第288話 わたしの彼氏⑫


 電車に揺られ、陽菜乃の最寄り駅に到着する。

 冬になるにつれて暗くなるのは早くなる。まだ六時になっていないものの、世界は陽の光を失い始めていた。


 ということで、陽菜乃を家に送ることにする。


「あのね」


 ずっと、なにかを言おうとしては吐き出せないのを繰り返していた。


 なにを話そうとしているのか。

 なにを気にしているのかは何となく予想がつく。


 けれど、それを俺から訊くのは違うような気がして、この帰り道、そこには触れないことにしていた。


 恋人だからといって相手の全てを知らなければならないわけではない。

 もちろん、相手に全てを伝えなければならないわけでもない。


 言いたくないことだってあるだろう。


 だから、俺は陽菜乃が言おうとしないことを無理に訊き出そうとは思っていない。


 けど。


 もし、陽菜乃が勇気を持ってくれたなら、俺はそれを受け入れようと思う。


「わたし、中学のときに一度だけ男の子とお付き合いをしたことがあるの」


 ぽつり、ぽつりと話し始める彼女の言葉に耳を傾ける。


 俺たちが歩く歩道には他に人はいなくて、時折過ぎ去る車のエンジン音が耳に届くだけ。


「うん」


「知ってた?」


「知る由もなかった」


 陽菜乃が言っていないことを、俺がどうやって手に入れると言うんだ。


「怒ってる?」


 さっきのは冗談というか、こちらの言葉のための軽いジャブのようなものだろう。


「怒ってないよ。どうして?」


「……わたしがそれを隠してたから」


 彼女がそう口にしたとき、隣に見えてきたのは少し広めの公園だった。

 以前、ハロウィンのイベントを手伝ったときに集まった場所だ。


「ちょっと話そ?」


「俺は大丈夫だけど。寒くない?」


「こっちのセリフだよ。わたしは全然」


 そんなわけで俺たちは公園に立ち寄ることにした。

 さすがにこの時期のこの時間に遊ぶ子供はいないようで、公園の中には俺たち以外に人はいない。


「なにか飲む?」


 公園の中に自販機があったので、ホットドリンクでも飲もうかと訊いてみる。


「え、いいよ。自分で買うし」


「これくらい買わせてくれよ。大したものは奢れないんだから」


 そう言うと、陽菜乃は「じゃあ、遠慮なく」と笑顔を見せてくれた。


 俺はカフェラテ。

 陽菜乃ははちみつレモン。


「なんか珍しいの飲むんだな」


「うん。冬になると飲みたくなるんだ」


 あちあちとホットドリンクを手にしながら、俺たちは空いているベンチに並んで座る。


 二人の距離はほとんどなくて。

 互いの体温を感じるほどに近い。


 はちみつレモンをこくりと一口飲んだ陽菜乃が、はふうと白い息を吐く。


「……あのね、隠してたわけじゃないの」


 再び話し出したのはさっきの話の続きだ。

 俺は陽菜乃の方を見ながら、黙って言葉の続きを待つ。


「ただ、言うタイミングを逃してたっていうか、わたしにとっては過去のことだから、わざわざ言うことでもないのかって」


 彼女は言っていた。


 大切なのは過去よりも未来で。


 未来よりも今だと。


「けど、隆之くんは過去を気にするって言ったでしょ?」


「まあ」


 見えないものは気にしない。

 ただ、それが見えてしまうと気になってしまう。


 陽菜乃が過去に誰かと付き合っていたかとか、どういう人生を送ってきたのかとか、気にならないわけではなかったけれど、公開を無理強いするのは違うような気がして。


 きっと、機会があれば語られる。

 だから、そのときまでは気にしないようにと思っていた。


「そのとき、急に言わなかったことが後ろめたく感じたの。でも、言い出せなかった。もしかしたらって考えると怖くて」


 あはは、と陽菜乃は乾いた笑いを見せた。


 俺は小さく息を吐く。


「気にする、とは言ったけどさ。根本的な部分は俺も陽菜乃と変わらないよ。大切なのは今だってこと。過去は過去でしかないこと」


 いろんなことがあって今の自分がいるし、今の自分が前に進むから未来に繋がっていく。


 これまで俺が通ってきたいろんなことが今に繋がっているんだ。


「驚いたというか、ちょっと動揺はしたけどさ。そのときの陽菜乃の選択があったから、今の陽菜乃がいるんだって思うから。だから、気にしないよ」


「……うん。ありがと」


 くっとはちみつレモンを飲み干した陽菜乃は立ち上がって俺の前に移動した。


 目の前に立たれるとちょうど胸元辺りが視線の先に来てしまうので目のやり場に困る。


 俺はそこから視線を逸らすように彼女の顔を見た。


「どうしたの?」


「わたし、もう秘密はないからね」


「秘密?」


「うん。今回みたいな隠し事。これからはちゃんと言うし、言ってほしい。隆之くんは隠し事、ない?」


「ない、と思うけど」


 言ってから、俺は一つ思い出す。


「この前、秋名と二人で帰ったことがあったんだ」


「梓?」


 こくり、と頷いて続ける。


「陽菜乃が友達と帰るって言ってた日。たまたま秋名が一人で、これから帰るって言ってたから」


「隆之くんは梓のこと好き?」


「友達としては好き」


「女の子としては?」


「陽菜乃以上の人はいない。断じて浮気とかそういうのではないんだ。だから、何も気にせずに帰っちゃった」


 そう言うと、陽菜乃はにへっと笑顔を浮かべる。ぐにゃりと崩れたその笑顔はとても幸せそうだ。


「ありがとね。気にしてくれて」


「まあ、ある人に指摘されて……」


「絵梨花ちゃんだ?」


「まあ」


 俺が苦笑いをしながら肯定すると、陽菜乃はくすくすと小さく笑う。


「でもね、わたしは隆之くんも梓も、くるみちゃんだってそうなんだけど、ちゃんと信じてるから付き合ったからって突き放す必要はないよ? ただ、そういうときは一言くれたら嬉しいかも」


「……そうする」


 俺は本当に知らないことばかりだ。

 いろんな人に指摘されて、初めて分かることがいっぱいある。


 まだまだこれからだ。


「けど、無理に何でもかんでも言う必要はないよ」


 俺も立ち上がる。

 隣に並ぶと身長差があって、自然と陽菜乃は上目遣いになる。


「わたしが言いたいの」


「そっか」


「隆之くんも、無理に何でも言わなくていいんだよ?」


「隠すほどの出来事がこの先、俺に起こるかどうか」


 きっとないな。

 なんでも話せてしまうに違いない。


 俺たちはまだ付き合って間もない。

 これから二人で、二人だけの関係性を築いていく。


「帰ろうか」


「うんっ」


 そんなことを思う一日だった。

 気軽に出掛けるだけの一日かと思っていたけど、まさかこんなことになるとはな。


 まあ、秘めていた言葉を吐き出せたところから考えるに。


 きっと。

 

 結果オーライなんだろうけど。

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