第290話 ようこそ日向坂家①
テスト一週間前になると部活動は休みになり、生徒それぞれが勉強に励み始める。
これまで勉強というものと向き合ってこなかった生徒もさすがにこの時期だけは机にかじりついている。
中には諦めて遊びに出る生徒もいるらしいけど、そういうやつは意外と一夜漬けで何とかしてしまったりするからたちが悪い。
「……」
金曜日。
登校すると秋名が死んだような顔をしていた。
放課後になると柚木先生に勉強を見てもらっているそうだけど、どうやら相当にしんどいらしい。
秋名はあんまり勉強は得意じゃないからこの時期は毎回こんな感じになるから今さら心配もしていないけど。
「だいじょうぶ?」
陽菜乃が秋名の肩を揺する。
まるでこのあと絶命でもするような弱々しい動きで陽菜乃を見た秋名はゆっくりと口を開く。
「……大丈夫に見える?」
「見えない」
「そういうことだよ」
陽菜乃はぐったりとした秋名を心配している。俺は近くで同じような状態になっている樋渡の方を向いた。
「秋名の奴、家に帰ってからも勉強してるらしいぜ。お前らを見返してやるってさ」
「それは凄いな」
樋渡の方はそこまでバタンキューな状態ではないらしい。
こいつはこいつで勉強苦手勢だけど、秋名ほどではないのか、それとも自分のペースをきちんと理解しているのか。
「凄えよな。あんだけ勉強するなんて尊敬するよ」
「普段から勉強してればテスト前にあれだけ勉強しなくて済むんだけどな」
他に尊敬するべき人はいると思う。
多分、樋渡は樋渡でちゃんと勉強してるからそれ以外の思考能力が低下してしまっているんだろうな。
秋名も、樋渡も、少なからず勉強に追われることによる影響は受けている。
けど、それはまあいつも通りといえばいつも通りなわけで。
だから、そんなことより一つ気になることは。
「柚木、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないだろ。どう見ても」
柚木は自分の席に座り、机に突っ伏していた。それはかつて見たことがない光景だった。
登校すれば既に教室にいて、クラスメイトの誰かしらと雑談に花を咲かせているイメージ。
朝からあんなにぐったりしている柚木は初めてだ。
「僕たちに勉強を教えていることがしんどいんだろうな」
「なんで他人事みたいに言えるの?」
どうやら樋渡も重症らしい。
そんな樋渡は放っておいて、俺は柚木のところへと向かう。彼女の肩を揺すり、名前を呼ぶと首だけを動かして俺の顔を見た彼女が口を開く。
「つらい」
「そんなにか?」
柚木は無言でこくりと頷く。
俺も秋名に勉強を教えたことはあるけれど、それは陽菜乃と一緒だったりすることがほとんどだった。
一人で秋名と樋渡の二人の面倒を見た経験は少なくともない。まさかこれほどまでに消費するとは。
「手伝おうか?」
さすがに見てられず、そう提案したけれど柚木はゆっくりと首を振る。
「ここまで来て人に頼るのはあたしのプライドが許さないよ」
「そんなプライド捨ててもよくない?」
「テストが終わったら、梓と優作くんには死ぬほどお礼してもらうんだ。具体的に言うとケーキをお腹いっぱい食べさせてもらうの」
「そ、そうなんだ」
柚木には柚木の考えがあるらしく、だとしたらこれ以上俺からは何も言えないな。
「そんなことより」
言いながら、柚木が体を起こす。
「隆之くんはクリスマスの予定決まったの?」
「あー」
いろんな人に訊いて回った、俺がテスト以上に問題にしている重要なことだ。
赤点ほどの危機には陥っていないけど、以前に比べると勉強の時間は減っているのが現状だ。
俺も勉強しないわけにはいかず、そっちに意識が向いた結果、今のところその問題は解決に至っていない。
「実はまだなんだよな」
「相変わらず考え込むねえ」
「そういうつもりはないんだけど」
考え込んでいるのだろうか。
難しく考え過ぎているのだろうか。
「もっと気軽にいくといいよ。クリスマスって一人だけのイベントじゃないんだからさ」
「どういう意味だ?」
よっと立ち上がった柚木はにこりと笑って俺の方を見た。
「隆之くんと陽菜乃ちゃん、二人のイベントなんだよって言ってるの」
それだけ言って、柚木は陽菜乃と秋名のところへ行ってしまった。ぐったりしている秋名にちょっかいを出して楽しそうに盛り上がり始める。
一人だけのイベントじゃない。
俺と陽菜乃、二人のイベント。
か。
*
「梓たち、週末は勉強合宿なんだって」
その日の帰り道。
駅までの道を二人並んで帰っていると、陽菜乃がふとそんなことを言った。
「あんな状態なのに、さらに自分を追い込むつもりか」
その心意気や良し。
確かに尊敬するに値するかもしれない。秋名が覚醒し万が一にも負けるようなことがあってはいけない。
「俺も勉強しようかな」
この週末は勉強三昧といくか。
もともとそのつもりではあったんだけど、さらに気合いが入ってしまった。
今の俺はやる気に満ち満ちてるぜ。
「じゃあ、一緒に勉強しようよ?」
陽菜乃がナイスアイディアとでも言うように手をパンと合わせながら笑顔を浮かべた。
「いいけど。勉強になるか?」
「ちゃんと、するよ?」
なんで疑問形なの。
なんで自信無さげなの。
なんで目を逸らすの。
「ほんとだよ! なんなら隆之くんと会えない方が勉強に集中できないよ!」
「なにそれ」
俺はこれまで勉強は一人でしてきたので、もちろん勉強は一人の方が捗る派だ。
ただ人に教えるというのも効率的な勉強手段であることは知った。
けど陽菜乃は俺が教えるような相手ではないし、そもそも陽菜乃が隣にいて勉強に集中できるだろうか。
「隆之くんと会いたいなぁ会いたいなぁって考えちゃうの」
「反応に困る」
「二人で勉強も悪くないんだよ? 相手がサボってないから自分も頑張らないとってなるし」
「なるほど」
そういう効果が見込めるのか。
確かに一人だとスマホを触ったり本を読み始めたり、果ては部屋の掃除なんかを始めたりしちゃうからな。
「図書館とかに行けば静かだから勉強するしかないしね」
「確かに」
「とにかく! 一緒に勉強しよ?」
俺の腕を持って、ねーねーとおねだりしてくる。過去に見ない駄々のこね方に俺は折れることにした。
「まあ、いいけど」
だって可愛いんだもん。
そもそも俺だって会えるもんなら会いたいしな。
陽菜乃の顔が見れて、勉強に集中できるなら一石二鳥だ。
「やった。これで、テスト前にも関わらず隆之くんとデートができるよ!」
「デートなの、これ?」
「お勉強デートじゃない?」
「お勉強デート、ねえ」
おうちデートとか放課後デートなんて言葉は聞いたことがあるけど、そんなデートは聞いたことないな。
まあ。
陽菜乃がそう言うんなら、そうなんだろう。
それでいい。
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