俺は猛スピードで自転車を漕ぎ始める。それについてこれなかった陽菜乃の姿はみるみるうちに小さくなっていく。
急げば十分くらいで到着するだろうし、あそこはよほどのときじゃないと混まないから購入まで時間もかからないはずだ。
そんなことを考えながらひたすら自転車を走らせて、広海さんのお店に到着する。
中に入ると、案の定というか予想通りというか、お客さんは一人もいなかった。
「おや、志摩クンじゃないか。土曜に来るのは珍しいね?」
よほど暇だったのか、イートインスペースのイスに座ってぼーっとしていた広海さんが立ち上がる。
「ちょっといろいろありまして。土曜もお客さんいないんですか?」
「これでもさっきまでは割と忙しかったんだよ?」
なんかそのセリフよく聞くけど。
とりあえず言ってないか?
「お、信じてないな? ショーウインドウに並んでるケーキを見なよ。その減り具合から分かるでしょ?」
言われて見てみると、確かにある程度の数が捌かれたあとのような雰囲気はある。
今回は本当なのか。
「今日はどうするんだい?」
「実は……」
俺は今回の事情を説明する。
陽菜乃がここの常連ということは、陽菜乃の家族の好みも広海さんなら把握しているかもと思ったんだけど。
「なるほどね。じゃあ、適当に見繕えばいいのかい?」
「お願いしてもいいですか?」
了解、と快い返事をくれた広海さんが鼻歌混じりにケーキを選んでいく。
時折迷いはあるけれど、それは好みを知らないというよりは、二つある好みのうちの一つを選んでいるような感じ。
「これはつまり、家族とご対面ってことかい?」
見繕いながら、広海さんが話しかけてくる。
「いや、今日は出掛てるみたいなんですけど。お邪魔するんで何か買っておいた方がいいかなと」
「そういう気持ちは嬉しいもんだよ。みんなさぞかし喜ぶだろうね」
ケーキを選び終えた広海さんがレジをタンタカ売って会計を済ませてくれる。
「ちょっとおまけしておくよ」
「いつもありがとうございます」
俺が買いに来ると大抵こんなことを言って、値段を割り引いてくれたり別のお菓子を入れてくれたりする。
悪いなとは思うけど、広海さんの厚意を無駄にはできないのでありがたく受け取っている。
ケーキを受け取り、帰ろうとした俺の背中に広海さんが言う。
「二人きりだからって、変なことしちゃダメだよ」
「しませんよ!」
お約束のセリフにツッコミを入れ、俺は店をあとにした。
*
家の場所は何となく覚えていたので問題ないと思い、陽菜乃には先に戻ってもらったのだけれど、果たして俺は辿り着けるのだろうか。
そんは不安を抱きながら自転車を右へ左へ走らせていたが、俺の記憶力は捨てたものではなく難なく日向坂家へ辿り着いた。
家には誰もいないって言ってたよな。
その言葉を信じて、俺はインターホンを押した。少し待つと『ちょっと待ってねー』という陽菜乃の声がしてドタドタと足音が近づいてくる。
一軒家の日向坂家は外から見た感じだと三階建てのようだ。玄関のすぐ隣にはガレージがあって大きめの車が停まっている。
ガチャリ、とドアが開かれ陽菜乃が登場した。
「遅かったね?」
「ちょっと広海さんと話してて」
ふうん、と不思議そうな顔をした陽菜乃だったが、別段気にすることはなくそのまま家に招き入れてくれる。
そんなことより気になったのは陽菜乃がエプロンをしていたことだ。
どうしてエプロンをしているのか訊こうとしたけど、それ以上に日向坂家に足を踏み入れる緊張が勝ってしまう。
人様の家に上がるというのは何歳になっても緊張するものだ。
小学生の頃はそういうこともあった。友達の親が妙に怖くみえたり、優しいお父さんが人気だったり、はしゃぎすぎて怒られたり。
中学くらいにはそういう機会も減ったし、それら全ては男友達の家だった。
なので、異性の家というのは本当に初めてと言っていい。
ましてここは彼女の家だ。
緊張しないわけがない。
「そこにあるスリッパ適当に使ってね」
ごくり、と生唾を飲みながら俺は言われるがままにスリッパを履くことにした。
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