第287話 わたしの彼氏⑪
隆之くん以外の人なんて考えられない。
ほんとうに心の底からそう思えるくらいに、わたしは彼のことが好きだ。
凄く格好いい人よりも、隆之くんの方がいい。
凄く面白い人よりも、隆之くんの方がいい。
凄くお金持ちの人よりも、隆之くんの方がいい。
凄く勉強ができる人よりも、隆之くんの方がいい。
運動ができても、女の子にモテても、優しくても大人っぽくてもスマートでも強くても。
そんな人より隆之くんがいい。
他のどんな人に好きだって言われても、わたしは――。
*
「お前」
前に出た俺を越野氏が睨む。
しっかりと敵意が込められた視線だったけど、俺はまっすぐと睨み返す。まあ、こっちは睨むというほどの目はしてないけど。
「自分が日向坂に相応しいと思ってるの? お前みたいなやつがそんな可愛い子の隣歩いてて恥ずかしいと思わないわけ?」
煽るような言葉に俺は一度口を噤んだ。
相応しい、か。
それは何度も考えたことだ。
どれだけ自問自答を繰り返したことか。考えても考えても考えても、答えは出なかった。
いや、自分を納得させる答えを見つけることができなかった。
だから動かなかった。
だから動けなかった。
だから、陽菜乃を待たせてしまった。
俺なんかが陽菜乃の隣にいていいのかって。
まさしく彼の言う通りだ。
相応しいのか。
相応しくないに決まっている。
可愛くて。
優しくて。
面白くて人気者で。
気遣いができて人の気持ちに寄り添えて。
自分に正直で。
何もない俺なんかがって何度も思った。
でも。
「思わないよ」
それは過去のことだ。
陽菜乃に気持ちを伝えた日に。
否、彼女に気持ちを伝えると決めた日に。
俺はその疑問に答えを出した。
相応しくない。
それは仕方ない。
積み重ねてきたものが違うから。
でも、そこで諦めるんじゃなくて。
今はまだ未熟でも。
彼女の隣にいるに相応しい男になれるように頑張ろうって決めたんだ。
「なんで?」
「陽菜乃が好きだと言ってくれたから」
「なにそれ」
「陽菜乃が好きだと言ってくれた自分でいようと決めた。もっと好きになってもらえるように頑張ろうって決めたんだ」
俺がそう言ったそのときだ。
後ろにいた陽菜乃が俺の隣に来て、手を繋いでくれた。
どくどくと彼女の気持ちが流れてきたような気がした。
「越野くん」
声と同時に、俺の手を握る陽菜乃の手に力が入る。俺はその手を強く握り返した。
「あなたが何を言ってきても、わたしの答えは変わらないの」
「……日向坂」
それはね、と陽菜乃は震える声で続ける。
「越野くんだからダメなんじゃなくて、他のどんな人に好きだって言われてもわたしは……わたしの心は変わらないよ。わたしの気持ちは、隆之くんに出逢ったあの日から、ずっと彼だけに向いてるから。これまでも、これからも、それは絶対に揺るがない」
しっかりと。
ハッキリと。
陽菜乃は自分の気持ちを口にした。
これで諦めなければ、どういう神経をしているんだと疑ってしまうところだ。
さすがに後ろにいる友達もオロオロとしている。あちらの空気が揺らいだ。
あと一手。
決定打のようなものがあればいいんだけど。
「なにをしているのかしら?」
「ここ店の中だってこと忘れてンじゃねえのか?」
まるでタイミングを見計らっていたように、二つの人影が俺たちの間に割って入ってきた。
イケメンで、明らかに上位カーストにいるようなザ・陽キャの男と。
美少女で、圧倒的モテオーラを纏うリア充の最先端のようなザ・陽キャの女だった。
「なんで……」
「絵梨花ちゃんと、財津……くん?」
俺と陽菜乃は何とか言葉をこぼす。
俺は二人がいることを知っていたので陽菜乃ほどの驚きはなかったけれど、それでもなんでこんなところにいるんだという気持ちはあった。
ていうか陽菜乃さん、いつの間に榎坂のこと下の名前で呼ぶようになったの?
「あいつら、知り合いか?」
「えっと、まあ」
財津の問い掛けに、陽菜乃は曖昧な返事をする。
陽菜乃と財津の間には少しだけ溝のようなものがある。俺も無関係というわけではないんだけど。
あれ以来、二人が会話をしたのかは全然知らなくて。だから、もしかしたらあのときの距離のままなのかもしれない。
「そんなわけないでしょ! あんな明らかに高校デビューしましたよって感じの男が知り合いなんてありえないわ!」
「なッ」
榎坂の活き活きとした発言に越野氏が動揺する。
「なに、図星? 必死に隠してるつもりかもしれないけど、童貞くささが漏れ出てるわよ?」
「そォだな。いかにも陰キャですって感じが隠しきれてねェわ」
「自分は陽キャだって勘違いしちゃってるあなた、可哀想だわ」
榎坂に続いて財津も乗っかる。
絵に描いたような悪役というか、嫌な役なのに何故か二人ともめちゃくちゃ活き活きしていらっしゃる。
ハマり役過ぎる。
「う、うっせえ! ど、どどど童貞じゃねえし?」
「強がるのは止めなさい」
「経験あってもせいぜいそこら辺にいるドブスだろ。お前ごときが陽菜乃を狙うとかおこがましにも程があるわ」
おーっほっほっほ、みたいな笑い方しそうなキャラを続ける榎坂と、ギャハハハと高笑いしそうなキャラの財津。
楽しそうだ。
「そ、そいつだってどうせまだ……」
「志摩? いや、彼は違うわよ」
「なんッ」
「だってあいつは私で卒業したもの」
くすり、と笑いながら榎坂がふざけたことを言う。それを聞いて越野氏は絶望したような顔をした。
そんなことより。
陽菜乃さん?
榎坂のあれはもちろん冗談なんですけど分かってますか? そんなに目を見開いて凝視しないでもらえます?
「自分のレベルを理解したならさっさと帰りな」
「彼はあんたみたいな男よりよっぽど魅力的だし、彼女に相応しい男よ?」
財津と榎坂の言葉がトドメの一撃になったのか、越野氏と愉快な仲間たちは「行こうぜ」と言いながら立ち去っていった。
……こいつら、良いところ全部持ってったな。
まあ。
助けられたわけなんだけど。
「ありがとう。助かったよ」
だから素直にお礼を言っておく。
財津に関しては助けられたのは二度目だな。まさかまた助けられる日が来るとは思わなかった。
「でも、なんでこんなところに?」
「そろそろ帰ろっかって話になって出口に向かってたら、あなたたちがきゃんきゃん喚いてるところを見つけちゃったのよ」
きゃんきゃん喚いてるって。
「周りに人がいるってこと、もうちょい気にした方がいいと思うぞ」
確かに。
人の通りは少なかったとはいえ、こんなところで言い合うことはなかったな。
「あの、財津くん……」
「陽菜乃……」
陽菜乃に名前を呼ばれて、財津は珍しくぐしぐしと頭を掻いて居心地悪そうな顔をした。
「ありがとう」
「やめてくれ。大したことはしてない」
「かもしれないけど。助かったのは事実だから」
「……あァ」
できてしまった溝を元に戻すことはできない。けれど、それをもう一度埋めてやり直すことはきっとできる。
「それにしても、楽しそうにしてたな」
「いいストレス解消になったわ」
俺と榎坂だって、やり直せたんだから。
ぎこちないながらも、二人で話す陽菜乃と財津を見ながらそんなことを思う。
「これで貸し借りゼロね?」
「……別にそこまで気にしてないよ」
榎坂が俺にしたこと。
それのせいで俺はトラウマのようなものを植え付けられてしまったかもしれないけれど。
あれがなければ、今の俺はなかったかもしれない。
「勘違いしてない? 私は財津くんと話す場を与えてくれた借りを返したのよ?」
「ああ、そういう」
そういうことなら有り難く返してもらっておこう。
財津と榎坂に挟まれてのあの時間はそこそこ大変だったしな。
「榎坂さん、もう行こうぜ」
「ええ、そうね。いつまでもこんなところにいたら志摩の陰キャ菌に毒されるわ」
なんだよ、陰キャ菌って。
感染するの?
みんな陰キャになるの?
それってある意味平和なのでは?
いや地獄だな。地獄ですね。
「絵梨花ちゃんも、ありがと!」
「私はなにもしてないわよ。またね。日向坂さん。それと、おめでとう」
陽菜乃に呼ばれて、榎坂はにこっと笑顔を見せた。作ったものじゃなくて、多分本当に出たやつ。
あいつも少しずつ変わってるんだな。
そんなことを思いながら榎坂を見ていた俺はふと隣の財津に視線を移すと、ちょうどこちらを睨んでいた財津と目が合う。
「せいぜい愛想尽かされないようにするんだな」
そんな言葉を吐き捨てて。
二人は行ってしまった。
言葉ほど、そこに敵意や悪意は感じなかった。
財津なりの祝福の言葉なのか?
だとしたらもう少し別の言葉あったような気がするんだけど。
「ところで隆之くん」
つんつん、と俺の腕をつついてくる陽菜乃の方を向き直ると、にこりと笑顔を浮かべていた。
「絵梨花ちゃんの発言についてなんだけど」
いやだからあれは冗談だってば。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます